10円不足に気づいて

 おとといのこと、合唱団のプログラムを印刷しに市民活動センターへ行きました。印刷機を使わせてもらうには、コインで料金を入れることになっていて、印刷代は190円でした。印刷機のスイッチを切ると自動的にレシートが打ち出されてきました。
 帰宅していつものようにお財布の中身を出して現金を家計簿のその日の残高欄に記入して、買い物額を記入して行くと、差引10円足りません。あれ?と思うと、印刷代の190円に対しておつりを…あっ、取っていなかったことに気づきました。そこでセンターに電話して料金箱から10円取り忘れたかもしれないのですが、というと、係の人が調べてくださり、「ありました」との事で預かってくださることになりました。
 翌日午後取りに行きました。たったの10円でしたが、「多分財布の中身が10円足りないと言って気づく人は少ないのでは」というと、本当に驚かれていたようでした。

 しかし家計簿をつけていたからわかったということはこの10円のことだけではありません。
 たまたまこの日の話の中でMさんが言っていたことが、家計簿をつける意味を教えてくれました。それは、お母さんが家計簿をつける姿を見て大きくなったけれども、年を取ってきたので年金だとかの「収入はいくらあるの?」と聞いても「さあ?」。「いくらで暮らせているの?」と聞いても「わからない」と言われた、というのです。
 家計簿はその日の買物だとか出費をつけるだけではつけているうちに入りません。いったい年間いくらの収入があって、いくらで暮らしていけるのか、そこのところが把握できていないと意味がない、という事をこのことから改めて教えられました。

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# by kurashiki-keiko | 2015-08-29 03:07 | うれしかったこと | Trackback | Comments(0)

孫娘と台所に立って

 2世帯住宅の我が家はドア1つで仕切られているので、孫たちにとってはバリアフリー。上の子も気が向くとこちらへやってきては積み木とかトランプをしてまた引き上げて行ったりしますし、1歳10か月の妹もオニイチャンにくっついてやってきてはお絵かきなどしています。
 そしてまた、妹の方はオニイチャンのための行事があると、お嫁さんが足手まといになるというので預かることが時々あります。以前は絵本を読んでやったり遊んでやることがいいことだと思ったのでしたが、こちらが家事をするのを見せるのもよいかと、台所に立つときには低い万能台と、丸椅子を並べておいてやると、丸椅子の上になんとか一人でも上がれるようになってきました。丸椅子の上に立つと調理台に手が届き、適当にペットボトルのふたや網杓子などを与えると遊んでいます。
 遊ぶばかりではなく、私のすることに興味深々。小松菜ともやしの胡麻和えを作ったのですが、小松菜を茹でるために鍋の方へ持って行くときに2枚ほど葉っぱが落ちていたらそれを拾い上げてくれたり、こまごまよく気が付きます。すり鉢でごまをするというのも、小さな手ですりこ木を持たせて一緒にすると、とても喜んでもっとしたい、という風でした。ちょうど父親が帰宅したのですが、お迎えに行ってやれやれ、と思ったらつづきをしたい、とまたやってきました。和え衣が出来たので指につけてなめさせてやるとおいしい、という顔。野菜の味付けをして小松菜の柔らかそうなところを食べさせてみると、これまたおいしそうな顔。こんなことができるのも幼稚園に行くまでのことかな、と思うと、短いこの時期を大切に触れ合いたいと思います。
 こんな幼児体験が大きくなって少しは記憶に残ってくれてお料理に興味を持ってくれるとうれしいなと思います。

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# by kurashiki-keiko | 2015-08-29 02:30 | うれしかったこと | Trackback | Comments(0)

「外注」で家事力・家庭力は?

27日付朝日新聞の高橋源一郎氏の論壇時評の記事に、戦死者を弔うということをかつてはわが手で行ってきた慰霊を、国家という外部に任せてしまった、すなわち慰霊の「外注」だったのではないかという事から、私達は少しずつ「家事」も「教育」もみんな外注するようになって、そのことによって私たちは自由になったけれども、その結果得たものは何だったのだろう、
という事を書いておられました。主旨はそのことではなかったのでしたが、家事や教育の外注、という字句に私は反応してしまいました。

 そういえば、戦前や戦争直後のあたりまではお産やお葬式も家でするのが当たり前でした。私も母の実家の離れで産婆さんに取り上げられたそうです。お葬式も、自宅でご近所が寄り集まって手伝って、それが「村八分」の内の二分だと聞いたことがあります。どんなに仲たがいしていてもお葬式と火事の時には手を貸すものだと。それが地域コミュニティの在り方だったのに、今では病院や葬儀会館などでされることが主流になっています。また、布団も昔は家庭で主婦たちが作るのが普通で、私も小学生のころは母が掛布団に綿入れをするときに重石代わりにそっちへ立っていて、などと手伝わされたことがありました。着物も秋になると冬場の綿入れの着物を主婦が作るのが当たり前の時代が長く続いたのに、この頃はおかげさまで主婦の家事にかける時間がぐっと短縮できたのは喜ばしいことだと思います。
 
 特に子育て中に働いている主婦のための家事時間の短縮は、外注によってずいぶん助けられていることは確かではないかと思います。しかし外注に頼るばかりよいのでしょうか。
 確かな家事のスキルもしっかり身につけて行ってほしいものと思います。とくにバランスの良い食事内容は、健康に直接結びつくものと思います。段取りの良い家事の手順を考えてそれを動線に沿ってルーティーン化することで無駄のない短時間家事を実現するものと思います。そしてぜひ、先輩主婦の知恵を借りてほしいと思います。
 家事家計講習会が毎年11月にあり、家計簿の必要性やらつけ方やら家計の経験談などを聞くことができますし、手早い家事のやり方などの講習が各地で行われます。
 倉敷でもまた、5回ほど行われる予定なのでよかったらホームページなどを見てお出かけ下さい。

・・・ちなみに最初に挙げた高橋源一郎氏の「論壇時評」は、女性週刊誌にも最近安保法案強行採決に際して反対のスタンスが見られること、これまで「外注」してきた「政治」や「社会」を自らの手に取り戻すことがひつようだと思えるようになってきた表れではないか、「政治」や「社会」に違和を感じたら、誰でも疑問の声を上げ、行動してもいいのだ、ということが今おこりつつある、と結ばれていました。
 外注に頼らないでたとえば既製品のレトルト食品やおやつに頼らず、簡単なものでよいから手をかけた食事をすること、から健康を手作りしてみませんか。
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# by kurashiki-keiko | 2015-08-29 01:25 | 新聞・テレビから思う | Trackback | Comments(0)

心に残る言葉


本日付の朝日新聞1面から。
 組織の1人として、このような働き方をするように心がけたいと思いました。
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# by kurashiki-keiko | 2015-08-27 13:28 | 新聞・テレビから思う | Trackback | Comments(0)

とほほな縫い物

8月3日、美星のお友達のセカンドハウスでスケッチして、ステンシルの図柄になるものを作りました。早速それを何かにプリントするということで、そうだ、エプロンに染めつけよう、と善は急げ?とばかりに布を買ってきて、お盆の繁忙期を避けてやっとのことで2枚、型紙を起こすところから始めて縫い上げましたが・・・

 24日(月)のステンシルの会にそのエプロンを持参して洋裁グループで指導してくださっているMさんに見ていただいたところ、なんと、裏表がが逆だったことが判明。私は、布の端っこの耳の所の針の穴が上から通っている方がおもて、と思っていたら、物によっては違うのだそうで、よく斜めから透かして見ると光沢がある方がおもて、だったのだそうで、私は逆の裏を使っていたのでした。がっかり。
 それと、紐の角の始末、ポケットの縫い代がちょっとポケット口からのぞいている、胸当ての角の所がきっちり角に立っていない、ミシンの針がちょっと太い、などなど。
 「あなた、ちゃんと洋裁グループにいらっしゃい。でないといつまでたっても、何枚縫ってもこんなことでは同じことで進歩がないわよ」
 とはっきり言われ、「そうなんです、教わりたいのはやまやまなのですが、『縫える日』がこの日しかない』と思うと先を急いでしまって」
と言い訳。いつまでたっても縫い物(に限らず)私の仕事は時間を急いでいい加減。きっちり、というよりこの限られた時間にそこそこの物が出来ればいいという考え方なのです。Mさんの方は、急がなくてもきっちりした仕事をしないと外には出せない、という考え方。はぁ~。

 でも、ステンシルの方は図柄をなんとか完成させ、その雑な縫い方&裏地のエプロンに染付けました。
ほんと、早いのが取り柄、と某落語家がかつて言っていましたが、そんな感じでした。

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# by kurashiki-keiko | 2015-08-26 12:43 | 反省したこと | Trackback | Comments(0)

シニア男性の会話を聞いて

 25日(火)午後、台風の余波の強風の中を、目の端のただれのために眼科医院へ行きました。
 午後の診察は3時からなのですが、2時40分ごろに行くと玄関が閉まっていて、軒下にシニア女性が一人と男性が2人、先客で待っておられました。
 そのうちの男性2人の会話を聞くともなしに聞いていましたら・・・
Aさん「いやあ、岡山は良い所ですなあ、災害がこんなに少ない所はないですよ」
Bさん「そうでしょうなあ。よそはわかりませんが」
Aさん「私は鹿児島からこちらへ来ましたが、良い所ですよ。」
Bさん「ほう、そうでしたか」
Aさん「しかし初めのうちは、シネエ、と言われて、あれにはびっくりしましたよ」
Bさん「そうですなあ、岡山弁の『シネエ』は何々しなさい、ということですからなあ」
Aさん「そうなんです。それと、「ミテル」という言葉。てっきりいっぱいになることだと思っていましたら、「無くなる」という事だったんですね。どうも話が合わないと思ったら」
Bさん「ふんふん、私は青森当たりの人から、岡山弁は早口でまるで喧嘩を売っているみたいだと言われましたよ」「水戸の当たりの人からも、怖い、と言われたことがあります」
Aさん「そうかもしれませんね」
などと岡山弁談義に始まり、鹿児島から岡山に住むようになったという男性と地元の男性、親しく話をされていて、とても面白かったのでした。
女性同士だと案外知らない同士でも話をすることが多いようですが、男性は見ず知らずの人とこうしてお話が弾むことは珍しいと聞いていたので、話が色々とその後発展して、ドアが開いて待合室に入らせてもらってからも、大声で楽しそうにお話されていたので、いいことだなあと横で拝見していたのでした。
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# by kurashiki-keiko | 2015-08-26 12:31 | おでかけ | Trackback | Comments(0)

青じそのジュース



先週、赤じそのジュースを出先でご馳走になって、我が家の庭に我が物顔にのさばっている青じそのジュースを作らなくては、と重い腰を上げ、日曜日、美星青空市から帰ってから葉っぱを集めて煮ました。レシピの1単位は400gでしたが取ってきたのは800gあり、2単位分できました。
赤じそジュースを下さった人によると青じそジュースは薄いピンクになるとのこと。でも前回私が作ったのは薄い黄色だというと、不思議そうにしておられました。
 そして翌月曜日、たまたま「ステンシルの会」でお昼をご一緒した人に話題にしたら、それは葉が柔らかい時にしないからピンクにならないのでは、ということがわかりました。なんでも聞くは一時の恥、聞いてみるものです。

クックパッドの私のレシピはこちら⇒http://cookpad.com/recipe/2316941
、、
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# by kurashiki-keiko | 2015-08-26 12:16 | 日常 | Trackback | Comments(0)