クリスマスには教会に行こう


d0031853_1491052.jpgカトリック教会の前庭に設けられた「馬屋」です。今年の厩は道路に近いところに作られています。

d0031853_1511035.jpg倉敷教会の建物は四角くてこんんな感じです。

d0031853_1521187.jpg25日のミサは朝9時半から。数年前に深夜ミサに行って誰もいず、取りやめになったのを知ってがっかりしたものでしたが、かといってイブの午後7時には、家族全員クリスチャンではない我が家は夕食時刻なので行けず、翌朝の25日のミサに出かけたのでした。以来イブのミサには出かけずにいたら、数少ない教会での知り合いのKさんによると今年は深夜ミサもあったのだそうで、残念なことをしました。
 高い天井の聖堂にはさすがクリスマス、ほぼ満員の人でした。それにしてもお寺などでもそうでしょうが、まず中高年の姿が8割、9割位か。

d0031853_157263.jpg倉敷教会は、アフリカ産とかいう巨石が祭壇になっていて、その前の足元には誕生したばかりの基督を囲む人形が飾られていて、祭壇の右手には高さ1mはあろうかと思う、十字架のしるしと文字の入った巨大なろうそくが立てられていました。ミサの開始と同時に祭壇上の太いろうそくとその巨大ろうそくにも点火されました。 
 最前列に若い夫婦と赤ん坊を抱いた老人がいると思ったら、その赤ん坊に幼児洗礼を授ける式がミサの途中にありました。私の隣にいたKさんによると、頭に水をかけられる冷たさにたいていの幼児は泣き出すのだそうでしたが、その子は眠っていたのか、とてもおとなしくていい子にしていて、水をかけられ、白いケープを授けられてもきょときょとした様子でかわいいつぶらな瞳を時折こちらに向けていました。
 紹介によると、若夫婦はここの教会で結婚式を挙げたのだそうで、形ばかり勉強して式を挙げるのではなくて子どもにも洗礼を望んだのです。ずっとその幼子を抱っこしていたのは、長崎から来た祖父、後ろの列には同じく長崎の信者でベールをかぶった父方の祖母もいました。
 高齢者の多い教会の中で、希望の光のように見え、ご機嫌のよいその幼児に洗礼を受けた祝福の温かい拍手が送られたのでした。

 司式は漆黒の肌の色をした神父様で、マニュアル化されたミサの言葉はよどみない日本語でしたが、説教のほうは慣れない言葉からかそれとも意図してか、とても「間」が長くて、昨晩文字通り寝てない私にとってはかなりつらい間のとり方でした。しかし間に挟まれる聖歌を歌うときにはやっぱりうれしくてしっかり歌いました。
 カトリックの聖歌は、プロテスタントの4部合唱の讃美歌と違い、グレゴリオ聖歌が元になっているので、言葉がそのまま長く長く続く平板な単音の楽譜が多くて歴史の古さを感じます。
 白くて丸くておせんべいみたいに圧縮されたパンのご聖体とぶどう酒の入った聖杯を神父様が高く掲げて示される場面では侍者が4つの音の出るベルを鳴らすのが心地よくてははっ、という感じで伏し拝みます。
 なにもかもがなにしろ自称「かくれキリシタン」の私にとっては懐かしい1年ぶりの教会でした。
 そして、元・倉敷友の会員のIさんともお互い1年ぶりで七夕様みたいな出会いがありました。
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by kurashiki-keiko | 2009-12-26 02:15 | しみじみしたこと | Comments(0)

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