冬の鞆の浦を歩く
2010年 01月 25日
鞆の浦のともてつバスセンターの駐車場は、特にイベントもなかったので空きがあり、「1日料金で1,000円、そばの売店で買い物するとキャッシュバックがある」とのこと。
以前ガイドしてもらったコースに沿って、スーパーの横手から山側に向かって歩き出しました。石畳の道をしばらく歩くと、右手に足利氏ゆかり?とか以前聞いたような神社。
さらに進むと、沼名前(ぬなくま)神社の広壮な建物が見えてきました。
この神社の境内には、もと豊臣秀吉が愛用し伏見城内にあったという能舞台があります。組み立てやすいようにと材木に番号が振られていて戦場にも運んでいったとか。
今は板戸で囲ってありましたが、向かい側には身分の高い人が見物したであろう建物もあって、鞆の浦の文化の高さを物語るかのようです。
山中鹿之助は尼子十勇士の1人で、毛利の家臣に誘殺され、その首は鞆に持ち込まれたと伝えられています。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話はよく知られています。ささやき橋は百済という国があったころの悲恋のお話。
お寺が5つほど続く石畳の道を歩き、県道47号線に行き当たった交差点近くで、カメラを持ったこのあたりに詳しい人と出会い、
「ここを右に上がって医王寺に行くと、鞆の港が一望できていいですよ」と教えられ、それではと行ってみました。
坂道の途中で「茶房セレーノ」という手書きの看板を見つけ、「帰りに寄ってみよう」といいながら通り過ぎました。
そこから山門の下へと降りかけると、「平賀源内の生祠」という看板があり石塔が2つばかり。平賀源内が長崎で修行をした帰りに立ち寄ったのを神様みたいに祀っているということみたいです。
それから先ほど見かけた「茶房セレーノ」の看板が。別の道を降りかけて忘れるところでしたが、
崖の上の狭い道を歩いていくと、
どこが入り口かわからなくてうろうろしていると、奥さんが出てきて、テラスの隅の下駄箱でスリッパと履き替えるようにといわれ、そのテラスも素敵だったのですが、建物内に入ってみました。
するとそこもとても素敵な空間でした。広い吹き抜けの、木質の空間で、なんだかとてもアットホームな雰囲気。60歳代くらいのご夫婦がいて、穏やかに話して下さるのでついつい引き込まれて長居しました。
私はカフェオレを頼んだら、お抹茶?と思うような手ひねりのお茶碗で。90何歳のおじいさんが焼いているものだそうでした。
分厚い木のテーブルと椅子やら、
畳の部屋やら、
さらにロフトも。ロフトへのはしごの横のドアからは・・・
また眺望のよいデッキに出ることができました。5月末の日本一早い花火大会があり、海から見物する船の灯りも見えてとってもきれいなのだそうです。
茶房を出て、もとの小道を下っていくと、細い路地から少し広い県道のような道に出ました。
そこのあたりは漁師町らしく、乳母車くらいの台車に乗せてお魚を老人たちが売っているのを3,4箇所で見ました。
そこからは、燈台のある港のそばにでて、
保命酒の大田家住宅の横を通り、
いりこ屋さんの横を通り、
かの宮崎駿監督が足しげく通っていたという民芸茶処深津屋の
横を通って、
潮待ち茶屋の古い建物の前を通り、
最後に坂本龍馬が泊まったことがあるという元廻船問屋の建物横を通って元の地点へ帰りました。
(参考)鞆の浦史跡めぐり http://www.fukuyama-kanko.com/course/course007.html
by kurashiki-keiko | 2010-01-25 06:18 | おでかけ | Comments(0)