吉備路文学館「永瀬清子展」へ


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吉備路文学館(岡山市北区南方3-5-35)の永瀬清子展へ出かけて来ました。
 いつかこのブログにも書きましたが、私の大学時代のゼミの先生が永瀬さん経営の「東雲荘」というアパートに住んでいたご縁で私も何度かお目にかかったり、つたない詩の添削をしていただいたこともあり、その後送っていただいた詩の原稿をこちらに寄付したこともあるものですから。
 それにしても私の知る永瀬さんはすっかりおばあさんでしたが、このチラシの若い子育て中の写真はなんとかわいらしくチャーミングでいらっしゃることか。

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途中で買い物をしていたので、この前の道は正午まで東行き一方通行、正午からは西行き一方通行なので、東側の道から入って到着。館内いつもながら入館者は限りなくゼロに近く、私たち夫婦以外にはあとお一人男性がいたくらい。おかげで静かにゆっくりと拝見。
 展示には私の寄付した直筆原稿はなかったものの、チラシに見られるような、生まれてからの文学との出会いの道筋をずっとたどることができて大変有意義な展示でした。
 永瀬さんが詩とであったのは、金沢の女学校時代、弟の看病を病院に泊り込んでしたごほうびに何かといわれ、当時出版されたばかりの上田敏詩集をと買って貰ったのがそもそもの縁だったとか、またカナダ系の幼稚園の1級下には偶然中原中也がいたそうでした。
 また、夫と結婚するに当たり、詩作をすることを許してもらったこと、夫の転勤に伴っていった東京で中央の文壇の方々とも知り合い、高村光太郎、草野心平、それに宮沢賢治の作品も知り、追悼集会で弟さんが持ち込んだトランクのポケットから出てきた手帳にあの有名な「雨ニモマケズ」の詩があったという場面にも立ち会ったとのこと。

 故郷に帰り農業と2男2女の子育ての合間に、詩作を続けたこと、そして世界連邦設立に伴い、県庁の事務局に長く勤めたこと、通勤に便利がよいようにと南方に転居したこと。
 私の先生はこの南方の家の奥に建てられたアパートに住んでいたのでした。風呂はなく、大家の永瀬さん宅に入らせてもらいに行っていました。アパート、東雲荘には永瀬さんの娘さんの美緒さんが営む編み物教室の横手の路地を入って行くため、時折出入りする私も永瀬さんや美緒さん、それに永瀬さんが留守の時にはご主人にお目にかかったこともありました。

 自分の考えを詩にこめて新しい女性のあり方をつづり続けた新しい感性の持ち主。詩はお金にならないのでずっとつましい暮らしの中で、夜になるとちゃぶ台を片付けて詩を書き続けた努力家。好きなことをずっと長く信念を持って続けたこと、などいろいろと心に響くことの多い永瀬さんの人生です。
 館内にはビデオの放映もあり、いくつかのシリーズがあって谷川俊太郎さんや大岡信さんの評もあり、ずっと見させてもらい、先生の活動の様子を知ることができました。気づけば1時間半をかけていました。よかったです。

d0031853_1742136.jpgd0031853_174337.jpg前庭には有名な黄緑色の桜、「ウコン桜」がありますが、まだつぼみが固い様子でした。
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by kurashiki-keiko | 2010-03-06 17:01 | おでかけ | Comments(1)

Commented at 2010-03-08 22:29
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

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