宮城まり子が選ぶ吉行淳之介展
2010年 06月 14日
宮城まり子さんの案内パンフレットの言葉によると、
「皆様、岡山が生んだ作家吉行淳之介の展覧会、いらして下さい。私も飾ります〈ガラス〉。子どもたちは(コーラス)をおくります。子どもたちが言います。「天のベッドに眠る御父様先生に聞かせたい」のです。岡山の生まれ、東京育ちの吉行淳之介17回忌、ぜひぜひ、私に一度だけやらせて下さい。」
8月1日までやっているようです。
略歴をごくごくかいつまむと、
1924年岡山市桶屋町生まれ、作家吉行エイスケ・あぐりの長男。あぐりは美容師、姉和子は女優、妹理恵は詩人・作家。
2歳のとき、父母とともに東京市に移住。
1954年「驟雨」で第31回芥川賞受賞。
1957年宮城まり子と知り合う。1960年同居。
作品多数発表、文学界新人賞、文芸賞、川端康成文学賞、芥川賞などの選考委員。
1979年芸術院賞受賞。この年のベストドレッサー賞受賞。
1994.7.26.聖路加看護大学病院院長日野原重明氏に脈を取られ、肝臓がんで逝く。享年70歳。
夫が山陽新聞の記事で見つけていたので、11日(金)に出かけたついでに寄ろうかと思っていたのですが、どうせなら夫も一緒に、と思い、13日(日)に出かけることにしました。
直筆原稿では、いったい編集者はこれをうまく読み下してどう活字に直したのかしらと不思議に思うほどに直しが多く入っているものでした。
また、私信の公開もあり、まり子さんをよき理解者、恋人として必要としていた様子がわかるようなものでした。
写真では当時の流行作家とも言える梶山俊之、遠藤周作、野坂昭如らと一緒に写ったものもあり、また芥川賞選考委員の記念写真もあり、文壇の重要な地位に在ったことが示されていました。
会場には、宮城まり子さん製作のガラスのペンダントトップの展示もあり販売しているとのことで、手にとって眺めた挙句に手ごろな値段のを一つ記念に購入。
また、展示室を出たところのロビーには、吉行淳之介作品や、まり子さん主宰のねむの木学園製作のマグカップなどの販売スペースがありました。なんとなんと、宮城まり子さんご本人も席についてサインをしてくださる用意があったのに、お客は日曜日にもかかわらず15,6人だったでしょうか、駐車場スペース8台分のうちまだ空きがありました。それでせっかくなので私も「宮城まり子篇の吉行淳之介短編集」を購入してサインしてもらうことにしました。
薄いピンクのカッターシャツを着た肢体不自由な、たぶんねむの木の子ども(とはいえだいぶ大きな高校生かそれ以上の人たち)が5,6人いて、もしかしたらコーラスのため?まり子さんとお話していました。
私が知る若い頃の宮城まり子とはだいぶ違ってそれなりに年を重ねておられましたが、ねむの木学園をしっかりと守っていらっしゃること、ねむの木学園の近くに吉行淳之介文学館を建てて今も吉行を愛していらっしゃることがよくわかりました。
・・・この記事はメールマガジン「Weekly KURASHIKI 週刊くらしきタウン情報」に連載中の「keikoのお出かけ日記(344)」として掲載されています。
by kurashiki-keiko | 2010-06-14 02:05 | おでかけ | Comments(2)
さて、今年も梅酒をつくろうと思いつつ、時間がなくてまだ梅も購入していません。とか言っているうちに終わっちゃうかな〜。
梅酒まだですか。うちは下戸なので3年物がまだありますけれど。早く作らないと青梅がなくなりますよ。