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介護者の心構え

 7日(木)朝8時ごろ、インターフォンのピンポンという音で出てみると、平成9年に亡くなった義父のところへ世話に来てくださっていた訪問看護婦のTさん。今でも時々義母の顔を見に、家庭菜園の野菜をもってきてくださる人。今朝も大きなカボチャを3個とサツマイモを持って、これから病院に行くついで、と言って寄ってくださいました。
 それで、これまでの経緯をお話しし、「母も喜びますからちょっとだけでも顔を見てやって下さい」と、かつて通いなれて勝手知った母のほうへ上がっていただきました。
 あとで行くと、手書きの丁寧なお手紙も渡してくださっていて、ベッドの母は何度も何度も読み返していました。
 平成元年から9年までの義父の介護中には、まだ今のような介護保険制度が出来る前だったので、試験的に訪問看護事業があり、その制度で訪問看護の人が何人も代替わりしながら来てくださっていました。看護師さんや特養ホームのヘルパーさんたち2人一組でお願いし、大柄な義父の排泄の世話、体を手を浸けられないくらい熱いお湯で拭いたり、足浴をしたり、シーツ交換をしたり、週2回お世話になっていて、 Tさんはその最後のほうにお世話になった人でした。彼女たちのおかげで父の長かった介護も乗り切れ、その間にかつて日赤の家庭看護講座シリーズなどを受講していた私もかなり勉強になりました。

 ということで、私も病人の衣服の着替えや体位変換やらシーツ交換、足浴、清拭などはお手の物、なのですが、しかし、最も大切なことは、そんな技術などよりも、病人の気持ちに寄り添うことだとこのたび改めて思いました。義父は最初に失語症となり、言葉でのコミニュケーションがなかったのですが、このたびの義母とはしっかりと話もできるし、何がしてほしいかを訴えることができるので、こちらの都合がつく限りできるだけ意向に添うようにしています。
 「〇分前にオシッコしたばかりだからまだいいでしょう」だとか、「これっぽっちしか食べないの?もっと食べたら?」とか「そんなにお茶ばかり飲まないでもっと食べて」などなど言いたくもなりますが、本人がしたいということは本人にしかわからないものだから、黙って言われるように「出たいのですね」「食べたくないのですね」「口が渇くのね」と寄り添うようにしています。
 病者のつらさはこちらにはわからないし、自分で何もできない歯がゆさなどの心理状態はやはり心もいわば病んでいるわけで、わがままともとれるかもしれない言動でも、こちらの都合がつく限りは聞いてあげようと思います。
 幸い義父の時にはまだ下は小学生だった子供たちも、育って家を出たので、私も心おだやかに母の介護だけを考えていられることがありがたいです。介護者の心の平静がないと、なかなかこの介護も難しいと思います。
 
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by kurashiki-keiko | 2010-10-08 00:10 | 老いということ | Comments(2)

Commented by miyakeoriibu at 2010-10-08 17:44
介護者の心の平静 なかなか難しいですね。
平成10年から13年までの3年間は義父母二人の在宅介護が
続いたのでそれはそれは忙しかったです。
介護の方をお願いはしていましたが・・・・・・。
今振り返ってみて反省することがたくさんあります。
Commented by kurashiki-keiko at 2010-10-09 01:07
miyakeoriibu様、3年間もご両親両方共をお1人で介護となると、想像を絶する大変さでしたでしょう。よくまあ乗り越えられましたね。辛抱強いmiyakeoriibuさんでないと出来ないことだと思います。疲れると心理的にも追い詰められますよね。あまり自分を責めないほうがいいと思います。
今は私も家庭内が楽になったので母のことを落ち着いて考えられますが父の時にはまだ子供たちが小学生から高校生まででしたから子育てとの間で葛藤がありました。
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