津和野―森鴎外墓所、カトリック教会、殿町、養老館、鴎外生家

(352)津和野 その2 
-森鴎外墓所、津和野カトリック教会、鯉のいる掘割から藩校「養老館」、森鴎外生家ー
 2010年10月16日(土)、ボランティアガイドの案内で乙女峠のマリア聖堂を訪ね、続いて永明寺(ようめいじ)の森林太郎(鴎外)墓所を訪ねました。

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乙女峠の山を下り、線路沿いに歩いて山側の永明寺(ようめいじ)、鴎外の墓は、山門の向かい側の1段高くなった墓地の奥にありました。
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分厚い苔に覆われた墓石の間を抜けると、
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遺書の「森林太郎以外に一字も書くな」の通り、一切の肩書・業績を刻むことなく森林太郎と男らしい太字で刻まれた立派な石碑が、その両親や祖父の墓の前に君臨するかの如くに建てられていました。もとは津和野の御典医の家柄だったのだとか。遺書の聞き書きをしたのは親友の賀古鶴所(かこつると)、書は中村不折(ふせつ)によるものとか。
d0031853_0364444.jpgd0031853_0371610.jpg森家の家紋は星形の枠の中に菊だったのを、天皇家と似ているからか、鴎外の前あたりから菊の葉を組み合わせた物に変わっているそうです。





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永明寺には家康の孫・千姫を燃え盛る大阪城から助け出したことで有名になった坂崎出羽守の墓もあります。山門を入り茅葺の本堂に向かって左上のほうにありました。
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人の高さほどの石柱でしたが、この地に赴任した殿様とは思えない粗末な掘りで、家康の怒りを買って切腹した人なので「坂井出羽守」と彫られていました。

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永明寺を出て元の踏切へ来ると、蒸気機関車がそばまで来ており、転車台で方向転換して今度は客車の前と後ろに連結して運転するためにバックして客車と連結しようとしているところでした。周辺には大勢の見物客。近くの道には機関車から吐き出される煙が一杯漂っており、ちょっと迷惑かなあという思いを持ちましたが、あのボーッという汽笛の迫力ある音は確かに郷愁を誘うものがありました。

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駅に戻り荷物を取って、宿近くの殿町のにぎやかな通りを案内してもらいました。掘割に鯉が泳ぐ通りは有名ですが、先ほど見た森鴎外墓所のある永明寺(ようめいじ)の山門というのは、実はこの通りに建っていたものを移築されたそうです。
 その石畳の道の向かい側に、津和野カトリック教会の尖塔が見えました。
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五島や長崎の聖堂に似て立派な建築。
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聖堂の内部は畳敷きで、天草の崎津教会に似ていました。教会聖堂の隣の建物は資料館となっており、
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キリシタンたちが長崎の浦上から尾道、広島の廿日市を経由して連れてこられた経路の図面やら、
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踏み絵のレプリカ、
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廃寺の建物をキリシタンたちの収容所とした敷地全体の模型、ここで行われた迫害やキリシタンたちがいかに耐えたり殉教に至ったかを絵入りの説明で紙芝居風につづったもの(上下2段にGIFアニメ、1場面12秒にしてあります。少し小さいですが文字を読むためです)、
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の展示があり、キリシタン迫害の現場がこのようにはっきりと残されているのは日本でも珍しいとのことでした。
 

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 鯉の泳ぐ掘割は、津和野の町を流れる高津川からの水だそうで、さらさらときれいでその中を橋の下にもぐらないようにところどころに柵がしてあり、びっくりするほど太った巨大な鯉が泳いでいました。小さいすばしこいのも一緒にいて、ガイドさんによるとそれは鯉の子ではなくてハヤだそうでした。

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 堀に沿った長く続く土塀は津和野藩の藩校の「養老館」でした。幼少時の森鴎外やオランダ留学も後にしたという日本の哲学の先駆者でもありその後ここで教鞭をとったという西周(にしあまね)など多士済々を輩出したところだそうです。裏手には鴎外の臨終の場で書き取られた遺書を写した石碑も立っていました。
 さらに掘割の殿町を進むと、大きな川に出ました。高津川といい、下流は益田まで流れているそうです。川を見下ろす公園に有名な鷺舞の銅像が立っていて、そこで記念撮影する人多数。
 私たちはそこでガイドさんと別れ、さらに森鴎外生家を目指しました。川に沿って遊歩道を20分、津和野小学校の脇を通り、川向こうに津和野高校を見て、車道のほうへと出ると、生家と、隣接する記念館が見えてきました。
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鴎外生家は、質素な感じのこじんまりした家で、
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それでも3間続きの座敷には中央に炬燵のやぐらがぽつんと置かれていました。
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邸内には小さな井戸も残っており、往時をしのばせるものでした。
 もう午後4時半を回っていて併設の記念館を見てゆっくりする時間ではなかったのでそこまでにし、車の行き交う道を歩いて帰りました。
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元のにぎやかな殿町の大きな土産物店「沙羅の木」で、孫用に紙風船を見つけて購入し、
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さらに数ある源氏巻の販売店の中から「竹風軒」をガイドの小山さんが推奨してくれたので、閉店間際に飛び込んで当地の名物「源氏巻」を自宅向けに送りました。
こうしてこの日は暮れていきました。

津和野町
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by kurashiki-keiko | 2010-10-22 00:45 | | Comments(0)

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