萩―維新への胎動の地

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宿の中庭に萩の花が咲いていました。萩で萩に出会う。

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伊藤博文の生家です。前日松陰神社に行ったということは伝えてあったので、その近くのこちらに最初に連れて行ってもらいました。伊藤博文は生まれは山口県でも南部の今の光市だそうで、父親が伊藤家に養子に入ったのでついてきたようです。したがって生家はもともとは光市にあったものを移築したことになります。座敷は三間続きでしたが小ぢんまりとした家でした。
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近くには東京都品川区大井から移築された、出世した後の博文の邸宅がありました。元は車寄せがあり中庭を挟んで右に西洋館、左に書院、さらにその奥に離れ座敷、台所、風呂、蔵を備えた物だったそうです。そのうち玄関、大広間、離れ座敷の三棟のみ移設されたそうです。
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2階座敷の床の間、普通は壁になっている違い棚になる部分の奥の壁には窓がとってあり、元の品川区の場所からは富士山が見えていたそうです。今は萩城跡のある指月山(しづきやま)が見えるようになっています。
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雪見障子は左右に開くようになっています。広さも意匠も素晴らしいものでした。





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こちらは吉田松陰の生家の跡地です。下級武士の出だった松陰の家は城下でも城から遠い不便な高台にあったそうです。有力な武士たちの家は城にすぐさま馳せ参じることができるように近い場所にあったはずですので、それだけでも身分がわかるようです。生家の基礎の石が間取りを示していますが、そこから30mくらい?離れた場所に「産湯の井戸」とされる場所がありました。主婦の目で見ると、そんなに遠いところから炊事やお風呂の水を汲んできたのかと思うと、当時の母親の苦労がしのばれます。
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生家跡からほど近いところに吉田家の墓所があり、松陰の墓がありました。近くには父の杉百合之進、叔父で松下村塾創始者の玉木文之進の墓や弟子の高杉晋作、久坂玄瑞の墓などもありました。いずれも朝早く行ったのに掃除がていねいにされていました。
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こちらは萩藩の藩主の毛利家の菩提寺、東光寺の墓所です。こちらには3代、5代、7代、9代、11代の藩主夫妻のお墓があり、その手前にはこのように600基?もの石灯籠がまるで秦の始皇帝の兵馬俑のような感じであの世でもお殿様につき従っているようでした。
お寺の建物も広壮なもので、藩の財政が傾いたというのになんと贅沢なものでしょう。

次は桂小五郎、のちの木戸孝允の生家でした。
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彼はここで20歳までを過ごし、嘉永5年(1833年)に江戸に出ていくまで住んだそうです。座敷には萩の古地図の屏風や、息子と親子で撮った写真などが飾られていました。
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私にとっての疑問は、「桂小五郎」というカッコいい名前から「木戸孝允(たかよし)」になった理由でした。木戸孝允は何度も名前が変わっています。最初は藩医和田昌景のこ子として生まれ、8歳で桂家の養子となり家督を継ぐ。33歳で坂本竜馬と会い、木戸貫治と改名。34歳で木戸準一郎と改名、とあります。戸籍制度もなかった当時は容易に名前を変えられたのだなと思います。
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また、裏庭には立派な夏みかんの木があったのが印象に残りました。

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こちらは高杉晋作の生家です。小さな家ですが、萩らしい白壁の土塀のある通りに面していて、いい感じでした。
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高杉晋作生家へ至る道の角は菊谷家住宅。豪商の邸宅です。
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こちらは前日から見ていた指月山のふもとにある城跡です。お城は山のてっぺんにあるのと勘違いしていたら、ふもとの一角に天守閣跡がありました。赤穂城と似ていて海のすぐ近くの城ではありますが、堀は海水ではなく雨水だそうで、鯉が泳いでいました。

d0031853_619529.jpgこのあたりでお昼となり、道の駅 萩しーまーとへ。ここでは後で聞くと、売っているお魚をさばいて食べさせてくれるそうでした。海鮮丼の特上というのを注文。ボリュームもありご飯少な目で私好み。

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少し時間があったので、反射炉の跡を見に行きました。これは安政3年ごろ作られたようですが、試験運転だけにとどまったようです。全国でもここと伊豆の韮山にしかないという珍しいものだそうです。当時としては先駆的な技術導入だったのでしょうね。
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旅の終わりは特急の路線バスで東萩駅前から新山口まで行きました。山陰線では1時間に1本で近い時間がなく、バスもだいぶ待ちましたがお客は3割くらいもいなかったでしょう。

 2泊3日の津和野と萩の旅、江戸から明治にかけての歴史遺産をしっかり見られ、激動の時代を生きた人の充実した旅でした。

萩市
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by kurashiki-keiko | 2010-10-23 02:04 | | Comments(2)

Commented by cyaa8989 at 2010-10-23 13:14
おかえりなさい。
旅記録を拝見していて、全てに於いて活動的なkeikoさんだと
私の想像を裏切りませんでした。
津和野、萩
私の行っていない所もあり、知らなかった所もあり
日程の都合で青海島を訪れられなかったので、行く機会を探しています。
その時は参考にさせてください。
Commented by kurashiki-keiko at 2010-10-26 13:29
cyaa8989様、ブログで旅行気分になっていただけたら嬉しいです。
またいつか行く機会があったら「旅行」タグでこちらを見てくださいね。

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