祖母の紅茶

 夜中、ふと、もらい物の紅茶があったので、ガラスのポットで紅茶を入れてみることにしました。お湯が沸くまでに、昔田舎の家に行くと、祖母が紅茶を入れてくれたことを思い出しました。
 
 祖母の紅茶は、優雅な模様のティーカップに、茶こしに紅茶を入れて上から注ぐというものでした。子供のころの私はそれが紅茶の入れ方だと思っていましたが、父は、「あんなの紅茶じゃない」と言うのでした。
 祖母は女学校を卒業すると祖父のところへ方違えというのをしてから人力車で輿入れしてきたそうで、金屏風を立てての自宅お座敷での婚礼は立ち見の見物が出るほどだったそうです。
 祖父は大手の鉄鋼メーカーのサラリーマンでしたのですぐに都会での新婚生活が始まったようです。戦争中は鉄鋼統制会というのに出向していたそうで、あちこちから接待があって羽振りがよく、娘たちには一人に一人ずつ女中が付き、おそろいの洋服を着せてもらい、宝塚の観劇にもよく行き、ピアノを習うような環境だったそうです。隣が貿易商だったので、奥さんのお付き合いに背伸びして様々なものをよく買ったようで、こちらはサラリーマンなのに身分以上に浪費してしまい、残ったのはピアノだったとか。
 定年になった時、祖父の友人は家を建て、祖父は家を建てても空襲で焼けてしまっては、と貯金したら、結果的に友人の家は焼けずに残り、貯金した祖父は貨幣価値が落ちて紙切れ同然になってしまったのだとか。
 結果、下の叔母は上の学校へ進学したかったらしいのですが、長男である父の学費がかかるというので断念させられたようです。終戦後は田舎の先祖からの家に引き上げて、にわか百姓の祖父と内職で細々と食べているような生活だったそうです。そんな中であの紅茶で見果てぬ都会暮らしの残影を追っていたのかなあ、と思い出しました。

 ずっとのちに私も紅茶はポットでジャンピングするように入れる、というのを知って、あの茶こしに茶葉を入れてお湯をかけるだけだった祖母の紅茶が逆に懐かしく思われたことでした。都会で結婚生活をスタートさせた祖母、姑のいない気楽な生活のかわりにお料理とか家事を習うところもなく、家計簿も知らず、お金があればあるだけ浪費していたようです。私が結婚するときにノリタケの楕円の大皿やキャセロールなどの洋食器や重箱を譲られましたがその頃買った物でしょう。
 その当時に『婦人之友』や「友の会」に出会っていたら別の家庭生活が送れたのかもしれません。
 
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by kurashiki-keiko | 2011-02-22 00:26 | しみじみしたこと | Comments(4)

Commented by saheizi-inokori at 2011-02-22 10:26
私も祖父の紅茶が懐かしいです。
朝鮮の銀行で役員をしていて戦後パージになって小さな本屋を西宮でやっていました。
落ちぶれた毎日の中に僅かに食べ物のことだけはこだわって毎朝のトースト、ジャージー牛乳、紅茶は私から見ると天上の食事のような香りに満ちていましたよ^^。
Commented by kurashiki-keiko at 2011-02-22 15:56
saheizi-inokori様、似たような体験をなさっていたのですね。
うちの祖父母も戦前は西宮か芦屋に住んでいたようです。入れ方はともかく、優雅に紅茶をいただくというのが至福の時だったのでしょうね。
Commented by bisui at 2011-02-23 10:48 x
以前、NHKの番組で紅茶は90℃位の温度で茶葉が開くように入れると美味しいと放映されていましたが、実際やってみると、なかなか難しいですね。私の若い時紅茶は、とてもハイカラなもので、喫茶店で注文すると、セレブになった錯覚を覚えたものです。
古い昔の青春時代が懐かしいですね。
Commented by kurashiki-keiko at 2011-02-23 11:10
busui様、実際祖母の紅茶は、田舎の家の練炭火鉢で沸かしたやかんから注がれるお湯で色づけされただけのものだったのですけれど、優雅な紅茶茶碗で飲むというだけで、お上品さがあって、何でも上品が好きだった祖母の好みだったものでしょう。
紅茶の香りは西部劇でカウボーイが飲むみたいなイメージのコーヒーの香りとは違う上品な感じがありますね。

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