松山まで

7月24日(日)、例によって夫がどこかへ行こうというので、朝9時半、小さいころ父親の赴任地であった松山、できれば石鎚山のふもとの面河(おもご)渓谷へ行ってみたいと、出かけてみたのですが・・・行けども行けども・・・
 石鎚山サービスエリアの案内係に聞いてみると、松山インターで降りてから1時間半くらいかかるとのこと、日帰りするには向こうに食事時間を含めても30分くらいしかいられないと思い、松山市内に目的地を変更。
行きたかった面河には、父の職場の家族たちと幼いころに泊まりに行った思い出があるので追体験してみたかったのでしたが、また後日いつかということで。

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松山に来ていると母にメールすると、昭和25年から28年くらい?の新婚時代に初めて親元を離れて暮らしていた松山には思い入れのある母「三越はまだあるだろうか」との返信。三越が撤退したのは倉敷くらいでは?松山にはちゃんと商店街の一角にありますよ。市電が前を走っていて、たまたま写した時にはレトロな車両が走っていました。

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大街道です。岡山で言うと表町商店街にあたるような商店街。お昼時だったので食べ物屋さんを探しています。

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こちら、倉敷発祥の、大原孫三郎さん経営の倉敷紡績の従業員のための「労働科学研究所」が少しでも栄養あるおやつにと考案した、のだったか、「労研饅頭」がここにもあるのでした。いろんなバリエーションがあります。

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お昼は「満州屋」というラーメン屋さんで

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この夏はまだ食べていなかった、と冷麺が食べたかったので。
でも冷麺というと錦糸卵と細切りきゅうりは必須かとおもっていたけれど、これはラーメン用のトッピングそのままと言う感じで、茹で卵。のほうが茹でるだけだから手間はかからないだろうな、と思いつつ。

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道後温泉や松山城は以前来たので、今回は最近できたここ、「坂の上の雲ミュージアム」に絞って行ってみました。門の前に乃木希典と秋山真之に扮した?人が立っていて、モデルになる代わりに震災の被災地に寄付してくれとのことで、写真を写させてもらいました。
 ちなみに実家の母にこの写真を写メールすると、「左側の人の敬礼は海軍の物ではないね」との指摘がありました。
 調べてみると、陸軍では肘を地面と平行になるまで上げて三角に、海軍は艦内の狭いところですれ違うので小さくコンパクトに手を挙げて手のひらを相手に見せないくらいにするのだそうです。一つ勉強になりました。今度戦記物などのドラマがあったら要チェックですね。

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案内地図に三角の印がついていたと思ったら、安藤忠雄氏設計のこの建物は本当に三角柱の形をしていて、スロープで三角形のらせん状に上がりながらパネル展示などを見ていくというものでした。最後に降りるときにこの「空中階段」という、中央部に設けられた支える柱のない階段を下りてみました。

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へーっと感慨深かったのは、明治期の日本では色々な外国人から技術などを学んだ、とあり、こちらベルツ博士もその1人であったとのこと。
 夫の母はこの「ベルツ水」を私に教えてくれて、私も長い間アルコールとグリセリンを薬局で買ってきて自分で作っていました。アルコール1:グリセリン1:水4の割合で作るということでした。

 また、館内写真を撮るのは控えましたが、NHKのドラマ「坂の上の雲」の出演者や有名人の自筆コメントが色々展示されていました。
その中ではで秋山真之を演じた本木 雅弘さんが、自分のポートレートの上に達筆の筆文字でびっしりと書いていた(写真の上にびっしりとだったので何を書いていたのかよくわからなかったけれど)のは、すごいなあと思いました。彼は書がうまいとは聞いていましたが。
 それから、その母を演じた竹下景子さんが原稿用紙に丁寧なペン字で、真之の母はリズミカルに真之のおやつ代わりの豆を炒っていたことから長男の好古の意見がなかったらよそへ養子にやられていたかもしれない、5人兄弟の末っ子の真之はさぞかわいかったのだろうということと、火事騒ぎを起こした時には短刀を突き付けて諭したという毅然とした態度に、母の思いを感じたというくだりが印象に残りました。
 また、哲学者の山折哲雄氏の書いていたことは、「司馬遼太郎が小説「坂の上の雲」で、野木希典はじめ陸軍幹部の作戦のまずさなどを指摘していたけれども、自分が感じたのはもちろん軍の上層部のそういうまずさもあるけれども何よりも、その命令に素直に従った当時の日本人の温順さであった、と言う意味のくだりでした。帰り際で急いで読んだものですからもしかしたら取り違えもあるかもしれませんが。
 
 明治と言う日本の近代国家の曙の時代、坂の上には白い雲がある、そこを目指して這い上がろうとしていた、秋山好古、真之兄弟、正岡子規という3人の偉人・文人を取り上げて40代のほぼすべてを使って司馬遼太郎が書いたという壮大な小説の時代背景を駆け足で見せてもらって、彼らのおかげで今の日本もあるのだなと思えたひとときでした。
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by kurashiki-keiko | 2011-07-25 03:56 | おでかけ | Comments(4)

Commented by pcvhirose at 2011-07-25 20:53
今晩は。
松山は歴史が満杯です。
なかなか良い旅でしたね。
Commented by kurashiki-keiko at 2011-07-26 00:39
pcyhirose様、そうですね、ほかにも行ってみたいところはいっぱいだったのですが、何しろ遠いので時間がなくて残念でした。
Commented by bisui at 2011-07-26 09:02 x
高速道と橋が架かったので、昔は泊まりがけで行かなければならなかった松山も、日帰りになりましたね。随分便利になりました。
それにしても一日の旅をしながら、これだけの写真と文章を書かれる力には、何時もの事ですが感服しています。
Commented by kurashiki-keiko at 2011-07-26 15:56
busui様、行きは私、帰りは夫が運転しました。高速道路ができたおかげで日帰りできました。片道3時間余りはやっぱり少々きつかったです。
写真についてですが、気づいてみればデジカメを忘れていまして、近頃は携帯も画素数が上がったおかげで自分のパソコンに写メールを送って編集しました。充電したばかりだったのでよかったです。文章の方はところどころメモして、あとは「ブログにどう書こうか」と思いつつ見学するのでよいのでしょうか。おかげさまで見るのにもしっかり味わいつつ見られるのと、記憶をしっかりできるのがありがたいと思います。
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