北近畿の旅 その1 但馬

 2012年5月12日(土)、13日(日)、40代から60代後半までの男女9人の小さい団体で1泊旅行をしてきました。(同じ小学校区の民生委員たちです。積立をしてきていたのを使っての親睦旅行でした)
d0031853_4451156.jpg


d0031853_4454188.jpg

左に1人用、右に2人用のシートのある小さいバスでした。

d0031853_4471222.jpg
室町時代に造営されたらしい竹田城址の見学には、並川さんというガイドについていただきました。竹田城と言うと、「荒城の月」の歌の大分県かと思いきや、兵庫県の山の中にも「日本のマチュピチュ」と称される城跡があったのは知りませんでした。駐車場からここまで徒歩約20分。





d0031853_4493347.jpg
山腹の何か所かにこうした「竪堀」(たてぼり)があり、攻めてくる敵を攻撃するための物だったようです。

d0031853_4512030.jpg
弓矢の矢の材料の矢竹が生えています。

d0031853_4521386.jpg
熊本城と同じそりを持った城壁です。安土城などの石垣を組んだことで有名な「穴太(あのう)衆」による石組みだそうです。
d0031853_4573350.jpg
こんな風景はなんとなくあのマチュピチュを思わせるような石垣の連続でした。城壁の死角を無くするために随所に五角形の張り出しが作られていて、朝鮮式の物とか聞きました。
 マチュピチュと言われる理由は、土地が冷えて温かい川からの湿り気を含んだ空気がまじりあう時期、この山が霧に包まれる幻想的な風景が出来るからでもあるそうです。
詳しくはこちらの参考サイトをご覧ください。
竹田城址ルートマップ (朝来市(あさこし)のサイト) http://www.city.asago.hyogo.jp/0000001124.html
参考サイト 「竹田城 埋もれた古城」http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kansai/Hyougo/Takeda/
穴太衆 「穴太積みの石垣について」http://www.oumi-castle.net/anou/anoutumi.html


d0031853_4593933.jpg
お昼はちょっと遅くなりましたが、「出石そば」でした。わんこそばみたいに、平たいお皿に少しずつ盛っています。最初はワサビとネギで、あとは山芋だとか卵だとか色々な薬味でどうぞ、ということでした。卵はちょっと失敗でしたが、男性は5枚、女性は1~3枚のお代わりをしていただきました。あとでそば湯が出てきたときに卵汁になっていたので少し残っていたのを捨てて改めてつゆをそば湯で割って飲みました。

d0031853_522533.jpg
この出石の町のシンボル、辰鼓楼(しんころう)です。明治4年(1872年)、旧三の丸大手門脇の櫓台に造られたそうで、明治14年に大時計が寄贈されてからは時計台として親しまれているそうです。

d0031853_555526.jpg
赤い壁の土蔵が珍しくて、「何だろう」と辿っていくと、酒屋さんがありました。出石酒造の酒蔵です。現在も地酒「楽々鶴」を販売しているそうです。

d0031853_574080.jpg
案内図。

d0031853_58935.jpg
宮本武蔵に剣の道を諭したという沢庵和尚が再興したことから沢庵寺とも言われている宗鏡寺で、代々の出石城主の菩提寺でもあるそうです。

 その後、かばん製造で有名な豊岡なので鞄団地で鞄のショッピング・・・のつもりでしたが、出石の駐車場そばに鞄の店があり、そっちの方がよかったわあ、残念、と言っていた人もいました。
豊岡鞄団地のサイト 
http://www2.nkansai.ne.jp/org/kaban/
d0031853_5305691.jpg
夕日ヶ浦の夕日は・・・雲が出ていたのでうまく見ることが出来ませんでした。日没は6時50分過ぎごろでした。
 (つづく)

近畿地方
[PR]

by kurashiki-keiko | 2012-05-14 05:58 | | Comments(0)

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 北近畿の旅 その2 丹後 ありがとう >>