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記録することの意義―「歴史秘話ヒストリア」より

 6月17日夜、NHKの「歴史秘話ヒストリア あなたの知らない信長の素顔 ~英雄を記録した男太田牛一の生涯~」を見ました。
 これまで色々な時代劇で、信長が茶筅のような髷を真っ赤な紐で結っている様子だとか、片肌を脱いで腰からはいろんなものをぶら下げている服装、言葉などや、本能寺の変の最後の様子、また明智光秀の最期などを見てきましたが、それらはすべてこの人のメモ魔ともいえる日記をもとに編集された「信長公記」という書物が基になっていることを初めて知りました。
 長篠の戦いで失った配下の侍たちの名を知るにつけ涙を流していた信長を身近に見て、一生この人に仕えよう、と決心したという牛一は、信長のすることなす事、また後に築城した安土城の築城の様子や内装まで細かく記録していたおかげで、城が焼け落ちた後でもCGによって復元することができるのだそうです。
 また、本能寺の変の時にはその場にいなくて、信長の最期をどうしても知りたい、と、仕えていた配下の者たちの消息をたずね、生き延びていた人についにたどり着いたそうです。それはそばに仕えていた侍女たちでした。そして信長は自分にかまわず逃げろ、と思いやりの言葉を掛けたこと、この事件については「是非に及ばず」と言ったという事までを聞き取ることができた、というのです。
 さらに、知られていなかった光秀の最期についても、そのあたりを取材して回り、ついに農民が、さびた槍でそこらを突きまわっていたら、かくれていた光秀の腹のあたりを刺した、という証言にたどり着いたそうです。
 これらは同時代に生きた彼が「取材」していなければ決して世に知られることがなかった貴重な証言であり、これらをまとめて「信長公記」という書物に表すのにおよそ20年の歳月を要した、というのもこの人の、主君信長の様子を後世にどうしても正しく伝えたい、という願いと熱意によるものが大きかったのだと知りました。
 稀代の英雄信長と出会ったという事がこの人を突き動かした動機であったろうとは思いますが、この番組を通して、記録することの意味とか意義を深く感じたことでした。

 以前に、「武士の家計簿」という映画を見て、市井の下級武士の家計簿から、その時代に生きた侍の生き方を知るところになったことを思いだすこともあり、たとえ高名な人物でなくとも、私達主婦のささやかな家計簿でも、記録する事で資料となる、と思ったことでした。
 このブログも、サーバーが落ちればおしまいかもしれないと思いつつ、また、私が平成9年7月から続けている家族新聞も、この家族だけの話ではありますが、小さな小さな歴史の一つなのかな、と思ったことでした。
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by kurashiki-keiko | 2015-06-18 09:42 | 新聞・テレビから思う | Comments(0)

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