旅を終えて
2005年 11月 15日
雲仙の沸き立つ地面を見る人々のシルエット。
東シナ海に沈む夕日が宿から見えた。水平線に沈む太陽はめったに見られない。
島原、天草の農民たちが立てこもった原城の古い石垣が発掘されていました。天草四郎は弱冠16歳、一揆を企てたリーダーというよりは、大人たちによって象徴的に祭り上げられたと考えるほうが妥当だろうとの話。
天草四郎は本名益田四郎、身長が155cmくらいだったそうだ。
大江天主堂。25歳から82歳でなくなるまでをこの地で布教活動に専心した神父さんが私財を投じて建てられた地元密着の教会堂。残念ながら月曜はしまっているみたいで中が見られませんでした。
山崎朋子著『サンダカン八番娼館』にも書かれていた(と思う)崎津天主堂。畳の会堂ですが、お年寄りの多い信者のために最近いす席になったようです。
ここは山崎朋子さんが海からのほうがいいと書いていたので、湾の向こう岸から見てみました。漁師町にそびえるゴシック風の尖塔。
仏教徒の大工鉄川与助が棟梁に名って建てた数多くの教会堂のひとつだそうだ。五島に行ったときもこの棟梁が建てたという会堂を多く見ました。こうもり天井など、荘厳な雰囲気を演出したこれは木造だというからちょっと驚きです。
島原、雲仙はキリシタン殉教の話やら、隠れキリシタンの話やらを多く聞きます。私はその隠れキリシタンと、古い教会堂に興味があって、五島、平戸、長崎と旅してきました。今回の雲仙、島原、天草あたりは平地が少なく、農地も米が取れなくて貧しい中、領主によって年貢米を厳しく取り立てられていました。。
娘を売る話も、天草四郎の百姓一揆の話も、隠れキリシタンになっても教えを捨てなかったことも、みんな貧しさということが根源にあると思います。この今の貧しい暮らしから救い出してくれるものとしてキリスト教を受け入れたのではないでしょうか。「幸いなるかな、心の貧しきもの」といわれたのは、金持ちで満足していたらもとめる心もないということなのではないかと思います。
by kurashiki-keiko | 2005-11-15 23:45 | 旅 | Comments(2)