火砕流の後は

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平成深山という名をつけられたあのときの雲仙普賢岳は、わずかな白い煙を出すだけになって収束していました。この土砂の流の下で、40数人の尊い犠牲があったのです。
 この扇型の土地の分厚い土砂の上に、新たに住宅団地と道路が建設されていました。


d0031853_2071548.jpg旧大野木場小学校の建物は、火山灰などが教室の中に入ったままで保存されているそうです。今は別の場所に新しい建物が建てられています。
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by kurashiki-keiko | 2005-11-17 20:10 | | Comments(0)

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