早島町を散歩―戸川家記念館、いかしの舎(や)、お祭り

10月18日(日)、久しぶりに早島へ歩きに出かけました。
かつて歩いたので勝手がわかり、公民館の駐車場へ。と、お祭りのためかほぼ満車でした。
公民館で「不老の道」ウオーキングマップを入手して歩きはじめました。
d0031853_02562684.jpg
右手が町役場、左手がイベントホール「ゆるびの舎(や)」です。
ゆるびの舎の手前を左に曲がりました。
d0031853_02580993.jpg
車の多く通る道路沿いに小さな看板と案内の石柱、ベンチのある一角があります。
d0031853_02593357.jpg
今では小学校の一画になっている旗本戸川家の陣屋の遺構についての説明版です。旗本の中では三千石というのは上から5%くらいの格だったようです。
d0031853_03015196.jpg
「不老のみち」という茶色の案内板があります。看板右手が戸川家記念館の建物、左手がその家老格?のお医者さんのお屋敷のようです。
d0031853_03035440.jpg
土塀に囲まれたお屋敷。早島にはこのような古い民家が点在していますが、最近の住宅開発で新しい家が増え、埋もれるようになってきています。古い家を不便を忍びつつも管理して住み続けるのは大変と思いますが値打ちのあることだと思います。
d0031853_03045517.jpg
戸川家記念館です。もとは戸川家の何かの蔵だったのが一時はイグサの倉庫にされていたのが、バブルのころに戸川家ゆかりの品を展示する記念館になったそうです。
日曜祝日しか開館していなくて、受付・ガイド役に高齢男性がお1人。先客が2人ほど、入れ違いに帰られ、私たち夫婦とサラリーマン・営業マンみたいな若い人一人。戸川家の系図だとか、ウサギの形の飾りのついた兜のある甲冑だとか、ゆかりの興味深い品々。
戸川家は戦国大名の宇喜多の家臣だったそうですが、徳川の世になってこの地を拝領し、その子孫の兄弟たちでこのあたり一円を治めていたようです。
 私は平家物語が大好きなのですが、甲冑を見ると、源平時代のものとはだいぶ違い、肩の部分を覆う板状の鎧の部分がくさりかたびらのようになってより動きやすく、また腰巻の当たりも重い板状のものからネット状のものに変化しているのが面白いと思いました。
 また、以前にも拝見して興味深かったものの一つに、鶴崎神社に元のものがあるという、高梁川が氾濫した時の絵図がありました。酒津の当たりの堤防が決壊して、広範囲に洪水が起き、ここ早島あたりでも6尺というから1m80cmほども水に浸かったというのです。先般の鬼怒川の土手の決壊の映像がまだ記憶に新しい所ですし、高梁川水系でもいくら土手が頑丈とはいえこの頃は記録にないほどの豪雨が川筋に沿ってあると、あながち大丈夫と言っておられないかもしれないとその洪水絵図を見ながら思いました。
 興味の赴くままに質問していたらお昼近くになり、このあたりで食べられるお店は「いかしの家(や)」しかないので少しコースを引き返して食べに行きました。
d0031853_03192122.jpg
ちょうどお茶会の様なイベントがあったのか、レストランは満席状態、カウンターにやっと座れました。メニューはこちら。
d0031853_03202060.jpg
「いかしの舎弁当1,000円」、これこれ、と注文したら「限定10食」というのを見逃していて、満席の店内、当然のように終わっていました。残念。そこでカレーライス、飲み物付き900円を。
d0031853_03231929.jpg
再び歩きましたが、この日は快晴でちょっと歩くには暑くて、あまり距離を歩かず、小さく回って帰ることにしました。すると
d0031853_03253563.jpg
行く手をお祭りの行列が通って行きました。ちょうどお祭りの日でした。
この前私の地区を歩いた子どもみこしの行列とは違い、地元を挙げてという感じの住民たちのお祭りでした。
d0031853_03272242.jpg
おみこしの警護役?「鬼」の扮装をした人たち。この地域のお祭り独特の扮装です。
d0031853_03284945.jpg
ちょうどおみこしご一行と歩く方向が一緒になって、向うにちょうどおみこしが2台。2つの神社のお祭りでした。
d0031853_03301279.jpg
おみこし2台並べてそれぞれの宮司さんが祝詞をあげ、一同神妙に頭を下げていらっしゃいました。この道沿いには長い長いお祭りの列が続いていました。
d0031853_03321564.jpg
出発点の公民館にほど近い「ゆるびの舎(や)」に帰ってきました。中をのぞいてみると、スタインウエイのピアノをリレーで演奏するというピアノコンサートが開かれており、発表を終えたきれいなドレスを着た女の子たちが記念撮影をしてもらったりお花をもらったりしていました。

リンク:早島町観光センター⇒http://www.town.hayashima.lg.jp/kankoucenter/kankouwalk.html
早島は2009年1月10日に歩きに行きました。
その様子はこちら⇒http://kurakeiko.exblog.jp/9183565/
かなり詳しくコースの写真を載せています。またその様子を当時連載していたメールマガジンに載せていますので記事中のリンクからお読み下されば幸いです。

[PR]

by kurashiki-keiko | 2015-10-19 03:40 | おでかけ | Comments(4)

Commented at 2015-10-19 15:24
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by mmkk1114 at 2015-10-20 02:05 x
こんばんは!
東京下町にはない情景です。東京大空襲で古き良き物が失われました。
谷根千~谷中 根津 千駄木辺りへ行くと、見られますが。
天高し不老の道を歩くかな
いいお写真 ありがとうございます。
Commented by kurashiki-keiko at 2015-10-21 12:05
鍵コメ様、OKです。どうぞ。
Commented by kurashiki-keiko at 2015-10-21 12:08
mmkk1114様、早島町は町村合併をしないで独立独歩の道を歩いており、まずは学校を立派に立て替えて、役場は後回しの木造の古びた建物で長い間過ごしていて、先憂後楽を地で行くような町です。今は役場も立派に建て替わり、その脇にはイベントホールも建ち、小さいけれど立派な町だと思います。のどかな中にお祭りのような地域行事も息づいていていいなあと今回も思いました。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 中国銀行本町出張所が大原美術館... 懐かしい匂い >>