なつかしい町―児島味野―を訪ねて

倉敷の町屋トラストが出しているイベントのパンフレットの様々なイベントの中に、私がかつて高校生時代に時々通っていた教会のオープンハウスというのを発見し、懐かしくて行って見ることにしました。
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味野の市営駐車場に車を置いて徒歩10分くらいか。当時は車も少なかったので、道路もこんなに狭かったかと思いながら歩きました。昭和30年代には大勢の住民が若くて活気があった住宅地も、車社会になってみると車一台がやっとの道幅ではなかなか発展性がなく、所所に空き家らしい建物やら更地がありました。そんな中、山の中腹の見晴らしの良い教会にたどり着きました。オープンハウスということで、ほかにもカメラ片手の若いカップルなども。
日曜礼拝の時間で牧師さんの声が響いていました。
蔵の中をどうぞ、と言われて行って見ると、昔庭にあったという、キリシタン灯篭も砂岩で浸食されるので、と取り込んであったり、懐かしい時代の写真がありました。
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こちらが昔私が高校生時代に行っていたころのお屋敷の面影のある教会の建物。お金持ちの荻野家の建物を買い取ったものです。余談ですが私の父の従姉妹が、ここの元の持ち主のお嬢さんと岡山の一女で同級生だったそうでした。
私が行く気になったのは、当時スウェーデン人の宣教師家族がいて、外国人が物珍しくもあったためです。エバちゃんという女の子は地元幼稚園に通っていました。高校生対象のクリスマス会にも参加したり、奥さんが牧師館でケーキを焼いて見せてくれてとても珍しく、それをおやつにいただいたりしていました。そこで聖書の勉強をかじったこともあり、大学でも聖書研究の授業を取りました。
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庭から古い母屋と新築された教会堂の建物を見たところ。
受付には母と読書会で一緒だったというお方がいらっしゃいました。
なつかしくなって、昔住んでいた家の方へ行って見ることにしました。
中学時代に通学路として徒歩で通った道を通ったのですが、こちらも空き地が所々にあったり、伸び放題の木々のある立派な塀の建物があったり、人っ子一人歩いておらずひっそりしていました。
そして、我が家へ入る路地の入口の家の前庭で畑の草取りをしている女性がいました。なんと、お隣の家の同級生。もう40年ぶりくらいでしょうか。話しかけると向うも、信じられないという面持ちで私を確認し、近況だの友達のことだのを話し込んでしまいました。
懐かしい我が家、今は何もなくなって。小学1年生で私はこの家に越してきました。当時は板塀に囲まれていて、お隣は2軒長屋、そのこちら側は玄関の土間に少し建て増しをして、4人くらいお姉さんを雇って学生服の部分縫いの家内工業の工場にしていて、ラジオの音を流しつつ工業用ミシンのがー、がー、という音が響いていました。
木造平屋建ての安普請の家で、太った父が廊下を歩くとみしみしいうような家でした。住み始めたのが昭和31年のことでしたので、当時はベビーブーム世代の子供たちが近所にいっぱいいて、路地を友達のお兄さんのガキ大将を筆頭に路地を駆け回ったものです。d0031853_02514934.jpgd0031853_02510804.jpg














坂道を下って行くと、わが母校なのです。正面の門の所。が、こちらはだいぶ前に山の上に移転してしかもその後学校統合により名前が変わり母校は消滅してしまいました。校舎も取り壊され、今は何に利用されているのやら、わけのわからない空き地みたいな感じです。
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かわらないのはこちら
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塩田王、野崎武左衛門の記念碑です。
この記念碑のまわりの庭園は昔の遊び場でした。
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この建物は昔映画館でした。昔この道の背後にあたるところに敷島紡績の工場の従業員出入り口があり、自転車の人が大勢出入りしていました。友達のお母さんが映画館を、お父さんが電器屋さんをしていました。今回行って見ると、1階左手には先ほどの教会を設計した設計事務所らしいのが入居していて、向かって右手が友達の息子さんがシェフをしているフレンチレストランのようでした。
商店街には、昔は大勢の人が歩いていたものでしたが、人っ子一人歩いていません。
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10年くらい前に知り合った和菓子屋の「塩ちゃん」が、「猫の足音が聞こえる」などと言っていましたが、本当にそんな感じ。
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あら、昔はアーケードに隠れていた本屋さんの建物って、こんなに立派だったんだ。中学の担任の先生が下宿されていたけれど、上の方にはこんなに部屋数があったのね。
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あれ?商店街のまん中にある天神様の鳥居の下で何やら若い人が。このあたりからハロウィーンの扮装をした子どもや若い人の姿が目につくようになってきました。あれ?
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な、なんだろう、この子供たちは?この写真の上の方にはジーンズがぶら下がった「ジーンズストリート」の象徴のような飾り?があります。
先日NHKのラジオやらTVやらでこちらは取り上げられていましたね。
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今でもがんばって営業している「塩尻喜月堂」の和菓子屋さん。売り物は塩田のあった児島らしく「塩羊羹」「塩饅頭」。祖父母の家に夏休みなどに行くときには決まってここの塩羊羹をお土産に持って行っていました。
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塩饅頭もデニムでラッピングしてお土産としてグレードアップしているようです。子供たちも興味深々でみています。
塩ちゃん、がんばっていますね。
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死んだようにひっそりとしていた児島の商店街も、地域おこしのジーンズストリートのあたりは人が行きかっているのを見てホッとしました。閉鎖的だった狭い商店街の道にも、南北に風通し良くなる広い道路がついて、現代に生き残る道を探っているようです。本当に、がんばってほしい児島の町です。



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by kurashiki-keiko | 2015-10-27 03:33 | しみじみしたこと | Comments(2)

Commented by mmkk1114 at 2015-10-27 14:36 x
こんにちは!
あの「藤戸」で知られる児島に、聖キリスト教会が在りますか。
佐々木盛綱に浅瀬を教えて殺された漁師、その母を謡う「藤戸」
盛綱は戦功の恩賞に児島を与えられた。
能のキリは…成仏得脱の身とぞなりにける…と。
その児島に聖キリスト教会が~
行く秋の藤戸の渡り偲ばるる
藤戸は私の一番好きな謡です…
春の湊の行く末や 春の湊の行く末や 藤戸の渡りなるらん~
ありがとうございます。
Commented by kurashiki-keiko at 2015-10-27 16:43
mmkk1114様、備前児島は源平の頃には本当に島だったようですが、こちらの味野は藤戸とはだいぶ離れております。
藤戸は北の端、こちら味野は南側の海沿いですので、昔は入浜式の塩田が広がっていて、その塩田の持ち主が記事中にある塩田王の野崎武左衛門という人でした。
また、一番南の端が瀬戸大橋のかかる下津井という町で、北前船が出入りする港町でした。
その岬の上が鷲羽山(わしゅうざん)で、関取の鷲羽山のしこ名の元になっています。
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