琴の音を聞いて
2017年 02月 05日
お正月というとお琴の音がふさわしく、年中では一番よく聞かれる季節です。
寒中見舞いをくださったどなたもお琴についてはたぶんご存じなかったので書かれていませんでしたが、母は花嫁修業のひとつだったのでしょうか、なんとか社中で琴会に出ていたそうです。子供の頃の我が家のお座敷の床の間にはお琴が立てかけられてあって、たまにおさらいをすることもあったり、ことにお正月などは出して弾いていました。私自身もほんの一時でしたが、小学校3年生の頃には習っていたことがありました。ご近所のお宅に先生が遠くから通ってこられていて、近所の女の子が4、5人習いに行っていました。一度だけそのお宅でささやかな琴会を開いて、私も晴着を着て簡単な「さくらさくら」だったか「数え歌」だったかを披露したことがありました。
それはともかく、母はお琴と三味線を少々弾いていて、「何を弾こうかね」などと言いつつ、「これは古い昔からの曲」だとか言って解説を交えながら弾いてくれたものでした。私はといえば少々退屈したりしながらも、お琴の音は嫌いではなかったのでそばで聞いていたりしました。
同じく花嫁修業のひとつとして母は洋裁学校にも通い、当時は既製服もあまりなかった時代でしたので、私の子供服は大体母が縫ってくれていましたし、高校の制服から学生時代の普段着やパンツスーツまで私の希望に応じて縫ってくれていました。
また、編み物が得意な祖母に育てられたせいか、編み物も上手で、手編みのセーターやカーディガンを作ってくれたり、機械編みが流行った後は編み機も使って作ってくれていました。
というわけで、母は本当に色々とできた人だったなあと、楽器も洋裁もできない不器用な娘の私はしみじみ思いだすのです。女学校時代はバレーボールや弓道などもした活発な子だったそうでしたが、その後52歳で運転免許を取ると、忙しくて教習所に通う時間もなかった父に代わって運転手としてあちこちに出かけていました。 やっぱり母はできたスーパーおかあさんだったなと思います。
お琴の音がラジオから流れてきて、ついついそんな思いにふけった私でした。