旧中国銀行倉敷本町出張所と大原家別邸「有隣荘」見学ツアー

https://www.okayama-kanko.jp/modules/kankouinfo/pub_topics_detail.php?sel_id=3452
先日
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ミニコミ紙を見ていて広告が出ていたので早速ツアーを申し込みました。
10月からやっているとは知りませんでしたが、あと2回くらいは催されるみたいです。
これまでにない厳しい寒さの中、朝10時に、今は営業をやめている旧中国銀行倉敷本町出張所の建物に集合。倉敷に住むようになってずっと利用していた銀行でした。営業を駅前支店に統合されてしまい、今は駅前に行っていますが、お向かいが郵便局なのでとても便利だったのです。
 それはさておき、
定員は40人との事で、たぶん30数人くらい、カメラを持ったりリュックをしょったり、結構カメラ好きと思しきシニアの男女が多かったようです。
参加費一人2,000円はちとお高い、と思いつつ会費を出して、元は銀行員さんたちがお仕事していたフロアに置かれていた、まるで大学の講義を受けたときみたいな小机つきの椅子に着席。

 すると、大原美術館の学芸員さんによる詳しい説明が始まりました。この建物はもとは倉敷銀行本店として、1922年に建ったそうです。設計者は総社市出身の薬師寺主計(やくしじかずえ)。大原さんの援助で東京帝国大学の建築学科に学んだそうです。その後陸軍省に勤め、1年半ほどヨーロッパに留学、その間に児島虎次郎と向こうで会ったり、また上野の国立西洋美術館の設計者のル・コルビュジエに日本人として初めて会ったそうです。当時どちらも30代。
 その後陸軍省が居心地悪くなったようで、大原さんの会社クラレに。
 そして、大原家別邸の有隣荘や、大原美術館本館、喫茶エル・グレコ(旧・奨農土地の事務所だったそうです)などを設計。明り取りの窓に独特のものがあり、大原美術館2階の丸窓や、こちらの建物のステンドグラスに特徴があるのだとか。
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こちらのステンドグラスは、当時日本でただ1か所、関西で木内慎太郎さんが技術を持っていたそうです。ほかにその木内さんの作品は、都ホテルにあるそうです。そして木内さんの最高傑作というのが、今は取り壊されてない、岡山市の中国銀行旧本店の建物だったそうです。この建物の特徴はアールデコ様式なのだそうです。
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こちら、今は一般公開されていない大原家別邸「有隣荘」の暖炉のある広い洋間からお庭を見たところです。暖炉の炉の上の壁には、エジプト模様が彫り込まれた石が。いわく因縁はわからないそうですが、児島虎次郎のエジプト好きが影響しているのは確からしいです。
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こちら1階のお座敷から見たお庭。大原孫三郎さんは庭の造作にもこだわりがあって、この2個の巨石はもとは右手にあったのを、今の位置に移させたのだそうです。石は墓石など高級なものに使われる四国の庵治石だそうです。
因みに、こちらの有隣荘の建物は、大原美術館本館の5倍の建設費がかかったのだとか。材料の木材も節のない正目のが縁側や階段、廊下に使われていて、建物内の撮影は不許可だったのですが、なるほどと思いました。
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こちら、2階の北側から見下ろしたところ。お茶室が見えます。北側は先ほどの旧・中国銀行倉敷本町出張所です。
和室のお軸は棟方志功の絵でした。棟方志功もバーナード・リーチや浜田省吾などと同じく大原家にやってきた文人墨客の一人で、版画としては倉敷国際ホテルのロビー正面の大作が有名です。
2階は4畳半、6畳、10畳と広い廊下が南と北にとってありました。この和室の設計は、薬師寺主計の恩師である伊藤忠太の設計で、この人は築地本願寺などの設計を手掛けているそうです。

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茶室の向こうには、鶴形山や阿智神社も見えます。
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こちら、左側は公開されていない食堂や浴室などのエリアらしいです。右手は和室です。
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門の内側にある狛犬みたいな置物ですが、石灰石で出来ているのか、半分顔が溶けているみたいになっています。
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2階にいるときに、屋根の端っこの飾りの説明がありました。上半身が鷹、下半身が猫か虎みたいな生き物で家の守り神なのかもしれません。
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遠すぎてトリミングして拡大してみましたが、手ぶれのためかやはりはっきりとはわかりません。
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右手が大原家別邸有隣荘、別名「緑御殿」。
左手の日本家屋が、寛政年間に建てられた大原家の本邸。手前の今橋は、児島虎次郎デザインで薬師寺主計の設計らしいです。
仕事を熱心にするあまり家庭を顧みることの少なかった大原孫三郎は、家庭をもっと大切にするために有隣荘を建てたそうですが、やはりあまり変わらず、夫人が一人淋しく住んでいたそうで、その夫人も隣の江戸時代からの本邸から有隣荘へ引っ越してからは1年程住んだだけで病気で亡くなったそうです。なんとももったいない。
1時間の見学ツアーでした。一番寒い日で、しっかり防寒着を着こんでいきました。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-11 16:30 | おでかけ | Comments(0)

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