父の思い出

13日から「コウノドリ」というドラマが始まりました。
赤ちゃん誕生の周辺を扱う、周産期医療の現場のドラマのようです。

私の父は地方の公立病院で長年ただ一人の産婦人科医として勤めていました。このドラマのような大勢の働く近代的な病院ではなかったので、孤軍奮闘だったと思われます。ドラマでは医者同士の人間模様も描かれていますが、父の板病院では産婦人科医は一人だったものですから、同僚とのやり取りはなく、四六時中のお産もあったのに病院としての当直勤務も入っていて、休みらしい休みはあったのでしょうか。
 年末年始にも当直が当たると休めませんし、日曜日も「抜糸がある」とよく出かけていました。当時は車を持つこともなかったので、冬の夜中でもお産の呼び出しがあると、熊のような体に母の編んだ毛糸のターバンのような帽子をかぶり、自転車で出かけて行っていました。
 当然ながら家族でどこかへ泊りがけで出かけたという記憶はなく、日帰りで姫路城と、金毘羅へ出かけたことがあったなあ、という程度でした。
 ドラマのようないろんな出産事情が地方の病院にあったかどうかはわかりませんが、高齢出産の人が生んだ赤ちゃんが一目でダウン症だとわかったという話だとかは聞いたことがありました。
 私も結婚して子供を産むことになったとき、実家に帰り、父の病院でお産をしました。まさか父に子供3人ともお産の世話になるとは子供の頃には思いもよりませんでしたが。産気づいたときが夜の11時ごろだった長女の時と、朝がただった次男の時には父が私の身の回り品を入れたスーツケースを自転車に付けてくれて歩いて一緒に病院へ行きました。(長男の時には夕方だったのでタクシーで一人で行きました)父と二人で歩くことはたぶんこの先ないのかもしれない、と思いながら一緒に歩いたことを思いだします。
 看護師さんたちは父の娘だから何でもよく知っているのだろうと思われたようでそれが困りました。ただあんまり見苦しく痛がるな、ということは言われていました。孫を取り上げた父の気持はどうだったのでしょう。

 ドラマでは主人公は天才的なピアニストでもあるということになっていてすごいなと思いますが、父は学生時代に弾いていたマンドリンが趣味で40代?の頃は一時期ギターマンドリンクラブのコンサートマスター兼アレンジャーみたいなことをしていました。一度は公民館のホールで演奏会を開いたこともありました。あの頃の父は毎晩テレビの前で胡坐をかいてマンドリンをチリチリならしていましたっけ。ラジオ深夜便で思い出の曲リクエストコーナー、か何かで、「丘を越えて」のギターマンドリンのイントロが流れた時、父を思ってぐっときました。
 
 ともかく、夜中に仕事をすることも多々あった父の影響を受けたのかどうか、夜中に起きているのが割合平気な性分になってしまったのは因果な事です。

   ↓ 「丘を越えて」動画



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by kurashiki-keiko | 2017-10-14 03:07 | しみじみしたこと | Comments(2)

Commented by memmon at 2017-10-14 08:19
素晴らしいお話しですね。
Commented by kurashiki-keiko at 2017-10-18 23:06
memmon様、ありがとうございます。
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