瀬戸大橋、さぬきうどん、屋島の古戦場、水族館
2006年 08月 16日
男性の呉さんは北朝鮮までたったの50mほどの距離の川を挟んだ吉林省の延吉の出身で、人の姿も見えるほどだったそうで、子供はそっと泳いで中国に遊びに来てまた帰るなどということもあったとか。あまり詳しく聞くとまた国際問題に発展?かもしれず、特に終戦の日のこの日、観光を主体なので難しい話は避けました。
「奥さんが来るとガイドが楽しみ」などとお世辞を言われていい気になって、藤戸の付近では、「ここは800年昔には海だったの。源氏と平家が戦いをして、海の浅瀬を教えてくれた漁師を、秘密を守るために殺した佐々木盛綱を、漁師の母が憎んで『佐々木と聞けば笹まで憎い』と、付近の小山の笹を抜いてしまった、という言い伝えがあります」などとガイド。中国人女性の李さんは彼氏の呉さんに通訳。韓国人のイ(こちらも漢字では李)さんは、来日4年目なので日本語はよくわかります。
よく晴れ渡って、瀬戸内海の海の流れがよく見えました。「瀬戸内海はまるで川みたいに流れが急なんですよ」とガイド。知らない人が海水浴場の沖に泳ぎ出て流れされることはよくあることです。
途中与島に降りて、フィッシャーマンズワーフにて。ここはサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフをまねて作られたようで、瀬戸大橋のできたころはアメリカ人バンドも入って海をバックにしたステージで歌い、にぎやかでした。
外国人向けのガイドとしては、「日本の富士山は有名ですけど、どこにも富士山に似た山を何々富士というの。この山もそうで、『讃岐富士』と言うの。本当は飯山と言うんですけど」高速道路のすぐ横に大きな「讃岐富士」の看板があります。
同じく外人たち向けのガイド「あの台形の特徴ある山が屋島です。あれも火山の一種で、さらさらした溶岩が固まってできたのであのような形になったの」
「日本一大きなうどんや」という屋島ふもとの「わら家」へ。お盆なので10mくらいは行列がありましたが、どんどん前へ行き、割合すぐ座れました。店内とにかく満席。
天ぷら2皿と家族うどん(約4人前)と、ざるうどん1枚頼みました。写真手前の一升徳利がつゆの容器。しかし打ち明けますと、このたらいの家族うどん、夫が言うには昔より味が落ちたそうです。腰が少し弱いのと、つゆの味が落ちたとか。ザルのほうは腰もしっかりしていて、こっちのほうがおいしかったです。
ご案内した3人。
左から中国人の呉さん、李さん〈来日6年目くらい?)、韓国人で来日4年のイ(李)さん。
すっかり陸地になっていますが、屋島の合戦の古戦場です。右下あたりに義経が弓を流して必死に拾い上げたと言うエピソードのある地があるそうです。
車を止めて私たちが説明版を見たり記念撮影していると、「なんだろう」というわけで、後から3台ほどの車がとまりました。私たちが止まってなかったら、たぶん通過したんでしょうね。
そう、これが那須与一の絵ですね。中国人にもその「扇の的」のエピソードを車中でガイドしました。滅ぶ平家の象徴ともなった扇の的のひらひらと輝きながら海に落ちるさまはうまく通訳されたかどうかわかりませんが。
駐車場から水族館までは徒歩で400m。木陰で涼しい道でした。セミが各種鳴いていて、韓国ではミンミンゼミしか聞かないのにこちらのセミは音がすごい、とのこと。
途中にかわらけを飛ばす場所があり、そのところは木もなくとにかく暑い、おあつらえ向きの茶店にはカキ氷が!!と言うわけで初の氷。3人はいちご、1人はイチゴミルク、私は宇治。あー、生き返った。
水族館では呼び物の電気うなぎや・・・
ドーナッツ型の回遊魚の水槽を見たり・・・
よく訓練されたあしかのショーを見たりしました。特に3頭目の「学校に遅刻したあしか」さんが、私たちのすぐ横の客席側から滑り込んできてプールにどぼんしてから駆けつける場面がよかったです。おまけに遅刻して立たされて、本当に立ったのにはびっくりでした。
帰りにはお客様たちは疲れて後部でぐっすり寝ていたりして。。。
夕陽の瀬戸大橋は絶対にお勧めなんですが、まだ4時前だったのでそれには早すぎました。
彼らは実は前日に倉敷美観地区に行っていたそうで、大原美術館の入場が4時半までで入れなかったので、また行きたいとのことで、大原美術館の近くまで送りました。
この記事は、メールマガジン「WeeklyKURASHIKI」に連載中の「Keikoのお出かけ日記」(220)として掲載されます。
by kurashiki-keiko | 2006-08-16 01:22 | おでかけ | Comments(5)
keikoさんのガイド付きで・・・^^ありがとうございます。
学生時代に、高松のお友達の家に息、そこから男木島、女木島
に行ったり、宇高連絡線に乗ってどこか(あまりに昔のことで、
忘れました^^)に行ったことを思い出しました。
倉敷は大原美術館もそのそばにあった有名な(当時)喫茶店も
はっきり覚えています。それに流れに沿って続く柳並木なども・・・
与島のフィッシャーマンズワーフは何度も行きました。
でも、このような説明はできない・・・(泣)
「ベゴニア海花園」がオープンしたそうなので、又行ってみようと思っていました。
四国村の入口近くにある「わら屋」も3回ほど行っています。
6人で行って、釜揚げの「家族うどん」を食べました。
屋島には何度行ったかなあ・・
今、広島に住んでいる長女の嫁ぎ先が香川なので、四国にはよく行っていたのです。
keikoさんのガイドは上手すぎます。
なんでもよくご存知なので出来ることなのですね。
ホントに凄いです(^o^)/パチパチ