母の手紙を代筆して

 86歳になる母の手紙をパソコンで代筆?しました。母が敬愛していた夫の小学生時代の担任の先生が、一人になられてずっと暮らしていたのですが、東京の御子様たちを頼って転居された通知のハガキの返事でした。
 夫の恩師は、小学生のころ、チビでやんちゃだった夫をよく可愛がってくださり、臨海学校で一緒のふとんで寝てくれたとか、先生が妊娠中は夫が近くの商店へ牛乳を買いに行くお使いをしていたとか、物が無い時代だったので、母は友の会で習い覚えたケーキを、自家製?オーブンで焼いて持っていったとか(数年だけ友の会に入っていたそうです)、エピソードがたくさんあった先生とのお付き合いは、もうだから50数年。
 スーパーへ行く道筋に先生のお宅があったので、庭の花がd0031853_172854100.gif咲いたと言っては持って行っていた母なので、昔のことを語れたり教育談義をしたりするお相手がいなくなり、どんなにか淋しいようで、そのことを何度も書いて、書いた便箋を紛失し、また書き、と言う調子で、だいぶ前にも下書きを「これでいいか見て」と言われたはずなのに、また先日も「書き足したから見て」・・・
 
 d0031853_12141365.jpg誰しも80歳を越えると、手首などの筋肉の衰えからか、震えたような読みにくい字になるようですが、母もまた、です。くずし字がさらに流れたような文字。でも、その文章には、先生が遠くへ越していかれてそのよすがにと頂いた菊を大切に水やりしているだの、お宅のお庭が駐車場になっていて切なくて「○○先生、○○先生」と声を出して読んでみたりした、とか、お宅の前を通るのも切ない、とか、切々と淋しさを書かれてありました。
 先生にとっては母の肉筆のほうがいいかと、傍観していましたが、あまりにも長い間清書が出来ないでいたのを見かねて、パソコンで行書体でなるべく肉筆に近いようにと大きな文字にしてプリントしてあげましたら、ことのほか喜んでくれました。
 舅の介護の間は、同居でなくドア1つの2世帯住宅で、ドアを開けてこちらへ帰るとホッとしたものですが、今も、母はよたよたながらも気丈に自立した生活を送ってくれているのをとてもありがたいと思っています。
 母も、自分で出来る事は自分でしながら、高い所のものを取るとか、理解しにくい書類の読み取りを手伝うとか、細々とした助けは必要としているので、近いところに息子や嫁がいるのをとても頼りにしてくれています。
 以前はずい分きつい言葉も言われたり、ひがんだりすねたりと色々ありましたが、最近は感謝の言葉が多く聞かれるようになり、わたしもそれならば、時間の許す限りはそれとなく手助けしようと感じる今日この頃です。
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by kurashiki-keiko | 2006-09-29 12:03 | 老いということ | Comments(3)

Commented by miduki0902 at 2006-09-29 14:39
kurashiki-keiko さんは優しいですね。
私も見習わないと。
Commented by miyakeoriibu at 2006-09-30 20:58
お母様はご高齢でも出来るだけ嫁のkurashiki-keikoさんに迷惑をかけないようにと頑張っていらっしゃるのですね。それが張り合いになってお元気でいらっしゃるのだと思います。お手紙の代筆大変喜ばれたことでしょうね。自分で出来ないことはお母様のように素直にお願いするように可愛く歳をとりたいと思います。
Commented by kurashiki-keiko at 2006-10-01 07:58
皆さまコメントありがとうございました。母(姑)もだんだん年取ってきて、昔のような勢いのある言葉が聞かれなくなり、私を頼りにしてくれるようになりました。それに伴って、私も以前は時折頭をもたげてきた意地悪な気持が引っ込んできて、それとなく補助してあげないと、と思っています。せっかく本人が「自分で出来る間は頑張る」と言う気持ちでいるのを邪魔しないように・・・
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