玉島を歩く その5 源平・水島合戦古戦場の碑


再び地図を載せます。d0031853_23473496.jpgd0031853_2348049.jpg



源平時代の島が今はすっかり陸地になっているのですが、玉島の湾の輪郭と島の形を照らし合わせると、昔の海岸線の位置がわかりました。碑があるのは、ちょうど玉島大橋のたもとの所でした。

橋の下の道路にちょっとした広場があって、そこに車を止めて階段を登りました。d0031853_23503050.jpgd0031853_23504628.jpg

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すると、橋の右手(北側)にこんな碑が建っていました。低いほうの碑に、銅版に平家物語の一節やら、源平合戦のなかでの水島の合戦の位置づけの解説がありました。


寿永2年(1183)旧暦の10月1日、都を捨てた平家軍と、平家討伐の名目で都を追われた木曽義仲軍が、水島で戦を繰り広げることになりました。源氏軍はこの日、大将に矢田義清・侍大将に海野行広を頭に七千余騎が今日の玉島乙島に馳せ参じ、平家方は平知盛(とももり)を大将に、副将軍に平教経(のりつね)以下の軍勢が柏島に陣を構え、互いににらみ合う中、ついに平家の小舟に源氏方が挑発され、五百余りの舟を仕立てて海に漕ぎ出る。
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迎える平家の舟は千隻余。舟をつなぎ板を渡して、源氏方の船頭めがけて矢を射て次々に仕留める作戦。舵とりを失い、折からの強風に煽られる船。右往左往する源氏の軍勢は次々に海に沈んでいきました。加えてこの日は太陽がすっぽり隠れる大きな日食、前もってこれを知っていた平家事は、さらに天の助けと攻め続け、この結果、源氏軍は大敗を喫す。こうして、水島の合戦は、平家唯一の勝ち戦として後世に語り継がれることになったのです。(玉島商工会議所のホームページより)
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ここでお天気が崩れ、雨がポツポツと降りだしたので、帰途に着きました。
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by kurashiki-keiko | 2006-12-18 00:07 | おでかけ | Comments(2)

Commented by nobunobu_ok at 2006-12-19 23:40
その1~その5まで懐かしいところが一杯。私のふるさとを見たような思いです。玉島の町も随分変わったように思っていましたが、まだまだ昔のまんま残っている所も沢山あるのですね。
Commented by kurashiki-keiko at 2006-12-20 23:04
nobunobu_ok様、古そうなところをねらって撮ったというところはありますが、初めて行った玉島の商店街、結構古いところが残っています。
観光ガイドの人も頼めばガイドしてくださるようなので、また行ってみます。
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