ひめゆりの塔ほか

10:55、首里城を出て、本島南部戦跡を目指しました。
まずは平和祈念堂へ。行程は18km。
南風原町(はえばるちょう)というのは聞いたことがありましたが、道路標識に「東風平」。菅原道真が読んだ歌に東風はあるから「こち」とはわかりますが、(こちんだ)とは読めませんね。
平和祈念堂はしかし、観光バスも余り行ってないと思ったら、付近は公園化するためにか工事中で、おまけに塔の内部は大きなホールになっていて絵が展示してあり、中央に大きな仏像。入場料を払って入ったものの、誰もいず、蝶々の飛ぶと言う温室をちょっとのぞいて引き上げました。

d0031853_2321574.jpg有名なひめゆりの塔です。手前に花束を売るところがあったので買っていくと、祭壇には沢山供えてありました。

d0031853_2332670.jpg塔の手前には深い自然の穴が開いていて、そこは乙女たちが多数亡くなったという沖縄陸軍病院第三外科壕跡だと言うことです。
碑の奥に、資料館が建っていて、入ると亡くなった女学校、師範学校の生徒たちの遺影がずらりと展示されており、1枚1枚に名前と、いつ、どこで亡くなったかが書かれていました。
また、生き残った人たち、今は70代後半の女性たちが当時の思い出を語っているビデオが上映されており、釘付けになりました。
毎日何十人もの兵隊の手術が行なわれ、それも手足を切断することが多く、彼女たちがその兵隊の手足を持っている係で、その手順もすっかり覚えてしまったこと、切り離された足はずっしりと重くなり、それを洞窟の外まで運び出すのは引きずっていくほど重かったという話など、まだ十代で医療の教育など受けていなかった彼女たち、顔も洗う暇もないほど連日負傷兵の手当てに明け暮れたそうです。
日本中でここ沖縄だけは、非戦闘員の彼女たちが戦火に直接さらされたのでした。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2007-02-22 23:11 | しみじみしたこと | Comments(2)

Commented by suisui2n at 2007-02-24 00:40
私もここで 涙が止まらなくなり外へ出るのが辛かったです。今でも その当時のまま遺骨がねむるガマがあるそうです。二度と繰り返したくないですね。
Commented by kurashiki-keiko at 2007-02-25 04:39
suisui2n様、最後に行ったのがこのひめゆりの塔でよかったと思います。ここで沖縄の印象が引き締まった感じでした。事実の重さをずっしりと受け止めました。

<< 旅の終盤、やっとであった沖縄風... 首里城 >>