人気ブログランキング | 話題のタグを見る

鹿児島県の旅 その3 知覧

 10月19日(日)、鹿児島県南九州市の知覧に行きました。特攻の基地として有名な知覧は、郷士の城下町でもあったようで、大変広いエリアの武家屋敷が保存されているのを初めて知りました。私たちが車を止めたのは裁判所の近くの駐車場で、18.6ヘクタールあるという武家屋敷エリアの西のはずれから歩き始め、長さ750mの武家屋敷エリアを往復することになりました。私たちがこれまでに見た武家屋敷は、岡山県の足守とか兵庫県のたつの市とか五島列島の福江島とかありましたが、そのどれとも違っていて、
鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_6374978.jpg
高さ1mくらいのしっかり築かれた石垣の上にイヌマキ、またはイヌマキとサツキの二重の生垣で囲まれた大きな面積の家々でした。そのどれもが門の内部は鍵の手に石垣が組んであって外敵が入りにくくしていることと、
鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_641035.jpg街道に出る前やいざ出陣というときに最後には用を足せるようにと、門の脇に厠がかつてはあったそうでした。(写真の門の左脇の建物)その厠に座って、道行く人の会話をひそかに聞いて情報収集をしたのかもしれないとのことで、非常に興味深いガイドが、お庭の濡れ縁などに設置された機械に100円入れると聞けました。
      馬の水呑場らしい。          上玄関と下玄関が隣り合わせ鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_6442381.jpg鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_6444584.jpg
鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_6421647.jpg
お庭のひとつのガイドによると、その借景の庭のつくりが全国的には岡山県高梁市の頼久寺と似ているというのがあってへえーっと興味深く思いました。
お庭を半分くらい見学し、一番奥の7番、森重堅氏庭園へたどり着くと、そこだけは庭に池が掘ってあり、奥の木立が借景となりほかと違った雰囲気。
無料休憩所があり、知覧茶を振舞われました。濃い緑色のお煎茶で、歩いてきたのどを潤すと大変おいしくて、1本600円のを2本購入。ここらはお茶の産地でした。気になっていた茶畑にところどころ高い場所に設置された扇風機についてたずねると、春先の新芽が出るころに霜が降りると困るので霜よけだそうでした。また、お煎茶の入れ方も教わりました。沸騰させたお湯をあらかじめ60度?位に冷ましておくこと、お湯を注ぐと決して急須をゆすらないこと、そして最初は少しの湯を注いで葉を蒸らし、次に湯をどっと入れて湯飲みに出し切ること、急須にお湯を決して残さないこと。また、水出しもでき、氷を入れた急須に水を注ぎ入れ10分間ほどして出すとよいとのことでした。勉強になりました。また、そこでお茶をいただく人3人くらいが、「二ツ家」というわら葺民家の説明に立っていたおばあさんの説明がとても上手だったので忘れられないが、お元気でしょうか、と尋ねられ、入院されているそうでしたが、かなりの名物おばあさんだったようでした。

鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_6471564.jpg そこを出てから角を曲がってすぐのところの民家に、黒豚ラーメンの看板が出たお店「山水」があり、ちょうどもうお昼を過ぎていたので入ってみました。中は普通の民家のお座敷二間をぶち抜きにしたもので、味噌ラーメン600円、塩ラーメン550円にギョーザ300円、チャーハン400円は忙しいときは作らないとの但し書きが。
鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_6475052.jpg素朴なお店でしたがラーメンがおいしかった。スープで煮たらしいゆで卵が美味。


次は知覧特攻平和会館です。母の世代だと女学校時代に兵隊さんを送り出したのでより身近に感じたと思いますが、私くらいでも親たちから話を聞かされている分、厳粛に思いながら行きました。道沿いには戦死した兵士たちの慰霊のための石灯籠がずらりと設置されていました。
鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_14101639.jpg鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_1491447.jpg

鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_14113060.jpg敷地には復元された零戦の機体が置かれていて、その前で記念撮影する人多数。

鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_1473972.jpg 特攻までにすごした半地下形式の三角兵舎が復元されていて、寝具を並べてあったり、当時の鉄カブトなどや、当時の様子の写真も。

鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_148528.jpg館内に入ると、2007年に公開された映画「ホタル」の撮影に関するビデオ上映があり、途中から少し見ただけで泣けてしまいました。特攻の母といわれた、富屋食堂の女主人鳥濱トメさんの話。そして、わずか17歳から22歳、せいぜい25歳くらいまでの特攻で亡くなった兵士たちの遺影が一人ずつずらりと並んでいて、県別などでも検索できるようになっていました。遺影の前には遺書の数々。どれも達筆で、自分は祖国を守るために死んでいくが決して悲しまないようにとか、妹がいるから親の孝養は任せたとか、親兄弟を思いやるあふれるような気持ちがこめられていて、泣けてしまいました。武器を作るだけの余力も資材もないからといってこれほど多くの若者たちを強制的に死に追いやるようなことをしたのだ、戦争とは。本当にむごい、残念なことだと思いました。(つづく)

鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_14125654.jpg
鹿児島県の旅 その3 知覧_d0031853_14155122.jpg

by kurashiki-keiko | 2008-10-24 06:56 | | Comments(0)

名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 鹿児島県の旅 その4 鹿児島市内 鹿児島県の旅 その2 指宿・長... >>