児島の商店街と旧道をたどって「風の道」を歩く


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1月4日(日)、前日に引き続いて、正月休みのなまった体に活を入れようと、今度は児島コースをサイトからプリントアウトして出かけました。
 お昼をJR児島駅の南で取り、車を置いて歩き始めました。(以下、今回は私の出身地でもあり、大変たくさん写真がありますのでお覚悟を)

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右手には瀬戸内海が。晴れ渡った空がきもちよい。
橋を渡らずに左折。

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JR瀬戸大橋線の下をくぐります。

d0031853_0114161.jpg左手に倉敷市立児島市民病院。父はここの産婦人科医を約30年勤め、私もここでお産して子供3人とも父に取り上げてもらいました。
が・・・昨年10月、産科医が60歳を越して体力的に無理との事でお産が扱えなくなったそうです。寒い冬の夜中も年末年始も休まずにお産と聞けばすぐに自転車で出て行っていた当時の父の偉さが今更ながらに思われます。

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病院の北隣にある郵便局のある角を右へ曲がります。

d0031853_0195098.jpg小田川の川筋に出ます。ここは車の通りがある割りに歩道はないのでちょっと気をつけて歩かないと。
向って左手に、かつては下津井電鉄の児島駅があり、駅前にはバスステーションもあって大変にぎやかだったあたりです。
いつのまにか左手にあった商工会館がなくなって更地になっていました。

d0031853_022398.jpg野崎家別邸のたいか堂(漢字が難しい・・・)の土塀です。毎年ここではお雛様の展示があります。

d0031853_0253092.jpg川岸のこちら側は向こう側に比べて低くて、以前瀬戸内が高潮被害にあったとき、ここらあたりも浸水被害が出たので、コンクリートで50cmくらいの壁ができています。

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味野の塩田の開発をした野崎家の旧宅に向って左折します。

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児島はジーンズの縫製で全国的なシェアがありますが、ここにもオリジナルのジーンズショップが出来ていました。

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商店街に入って、「えっ・・・」という感じ。昔の面影はどこにもなく、アーケードは倉敷本通りあたりと同じく老朽化して取り払ったのでしょうが、人っ子一人歩いていませんし、シャッター通りです。

d0031853_033465.jpgかつては富士銀行児島支店があった建物。その後は眼科医院になっていた時期もありましたが、今はひっそりと閉じられていました。

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ここは和菓子屋さんの塩尻喜月堂と、喫茶エイトが左手にあり、数少ない営業しているお店です。店主の「塩ちゃん」はメーリングリストで知り合ったメル友で、早くから自作ホームページ「塩を使ったお菓子屋さん」を持っていらっしゃいます。たまたま店にいて、ひさしぶりにお話できました。商店街でもこのあたりが数軒営業しているだけなんだそうです。

d0031853_0402528.jpgあまりの変わりように場所関係がよくわからないのですが、確かこのあたりは、理容店の大きいのがあり、小学生の私はそこの色白の奥さんに散髪してもらいに通っていたのでした。そのころお店のテレビで初めてデビュー当時の水前寺清子を見たのでした。

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左手は天神さんのお宮で、「トイレ」の掲示がありました。
右手のがらんどうの骨組みみたいな場所には、かつて同級生の実家の瀬戸物屋さんがあり、今家で使っている食器は嫁入りのときにこの店で買ったものでした。ああ。

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持寶院というお寺とその隣の駐車場。持寶院の除夜の鐘は我が家にも届いていたものです。
この広々した場所にはかつて何があったか思い出せない。

d0031853_04813.jpgy楽器店でした。ドアがあり表札がかかっているのを見ると、同級生の名前でした。父がかつてギターマンドリンクラブに入っていたころ、ここで練習していたのです。

d0031853_0504372.jpgお菓子屋さんでした。この町にシキボウの工場があったころは、夏の土曜夜市にはこの通りの前は押すな押すなの人出があり、店内に喫茶コーナーがあって、カキ氷を食べたことがありました。

d0031853_053211.jpg商店街の西の入り口付近。この「はにわ」のお店の向こう側は友達のお母さんが経営する美容院で、その2階で友達数人で大学生に勉強を教えてもらっていましたっけ。

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同級生とその息子さんがシェフのフランス料理の「ピア」。新装開店していました。大阪の調理師学校を出てフランスで修行したという本格派のシェフなので、また行ってみよう。

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塩田王野崎家の、野崎武左衛門記念碑。中央の尖塔は1本物の御影石で、万一破損したときに備えて、あらかじめその奥に横倒しに予備の石塔が用意されているのがすごい。この形はヨーロッパのオベリスクの様式なんだそうです。子供のころはここの公園でよく遊んでいました。
庭園の北の隅には、わらぶきの管理人の家まであって庭掃除などの管理がされていたようです。

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記念碑からさらに西へと旧道を行くと、同級生の肉屋さんがありました。

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耳鼻科医院。以前耳の中に虫が入ってばたばた言うので、時間外に行って吸い取ってもらったこともありました。後継ぎがいるとみえて、まだやっていました。

d0031853_192878.jpgあった。
かつて狭軌(ナローゲージ)のかわいらしい電車が走っていた線路の跡。
下津井電鉄の跡地です。ここが「風の道」として遊歩道になっているのは知っていましたが、ずっと歩いていくのはこの日が初めてでした。
土の地面が足に優しく感じました。

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架線を支えていた鉄柱が残されていました。

d0031853_1123830.jpgこのあたりは民家ばかりでトイレに行きたくなって困っていたら、道の左手はるか向こうに、見慣れたスーパーMの看板を発見。
ちょっとコースをそれてトイレに入りました。。。

d0031853_1143073.jpg旧道に戻り、しばらく西へ歩くと、新しい広い道との交差点が。ここは扇の嵶(おおぎのたわ)口交差点でした。道を渡るとローソンがあり、給水休憩。
地図を見せて、風の道はどっちか教えてもらい、また風の道の軌道跡地をたどりました。

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このあたりはきれいにパンジーが道の両側に植えられていて、気持ちよく歩けました。

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松本呉服店と、阿津駅の看板。今はすっかり寂しくなった通りですが、かつては阿津駅を降りたお客さんが吸い込まれるようにお店に入ったそうです。ちなみにこの松本呉服店の奥さんは合唱団のメンバーの1人です。いつも忙しい仕事をやりくりしてセンスのよい服装で来るのでさすがと思います。

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このあたり一帯がすてきな花が植えられていると思ったら、やはり組織的に植えて管理してくださっていたのです。

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道はJR瀬戸大橋線をくぐって続きます。

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児島競艇場を見下ろして歩くと、ちょうど正月のレースの最中で、すごいエンジンの音が響いてきました。若い選手の大会らしく、コーナリングがまだ下手でコースを大回りしてしまう艇も。

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琴海(きんかい)駅の跡地です。
観光案内図もありました。

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観光案内板の地図より。この地図によると、鷲羽山駅にはトイレがあるとのことなので、ちょっと安心。

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コースから見た瀬戸内海。向こうにみえるのはくじらみたいな形の竪場島(たてばじま)。

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今度は、高速道路・瀬戸中央道をくぐります。

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くぐって少し行ったところが、目的の鷲羽山駅でした。
ところが・・・

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トイレは・・・工事中でまだない!(怒)
ないのに案内板にはちゃんと描かれていたなんて。

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鷲羽山駅から臨む瀬戸大橋。
ここで休憩していたら、自転車で2人の男の子が来ました。「君たち、どこから来たの?」と聞いていると追いかけてお父さんがやってきて、水島に住んでいて、風の道をたどって茶屋町から下津井まで行くところだそうでした。
下津井電鉄の起点から終点までたどるなんてすばらしい。

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帰り道です。時折こうしてウオーキングする人とすれ違ったりジョギングの人に追い越されたり。

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ピラカンサの赤がまばゆいばかり。それに向こうの海の青。

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競艇場のあたりからは、児島の街が見えるのに行きには気付きませんでした。


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JRの高架の下あたりに、分岐の道があります。

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狭くて急な道でした。

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広い道へ出るのにちょっと近道して、競艇の送迎バス乗り場へ出ると、幸いトイレがあり、入らせてもらいました。

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広い広い競艇場の駐車場です。ここで「第10レース」のお知らせアナウンスが。
レースが終わると、これらの車が一斉に帰り始めるので、渋滞が必至です。

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左手にJR瀬戸大橋線の高架を見ながら歩きます。右手は海です。

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港です。児島観光港はもう少し先です。

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というわけで、歩き始めたのが12時50分、出発地点に戻ったのが3時40分でしたので約2時間半ほどの歩きでした。
冬場にもかかわらず、帽子をかぶってない夫は日焼けしていました。
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by kurashiki-keiko | 2009-01-05 00:57 | がんばったなあ | Comments(4)

Commented by usatyu4 at 2009-01-05 08:29
おはようございます。たくさんの写真を見せてもらいました。
昨年行ったところも、懐かしく思い出しています。
富士銀行の跡、眼科医院になって・・・なんだか倉敷のえびす通り
にも似たようなところもありましたね。こうしてみると商店街もどんどん変わっていくのがわかります。
Commented by sa-ya at 2009-01-05 08:50 x
お久しぶりです 今年もよろしくお願いします。知り合いに児島出身の方がいてよく話しに聞いていましたので、見入りました。
丁寧にレポートされていますね。倉敷は数度訪れたことがあるので、また行きたくなりました(ーー;)
Commented by kurashiki-keiko at 2009-01-05 13:42
usatyu様、倉敷の商店街は、まだ美観地区へ観光客が通るし人通りもあるからずっと元気ですよ。児島は下津井電鉄の駅が廃止になって、おまけにシキボウの工場の移転、塩田の廃止により跡地がどーんと広がって、お客の通りが変わってしまい、死んでしまいました。どこか目的地への通り道になっているとずいぶん違うのでしょうけどね。だから児島文化センターの移転問題はなおさら死活問題がかかっているようです。
Commented by kurashiki-keiko at 2009-01-05 13:44
sa-ya様、あら、お知り合いに児島出身者が。それはうれしいですね。かつての製塩業、学生服とジーンズ、それに瀬戸大橋と鷲羽山の景観が売り物の町です。また機会があったらぜひおこしください。

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