カテゴリ:しみじみしたこと( 279 )

島原の思い出

 先日の最寄り会で、最近入会した若い人が島原の出身と知って、かつて旅行した島原のことを思いだしました。
レンタカーではおいしい食べ物やさんが分からないのですが、たまたまその時は観光タクシーを頼んでいたので、地元の名物料理を尋ねたところ、「具雑煮」というのが名物で、姫松屋というのがいいと言われて案内されたことを話すと、彼女の実家はその近くだとの事。うれしくなりました。

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写真は島原城、天草四郎像、原城址。

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そしてこちらが、タクシーの運転手さんに案内してもらった姫松屋外観と、名物「具雑煮」。
旅行したのは2005年11月13日のことでした。
  


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by kurashiki-keiko | 2017-04-12 02:27 | しみじみしたこと | Comments(0)

過去の遺物?エプロンを縫い上げて

 3月31日(金)雨。寒いというし雨だというので、草取り予定を中止し、以前夫の父の介護にかかる前に裁っていた(らしい)ミシン刺繍の入った胸当てエプロンを、20数年ぶりに縫い上げることにしました。
 やってきた3歳の孫娘にボタンつけを教えてみると、針を布に刺すことも結構力の入れ具合にコツがいることがわかったり、この子は数字に弱いらしく、ボタンが8個付いたのですが、その数が意外に数えられないことが分かりました。
 孫もそのうち飽きて退散してくれたり、夫も外出してくれてこれ幸い、裁ちっぱなしになっていたエプロンの紐を縫うことから始め、縫い上げました。
縫い上げてみると、今風のとは胸当て部分の幅が違って狭いことが分かりました。布はしっかりしたダンガリーだし、刺繍はきれいですが、ポケットが1個だけ。私は両側に2個ついているのがいいのです。せっかく縫い上げたので、とりあえずたたんで袋に入れて仕舞いました。

 次に、同じように、20数年前に裁っただけでしるしつけも半分しかできていない、たしか黒のギンガムチェックのスモックエプロン、だと思っていた布を取り出してみると、なんと、長男が小5のときの、身長152㎝の、と型紙に書いてある長袖パジャマ、でした。
 もう2児の父になった長男の子供時代の・・・・ほとんどタイムカプセルだったその裁ったばかりの布状態で入っていた箱。パジャマとして縫い上げてもたぶんもう誰も着ないだろうし。しばし茫然。色違いで兄弟にパジャマを縫って着せた、その最後の作品はいまだに衣装ケースにとってあるのですが、そのあとに縫おうとして縫えなかったもののようです。 一生懸命に縫物をしていた当時を思い出して、「頑張ったなあ」と少々の感慨に浸ったひとときでした。

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by kurashiki-keiko | 2017-03-31 14:47 | しみじみしたこと | Comments(0)

2月23日は、2人分の命日に

 2月22日は実母の命日になり、今年一周忌でした。そしてあくる23日は夫の母の命日で昨年が三回忌でした。そして今年、同じ23日に、大切な友が亡くなり、2人の命日になりました。忘れてはいけない記念日というのは誕生日、結婚記念日などいろいろありますが、命日というのが年を取るにつれて多くなってきました。
 亡くなった友は、テキパキと役割をこなし、私にも含蓄ある言葉を時折かけてくれていたのを思いだします。人生哲学ともいえるものを持っていて、こうなのよ、こうあるべき、と私の気づかない物事をズバリと教えてくれたように思います。最近は会えずにいたのですが、お通夜で聞いたところによると、前日に普通に会話した、という人がいて、まさかこんなに早く亡くなるなんて、という話でした。
 同志ともいえる頼もしい友を失って、本当につらい。茫然としています。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-24 00:02 | しみじみしたこと | Comments(0)

家族葬に思うこと

 先日、地元紙の投稿欄に家族葬についての意見が掲載されていました。
お付き合いしていた人があるときを境にお見掛けしなくなったと思ったら、亡くなられていて家族葬でお葬式をしたので、お別れを言うこともできずに残念だったという風な事で、世の中の風潮が変わってきたということでした。

 私も同感です。私の家でも満93歳で亡くなった夫の母を家族葬で送りました。でもその後ご近所の何人もの方々から「お母さんはどうしていらっしゃる?」と言われました。ご近所はもちろん、昔母が子供の頃に世話し、今では立派なオジサンになった方々も、もしもお葬式に列席してくださっていたらまるで同窓会のように故人を偲んで思い出話をしみじみ語り合ってくださっていたに違いありません。
 また、仏様をまつる家として何人もの人が後から後から弔問に来てくださり、応対に追われました。

 家族葬も静かに家族だけで送りたい、大勢の人に来ていただくのも申し訳ないとかいう気持ちもわかりますが、お別れをしたいというお気持ちのある人をお断りしているという側面もまたあることを知らなくてはと思います。
 今ではどんなお年寄りであっても故人を知る人皆で見送ってもらいたいという思いでいっぱいです。その人が亡くなられたことを広く知っていただき、これからはこのような家族で生きていくのでよろしく、という挨拶も、お葬式には含まれていると思います。
 お葬式、特に家族葬のあり方は見直してもよいのではないかと思います。

・・・少し文面は違いますが、以上のような文章が21日付地元山陽新聞「ちまた」欄に掲載していただきました。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-22 21:34 | しみじみしたこと | Comments(0)

心の「母」を喪って

 1日、家から一歩も出ずに過ごしました。
岡山駅からは会場の国際ホテルまでシャトルバスが運行された由。
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一人静かに、シスターの生涯をたどり、「行ってらっしゃい」と社会へ送り出された卒業の言葉を思い出しています。
お近くに数年を過ごすことが出来たのは何よりの私にとっての誇りです。
1年生と4年生で必修だった人格論などの月曜の1限の授業では、学生としての心得を含めていろいろと教えていただきました。
修道院に隣接した寮で暮らした間により身近にお姿を拝見する機会がありました。

当時募集された「学生歌」に応募したところ、応募者が少なかったせいか、私の曲が採用され、当時の音楽の教授だった先生の補作ののちにソノシートにされ、吹込みにもグリークラブのメンバーの一人として参加したのでした。ご褒美に赤い表紙のルーズリーフのノートを当時の学長のシスターから直接いただき、今もぼろぼろになっていますが、レシピノートに使っています。
今はその「学生歌」も忘れ去られているみたいですが。
・・・同じ年に実母と、心の母ともいえるシスターを喪うとは、私の心の報告をする相手を喪ったようです。

お教え通りに、置かれた場所を選ぶことはできませんが精一杯にこの場所で花を咲かせるつもりです。



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by kurashiki-keiko | 2017-02-12 22:34 | しみじみしたこと | Comments(0)

エリック・クラプトン ”Tears In Heaven”にしみじみ


たまたま「ラジオ深夜便」を聞いていたら、金田一秀穂先生がこちらの曲を2年間担当していた最後のリクエストにしていらっしゃいました。息子さんが落ちて亡くなったその悲しみを表現していることを知りました。ワーワー泣くというのではなくて聞く人に悲しみを伝えるということはなかなかできないけれど、この歌には悲しみがこもっているのだとか。
急いでこちらの動画を検索してみて、本当に、静かに、しみじみと、小さなお子さんを亡くした父親の悲しみが深く深く伝わってきて感動しました。


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by kurashiki-keiko | 2017-02-08 01:00 | しみじみしたこと | Comments(4)

琴の音を聞いて


お正月というとお琴の音がふさわしく、年中では一番よく聞かれる季節です。
寒中見舞いをくださったどなたもお琴についてはたぶんご存じなかったので書かれていませんでしたが、母は花嫁修業のひとつだったのでしょうか、なんとか社中で琴会に出ていたそうです。子供の頃の我が家のお座敷の床の間にはお琴が立てかけられてあって、たまにおさらいをすることもあったり、ことにお正月などは出して弾いていました。私自身もほんの一時でしたが、小学校3年生の頃には習っていたことがありました。ご近所のお宅に先生が遠くから通ってこられていて、近所の女の子が4、5人習いに行っていました。一度だけそのお宅でささやかな琴会を開いて、私も晴着を着て簡単な「さくらさくら」だったか「数え歌」だったかを披露したことがありました。
それはともかく、母はお琴と三味線を少々弾いていて、「何を弾こうかね」などと言いつつ、「これは古い昔からの曲」だとか言って解説を交えながら弾いてくれたものでした。私はといえば少々退屈したりしながらも、お琴の音は嫌いではなかったのでそばで聞いていたりしました。
 同じく花嫁修業のひとつとして母は洋裁学校にも通い、当時は既製服もあまりなかった時代でしたので、私の子供服は大体母が縫ってくれていましたし、高校の制服から学生時代の普段着やパンツスーツまで私の希望に応じて縫ってくれていました。
 また、編み物が得意な祖母に育てられたせいか、編み物も上手で、手編みのセーターやカーディガンを作ってくれたり、機械編みが流行った後は編み機も使って作ってくれていました。
 というわけで、母は本当に色々とできた人だったなあと、楽器も洋裁もできない不器用な娘の私はしみじみ思いだすのです。女学校時代はバレーボールや弓道などもした活発な子だったそうでしたが、その後52歳で運転免許を取ると、忙しくて教習所に通う時間もなかった父に代わって運転手としてあちこちに出かけていました。 やっぱり母はできたスーパーおかあさんだったなと思います。
 お琴の音がラジオから流れてきて、ついついそんな思いにふけった私でした。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-05 00:23 | しみじみしたこと | Comments(0)

忘れない 

 こんなに多くの人から「寒中見舞い」をいただいたことはなかった。
 昨年末、母の残した住所録を手掛かりに、母の交際範囲にも喪中はがきを出しました。急死した母の消息を知らなかった、という人も数人いらっしゃって、すぐに返事を下さった人、また電話で、お母さんとは長い時間おしゃべりするのが楽しみだった、といあWれた人も。
 そして寒中になると一人、また一人と寒中見舞いをくださったり、母との思い出をお手紙に綴って下さったりしました。いつの間にか11人になっていました。お手紙には、若いころの母が男性用の自転車にまたがって颯爽と買い物をしていた姿とか、朗読奉仕で顕彰されたこととか、クラシック音楽が大好きでレコード鑑賞講座に一緒に通っていたとか、様々なエピソードが書かれていました。それを読みながら、若いころの母の姿がよみがえってきました。
 その方々の心の中に、母は確かに生きていると感じました。
 思いだす人がいなくなった時に本当に死ぬとか言いますが、母はその人たちの胸の中に確かに生きています。
 ありがたくて胸が熱くなる思いがしました。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-04 21:20 | しみじみしたこと | Comments(0)

発見!いろいろ

 レコードの入った段ボールが置かれていたベッドサイドの机というのを、骨董屋さんを始めている甥っ子が目をつけたのでしたが、それは実は、昨年86歳でなくなった私の実母が小学校入学の時に、祖父が大工さんに作らせたものだと聞いています。小学1年生向きに小ぶりの机なのですが、その机の引き出しに何が入っているのかな?と、今日はそこをのぞいて見てびっくり。
 まずは私のお見合いの時の釣書と、ポートレートいろいろ。書道の先生に書いていただいた立派な巻紙の釣書。今ではこんな風に親類の端々まで書くことはないそうですが。
 それからなんと、もう朽ちそうになったわら半紙の、私の中学時代の得意教科だった国語のテストの答案用紙(含む100点!)大好きだった国語の教科担任の岡村先生のガリ版刷りの文字もなつかしい。確かクラスに作ってくださっていた文集もあった、と思っていたけれど見つかりませんでした。

 それから、子育て時代に、3人の子供たちに家庭の仕事を分担してもらおうと、頑張って作った当番表!!お客様があったときに家を片付け、それ以来どこへ行ったやら、手間をかけて作ってあれはとても惜しかったので、どこへ行ったか散々探したのに見つからなかったものがまさかこんなところに眠っていたとは
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!!
「生活団」にそれぞれ通っていていただいた「おしるし」が長女が「かに」、長男が「ふね」、次男が「いぬ」だったのでそれぞれを刺繍し、考え付く子供にできそうな仕事をカードにして、できたら裏返すようにして、棒を通して壁にかけていたものです。(カードはこれだけしか見つかりませんでした)我が家が一番楽しかったころかもしれません。

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by kurashiki-keiko | 2017-01-08 16:25 | しみじみしたこと | Comments(0)

レコードを売りに

 先日夫の骨董品を処分してみれば、寝室のサイドテーブル代わりのデスクの下に、新築引っ越し以来全然手が付けられていなかった段ボールに入った古いレコードがありました。それは、もはやプレーヤーもなくなって再生しようのないものたち。夫や私の若いころに買ってそれっきり聞きもせず、放置されていたもの。したがってこの際処分してもちっとも惜しくないものでした。
 中に昔聞いていたNHKラジオ英語会話のレコードまであり、それはさすがにいくら何でも値打ちもないだろうと、ゴミに出すことにしました。高校2年生の時、欠かさずにラジオ英語会話を聞いていたものでした。
 そのほかのは
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柔らかな歌声が好きでよく聞いていたアンディ・ウイリアムス、当時はやったミュージカル映画の「ウエスト・サイド物語」、「サウンドオブミュージック」、まだ初々しかった森山良子、それに高校の体育のダンスのテストのために買った、ハチャトリアンの「剣の舞」のいくつか聞き比べ、アーサー・フィドラー指揮のボストンポップスのがよかったなあ。
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高校1年生の時に岡山市民会館で初めて生のオーケストラで、120人ほどのベルリンフィル、しかもカラヤン指揮のを聞いてすっかり魅了され、続けざまにレコードを買いました。若き日のカラヤン、かっこよかった~。その時、のちに倍賞千恵子さんの旦那様になる小六禮次郎さんも当時高校生で同じ会場で聞いていらしたことが分かりました。
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こちらは夫の物と、下段の真ん中は新婚旅行のハワイで、ポリネシアン文化センター?でえらく端っこの席しか取れなかったといって、ツアーガイドの方からのお詫びのしるしと言っていただいた、ウクレレ奏者のレコードです。

・・・処分する記念にとこれらの写真を撮って、レコード・CD専門業者さんに持参しましたが・・・開店が12時なのに午前中に行ってしまい、出直しも必要だったのでした。
 夫いわく、子供がいなくて亡くなった伯父の家の片付けに行ったときには、大量のレコード類があったのを全部どんどん処分してしまった、とのこと、当時こんな処分の仕方を知っていたら廃棄せずに済んだかもしれないという後悔。
 行ってみると、店内ぎっしりとCDやらレコードが通るのもやっとというほど所狭しと詰まっていて、見れば売値が安いのは300円ほど。買値はもっとずっと安いんだろうなあ、と思ってカウンターに出し、査定を待っていると、「残念ながら値がつかない、タダでもよければ引き取りますか、持ち帰りますか」、とのこと。
 ・・・がっかりでしたが、処分するときめて持参したので、そのまま引き取ってもらいました。
 ひととき、思い出に浸ることが出来た、レコードでした。


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by kurashiki-keiko | 2017-01-08 00:08 | しみじみしたこと | Comments(0)