カテゴリ:しみじみしたこと( 282 )

しゃぼん玉

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 朝、庭を見ると、虹色の沢山のシャボン玉がふわふわと舞っていました。3才の孫がシャボン玉遊びをしていたのです。手に持った器具を動かすと、たくさんのシャボン玉がワーッと湧き出るように空へと生まれて行きます。その器具を見せてもらうと、ピストル型の先に4つの輪があってせっけん液をつけ、手元のピストルの引き金のような部分を曳くと、小さな扇風機が回る仕掛けになっていて、一度にたくさんのシャボン玉が空へ舞い上がるのでした。ストローを吹くのが難しい幼児にもその操作さえできれば簡単にたくさんのシャボン玉が出来ます。素敵なアイデアだなと感心しました。

そしてそのうちに、むかしむかし本当の麦わらのストローで、なかなか膨らまずに下へ落ちてしまうせっけん液を恨めしく思いながら一生懸命に力加減を工夫しながら吹いていた自分の幼い時代を思い出しました。それは、なかなかできないでたった一つ成功した時の喜びもあった、と今さらながらに思います。たくさんのシャボン玉が量産できるおもちゃもそれはそれでアイデアだとは思いましたが、あの頃のやっとできたシャボン玉も、小さな感動体験だったな、と懐かしく思いだされました。


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by kurashiki-keiko | 2017-06-24 13:54 | しみじみしたこと | Comments(2)

偶然‐倉敷市の記念手ぬぐい

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だいぶ前ですが、たぶん『明日の友』だったかに手ぬぐい1枚で作るキャップの作り方を田中周子さんが紹介されていて、手近にあった古い手ぬぐいで試しに作ったものがこれです。ところで・・・
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倉敷市の市章が染められていてさらに
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こちら、「合併記念」とあります。
なんとこれ、
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昭和42年、それまでの倉敷市、玉島市、児島市の三市合併記念に作られた手ぬぐいでした。
何でこれがいまだに我が家に存在していたのかが不明ですが、
たぶん、亡くなった母のマンションを片付けた時にでもあったものでしょうか。

おりしも、ことしはその合併から50年に当たる年だそうです。



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by kurashiki-keiko | 2017-06-07 00:55 | しみじみしたこと | Comments(0)

嘉門達夫「明るい未来」を聞いて

たまたまラジオの深夜便を聞いて、嘉門達夫さんの「明るい未来」という歌がかかっていました。
いわく ↓
ダイヤル式の黒電話だの、牛乳配達の音だの、子どもの頃の秘密基地だの、懐かしい言葉がいっぱい。
未来を信じてきらきらしていたころの思い出が確かに詰まっている。
忘れていたあの昭和の時代をなつかしく思いだしました。
足りないくらいがちょうどいい、ではないですが、未来はもっと豊かになっているはず、と信じて進んでいたあの時代でした。

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by kurashiki-keiko | 2017-05-31 02:21 | しみじみしたこと | Comments(0)

島原の思い出

 先日の最寄り会で、最近入会した若い人が島原の出身と知って、かつて旅行した島原のことを思いだしました。
レンタカーではおいしい食べ物やさんが分からないのですが、たまたまその時は観光タクシーを頼んでいたので、地元の名物料理を尋ねたところ、「具雑煮」というのが名物で、姫松屋というのがいいと言われて案内されたことを話すと、彼女の実家はその近くだとの事。うれしくなりました。

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写真は島原城、天草四郎像、原城址。

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そしてこちらが、タクシーの運転手さんに案内してもらった姫松屋外観と、名物「具雑煮」。
旅行したのは2005年11月13日のことでした。
  


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by kurashiki-keiko | 2017-04-12 02:27 | しみじみしたこと | Comments(0)

過去の遺物?エプロンを縫い上げて

 3月31日(金)雨。寒いというし雨だというので、草取り予定を中止し、以前夫の父の介護にかかる前に裁っていた(らしい)ミシン刺繍の入った胸当てエプロンを、20数年ぶりに縫い上げることにしました。
 やってきた3歳の孫娘にボタンつけを教えてみると、針を布に刺すことも結構力の入れ具合にコツがいることがわかったり、この子は数字に弱いらしく、ボタンが8個付いたのですが、その数が意外に数えられないことが分かりました。
 孫もそのうち飽きて退散してくれたり、夫も外出してくれてこれ幸い、裁ちっぱなしになっていたエプロンの紐を縫うことから始め、縫い上げました。
縫い上げてみると、今風のとは胸当て部分の幅が違って狭いことが分かりました。布はしっかりしたダンガリーだし、刺繍はきれいですが、ポケットが1個だけ。私は両側に2個ついているのがいいのです。せっかく縫い上げたので、とりあえずたたんで袋に入れて仕舞いました。

 次に、同じように、20数年前に裁っただけでしるしつけも半分しかできていない、たしか黒のギンガムチェックのスモックエプロン、だと思っていた布を取り出してみると、なんと、長男が小5のときの、身長152㎝の、と型紙に書いてある長袖パジャマ、でした。
 もう2児の父になった長男の子供時代の・・・・ほとんどタイムカプセルだったその裁ったばかりの布状態で入っていた箱。パジャマとして縫い上げてもたぶんもう誰も着ないだろうし。しばし茫然。色違いで兄弟にパジャマを縫って着せた、その最後の作品はいまだに衣装ケースにとってあるのですが、そのあとに縫おうとして縫えなかったもののようです。 一生懸命に縫物をしていた当時を思い出して、「頑張ったなあ」と少々の感慨に浸ったひとときでした。

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by kurashiki-keiko | 2017-03-31 14:47 | しみじみしたこと | Comments(0)

2月23日は、2人分の命日に

 2月22日は実母の命日になり、今年一周忌でした。そしてあくる23日は夫の母の命日で昨年が三回忌でした。そして今年、同じ23日に、大切な友が亡くなり、2人の命日になりました。忘れてはいけない記念日というのは誕生日、結婚記念日などいろいろありますが、命日というのが年を取るにつれて多くなってきました。
 亡くなった友は、テキパキと役割をこなし、私にも含蓄ある言葉を時折かけてくれていたのを思いだします。人生哲学ともいえるものを持っていて、こうなのよ、こうあるべき、と私の気づかない物事をズバリと教えてくれたように思います。最近は会えずにいたのですが、お通夜で聞いたところによると、前日に普通に会話した、という人がいて、まさかこんなに早く亡くなるなんて、という話でした。
 同志ともいえる頼もしい友を失って、本当につらい。茫然としています。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-24 00:02 | しみじみしたこと | Comments(0)

家族葬に思うこと

 先日、地元紙の投稿欄に家族葬についての意見が掲載されていました。
お付き合いしていた人があるときを境にお見掛けしなくなったと思ったら、亡くなられていて家族葬でお葬式をしたので、お別れを言うこともできずに残念だったという風な事で、世の中の風潮が変わってきたということでした。

 私も同感です。私の家でも満93歳で亡くなった夫の母を家族葬で送りました。でもその後ご近所の何人もの方々から「お母さんはどうしていらっしゃる?」と言われました。ご近所はもちろん、昔母が子供の頃に世話し、今では立派なオジサンになった方々も、もしもお葬式に列席してくださっていたらまるで同窓会のように故人を偲んで思い出話をしみじみ語り合ってくださっていたに違いありません。
 また、仏様をまつる家として何人もの人が後から後から弔問に来てくださり、応対に追われました。

 家族葬も静かに家族だけで送りたい、大勢の人に来ていただくのも申し訳ないとかいう気持ちもわかりますが、お別れをしたいというお気持ちのある人をお断りしているという側面もまたあることを知らなくてはと思います。
 今ではどんなお年寄りであっても故人を知る人皆で見送ってもらいたいという思いでいっぱいです。その人が亡くなられたことを広く知っていただき、これからはこのような家族で生きていくのでよろしく、という挨拶も、お葬式には含まれていると思います。
 お葬式、特に家族葬のあり方は見直してもよいのではないかと思います。

・・・少し文面は違いますが、以上のような文章が21日付地元山陽新聞「ちまた」欄に掲載していただきました。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-22 21:34 | しみじみしたこと | Comments(0)

心の「母」を喪って

 1日、家から一歩も出ずに過ごしました。
岡山駅からは会場の国際ホテルまでシャトルバスが運行された由。
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一人静かに、シスターの生涯をたどり、「行ってらっしゃい」と社会へ送り出された卒業の言葉を思い出しています。
お近くに数年を過ごすことが出来たのは何よりの私にとっての誇りです。
1年生と4年生で必修だった人格論などの月曜の1限の授業では、学生としての心得を含めていろいろと教えていただきました。
修道院に隣接した寮で暮らした間により身近にお姿を拝見する機会がありました。

当時募集された「学生歌」に応募したところ、応募者が少なかったせいか、私の曲が採用され、当時の音楽の教授だった先生の補作ののちにソノシートにされ、吹込みにもグリークラブのメンバーの一人として参加したのでした。ご褒美に赤い表紙のルーズリーフのノートを当時の学長のシスターから直接いただき、今もぼろぼろになっていますが、レシピノートに使っています。
今はその「学生歌」も忘れ去られているみたいですが。
・・・同じ年に実母と、心の母ともいえるシスターを喪うとは、私の心の報告をする相手を喪ったようです。

お教え通りに、置かれた場所を選ぶことはできませんが精一杯にこの場所で花を咲かせるつもりです。



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by kurashiki-keiko | 2017-02-12 22:34 | しみじみしたこと | Comments(0)

エリック・クラプトン ”Tears In Heaven”にしみじみ


たまたま「ラジオ深夜便」を聞いていたら、金田一秀穂先生がこちらの曲を2年間担当していた最後のリクエストにしていらっしゃいました。息子さんが落ちて亡くなったその悲しみを表現していることを知りました。ワーワー泣くというのではなくて聞く人に悲しみを伝えるということはなかなかできないけれど、この歌には悲しみがこもっているのだとか。
急いでこちらの動画を検索してみて、本当に、静かに、しみじみと、小さなお子さんを亡くした父親の悲しみが深く深く伝わってきて感動しました。


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by kurashiki-keiko | 2017-02-08 01:00 | しみじみしたこと | Comments(4)

琴の音を聞いて


お正月というとお琴の音がふさわしく、年中では一番よく聞かれる季節です。
寒中見舞いをくださったどなたもお琴についてはたぶんご存じなかったので書かれていませんでしたが、母は花嫁修業のひとつだったのでしょうか、なんとか社中で琴会に出ていたそうです。子供の頃の我が家のお座敷の床の間にはお琴が立てかけられてあって、たまにおさらいをすることもあったり、ことにお正月などは出して弾いていました。私自身もほんの一時でしたが、小学校3年生の頃には習っていたことがありました。ご近所のお宅に先生が遠くから通ってこられていて、近所の女の子が4、5人習いに行っていました。一度だけそのお宅でささやかな琴会を開いて、私も晴着を着て簡単な「さくらさくら」だったか「数え歌」だったかを披露したことがありました。
それはともかく、母はお琴と三味線を少々弾いていて、「何を弾こうかね」などと言いつつ、「これは古い昔からの曲」だとか言って解説を交えながら弾いてくれたものでした。私はといえば少々退屈したりしながらも、お琴の音は嫌いではなかったのでそばで聞いていたりしました。
 同じく花嫁修業のひとつとして母は洋裁学校にも通い、当時は既製服もあまりなかった時代でしたので、私の子供服は大体母が縫ってくれていましたし、高校の制服から学生時代の普段着やパンツスーツまで私の希望に応じて縫ってくれていました。
 また、編み物が得意な祖母に育てられたせいか、編み物も上手で、手編みのセーターやカーディガンを作ってくれたり、機械編みが流行った後は編み機も使って作ってくれていました。
 というわけで、母は本当に色々とできた人だったなあと、楽器も洋裁もできない不器用な娘の私はしみじみ思いだすのです。女学校時代はバレーボールや弓道などもした活発な子だったそうでしたが、その後52歳で運転免許を取ると、忙しくて教習所に通う時間もなかった父に代わって運転手としてあちこちに出かけていました。 やっぱり母はできたスーパーおかあさんだったなと思います。
 お琴の音がラジオから流れてきて、ついついそんな思いにふけった私でした。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-05 00:23 | しみじみしたこと | Comments(0)