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墓参りツアー

 8月13日(日)お盆の始まりは墓参りから。
 我が家の「墓参りツアー」は、先日墓掃除をした、夫の両親の眠る墓地から。先に着いた次男から「まだあ?」という電話で慌ててこちら、長男の運転する3列シートの車に長男とお嫁さん、孫2人、私たち夫婦が乗って出発。
墓掃除のときにお供えしたシキビに加えて持参の花束をお供えし、「おじいさん、おばあさん、皆で来ましたよ。どうぞあなたの孫やひ孫たちが幸せに暮らせるように見守っていてくださいね」と呼びかけました。
 次は真備町のお寺の墓地に眠る、義母の両親と幼くして亡くなった妹のお墓を訪ねます。義母は2人姉妹の長女で、その両親はどちらも早くに親に死に別れたそうで、実家の本家の屋敷の裏にもともとのお墓はあったのですが、お寺の墓地に小さな土地をいただいて移したのです。
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なかなか行けないので行くと落ち葉や草がいっぱい。持参の軍手やねじり鎌で皆で草取り、お掃除して、小さな墓地なのであっという間にきれいになりました。
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この墓地に入る人はもういません。お位牌はもうお寺に永代供養で預けたので、母の子孫である私たちが守らないと、そのうちに無縁仏になってしまいます。

 続いて、総社インターから山陽インターへ高速道路に乗ります。途中の吉備サービスエリアでトイレ休憩。案の定お盆のことで駐車場は一杯、すごい人でした。山陽インターを降りてからは北へ。ドイツの森を過ぎたあたりの「ドライブイン菊峠」で恒例のお昼ごはん。これまたすごい人で、席は確保できたものの、注文の品が来るまで30分以上はかかったでしょう。次男が「待ってる間が無駄だよな」とか言うので、確かに、注文してから墓参りをして帰ってきても十分間に合いそうな間合いではありました。

 昼ご飯を済ませてからさらに山の上の方へ行くと、我が家のご先祖様の墓地が見えてきます。幸いにもうちの墓地は山の上の方にあるのに車が横付けできるのがありがたいことです。いつもお水の桶を借りて井戸水をいただくお宅を訪ねると、お留守。これまで留守だったことはなかったのになあ、せっかく次男一家と長男一家が顔見せに行ったのに、残念。
 でも、お墓の花入れにはなんとかお水があったので、元禄の初めごろからの20基のお墓にそれぞれお花を入れ、分担してお線香をお供えしました。我が家の祖先は宇喜多家の家臣だったらしいです。見晴らしの良い山の上、しかも大きな柿の木の木陰もあって、はしゃぎまわる孫3人。ほっとするお墓参りのひととき。記念写真も撮りました。三脚がなかったので次男と長男がかわるがわる写してくれました。
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その昔、その長男、次男に長女も加えて、亡くなった夫の両親とこの墓地を訪ねたものでした。あの頃は私も若いお嫁さんだったのが、お嫁さん2人のお姑さんになって、代が代わりました。こうして次世代と一緒ににぎやかにお墓参りできたのは幸せなことです。夫も足元がだんだんおぼつかなくなってきているので、この先いつまでもこの状態ではないでしょう。今年は幸せなお墓参りでした。

 帰途は、山陽インターから岡山インターの間が事故渋滞でのろのろ運転、ずいぶん時間がかかりましたが、無事墓参りを済ませ、
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祭壇にお花と霊供膳もお供えすることが出来ました。
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恒例の送り火を焚いて仏様をわが家にお迎えします。孫たちとまたにぎやかに花火をしました。短い間ですが仏様たちに我が家で過ごしていただきましょう。






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by kurashiki-keiko | 2017-08-14 03:47 | しみじみしたこと | Comments(0)

お盆に思う

 毎年お盆の準備は、墓掃除から始まります。
 若いころは墓掃除なんてしたこともなかったけれど、舅姑を送ってからは、私たち夫婦の、そして一緒に住む長男夫婦、孫が生れてからはお嫁さんは来られなくなり、長男と私たちの3人で、11日くらいの早朝に行っています。今年も、長男と3人で。
 と思ったらなんと、夫がその朝忘れて散歩に出てしまっており、長男と車で出かけたら、帰ってくる夫に出会い、車で拾って行きました。
 
 墓地に着くとあら、今年は草がない。たぶん、墓地の管理者が除草剤を撒いたようです。おかげで枯れたお花を片付けてシキビを供えてお線香を手向けておしまい。

 そしていつもは夫婦で汗だくで協力して祭壇を組み上げるのですが、今年は気が付いたら夫が大部分をしてくれていました。
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霊供膳と、お花は痛むので墓参りツアーが終わってから供えるつもりです。

それにしても、若いころ、いえ子どものころに祖父母宅に行くと、青い薦(こも)を敷いた立派な祭壇がしつらえてあり、お盆の風物詩、と思いつつ、親から託されたお供えのお菓子を置いてリンを鳴らしたものでした。
 仏さまをお祀りする立場になってみると、このお盆中の行事が結構忙しいものだと知りました。墓参りをする前の草取りや掃除。夫の両親の眠るお墓と、夫の母の両親の墓参り。母は2人姉妹だったので、私たちが行かないと母の妹一家の方はあまりお参りしていないようなので、2歳で亡くなったという母の妹の小さなお墓と、母の両親との小さな墓標にお花を手向けます。
 それから、父の兄たちまでが眠る元禄以来のお墓20基がある田舎の墓地。夫の祖父母と伯父までがこちらに入っていて、とても見晴らしの良い山の上の方にありますが、車が横付けできるのが助かります。崩れてしまった丸っこい五輪の塔も3つくらいあり、文字が読み取れる一番古い墓標が元禄10年ごろという、古い墓地です。
 3か所回り、年によってはさらに私の実家の先祖が眠る墓地まで回ると、もう1日仕事で、夏の暑いこともありへとへとになります。今年はそんなわけで私の実家の方の墓地は弟たちにお任せして、省略することにしました。

 帰宅してから祭壇にお供えする霊供膳の料理?もこしらえるつもりなのですが、色彩を考えつつ煮ものの組み合わせを考えています。

夜、暗くなってからは肥え松を燃やして「送り火」をしがてら花火をする予定です。
送り火をするのもうちのご近所ではたぶんうちくらいの物ではないでしょうか。もっとも、お仏壇のない若い家庭が我が家のまわりには多いのですが。
夫の両親がやっていたのを受け継いだだけなのですけれど、母は父が亡くなってからは月に向かって「おーい、おーい、お父さん、これを見て帰ってきてちょうだいよ~」と叫んでいましたっけ。

 だんだんと体力的に、と、頭の回転が鈍くなり、段取りを考えるのが面倒になってきています。お盆の祭壇を作る段取りなども、お嫁さんに引き継いで行かねばと思うのではありますけれど、以前私が何にも知らなかったことを思うと、その場になればがんばって学ぼうとしてくれる、と思います。



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by kurashiki-keiko | 2017-08-12 22:59 | しみじみしたこと | Comments(0)

道央の旅 その6 ニッカウヰスキー余市蒸留所

 8月3日、朝8時半ごろホテルを出発。目指すはかつてNHKの朝のドラマ「マッサン」でその夫婦の様子を描かれていたニッカウヰスキーの醸造所です。
 以前私は竹原の竹鶴酒造の建物を見学したこともあり、ニッカウヰスキーの創業者の家だといたこともあったのに、あのドラマを見るまでは奥さんがスコットランドの出身者だったことは知りませんでしたし、竹鶴政孝さんの功績も知りませんでした。ドラマを見て、遠い異国の地で結ばれてその夫一人を頼ってはるばるやってきたリタという奥さんのことをもっと知りたいと思って楽しみにしていました。
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こちら、醸造所の広々とした敷地の案内図です。スコットランドの地に似た気候で、泥炭が取れること、そして多分広い土地が手に入ったことがニッカウヰスキーの操業にかかわっていたようです。入口近くのウヰスキー博物館には、ウヰスキーの製造工程やら歴史、それに最後のほうにリタの生い立ちと竹鶴と出会った時のこと、結婚生活まで、ちょうど「マッサン」のドラマのもとになったドラマチックな出来事が説明されていました。スコットランドにウヰスキーの勉強に行った竹鶴さんがリタの弟に柔道を教えるようになったのがきっかけで、クリスマスプディングの中に入っていた1ペンス銀貨?を彼が、そして指ぬきが入っていたのを彼女が食べたので、将来結婚するといわれていた習わしとして囃し立てられたそうです。偶然といえば偶然、ドラマのような始まりでした。

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こちらはリタの生まれた家の玄関を模して造られたリタと竹鶴政孝さんとの家の復元されたものだそうです。玄関ホールを入ると和風の引き戸、内側には両側に和風の棚が作りつけられてありましたが、全体は洋風。和室もありましたが、リビングルームは洋風のようでした。リタの料理は完璧で、イカの塩辛や、お正月には竹鶴家の家風なのかぶりと大根の入ったお雑煮まで作ったのだそうです。また、当時は外国人は大変珍しかった時代でしたが周囲の人と仲良くなろうと大変交際にも力を入れたようです。余市で本格的にウヰスキーを作るようになってからは、スキーやゴルフにも興じるなどスポーツも好きだったようです。たった一人日本に来て、どれほど心細い中で竹鶴さんを愛し慕い、健康に気を遣い料理を作り、日本人に溶け込むように努力したことか、その人生を思うとドラマ以上に感動しました。
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広々とした構内。
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 熟成のために置かれた樽。ここで夏も冬も過ごし、湿気の多くて寒い冬には樽の木が縮み、夏場には膨張し、とかいう時を経て黄金色になっていくのでしょう。
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by kurashiki-keiko | 2017-08-04 04:45 | しみじみしたこと | Comments(0)

病院内のアンケートに

 夫の2か月に1度の定期受診に、栄養指導を組み込んでもらっていて、例によって食事の写真をリストにして持参していました。3つの科を受診する合間に栄養指導に出向き、そこの待合で待っていると、栄養士の卵?の人から「アンケートに答えてもらえますか。近頃の市販のお弁当について」というので、そういえば、私がいないときには夫は外食だし、私が外出するときは手作り弁当持参なので、市販のお弁当を買ったことがない、と答えて、アンケートはたぶん市販のお弁当のおかずの内容の偏りについてらしかったのですが、該当しませんでした。
 私、手作り派は少ないのでしょうか。余談ですが、私、いまだにカップラーメンなるものを食べたことがありません。その昔は袋入りのラーメンを具沢山にして食べたことはありましたが。
 そんなわけで(どんなわけ)今回の我が家の晩ごはん(時々昼のおそうめんも入っています)の
写真はこちら。
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 左下隅の写真、シューマイは先日友の会の料理教室にキャンセルが出て入れていただいたときに習ったものです。手作りシューマイは昔「暮しの手帖」を見て作って以来何十年ぶりか。蒸すのでヘルシー。たくさん作って余ったのを息子たちにあげたら、後日、好き嫌いが結構ある孫が沢山食べたそうでうれしかったです。

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by kurashiki-keiko | 2017-07-27 23:32 | しみじみしたこと | Comments(2)

日野原重明先生の訃報に接して

 日野原重明先生が105才で天寿を全うされたそうですね。
先生の講演は岡山で2度聞くことが出来ました。たぶん80歳代と、90代の初め頃だったと思います。
いずれもオーバーヘッドプロジェクターを使いこなされ、縦横にステージを歩き回られ、まだそのころは御髪も黒々としていらして、今でいう後期高齢者とはとても信じがたいようなお元気さ、しかも講演の筋立てというかテーマもしっかりはっきりしていて、前向きで明るいのには感嘆しつつ拝聴させていただきました。
 かつて90代の森光子さんに10年日記をプレゼントされたとか聞いたことがあります。当時の森光子さんはあの放浪記を何とかして続けたいと思っておられた時期で、そのためにスクワットだとかエアロバイクなどを日課にしていたようですが、日野原先生から10年日記をもらわれ、さらに先を目指すつもりになったのではないでしょうか。
 医師の先生は、報道によると初めて民間病院で人間ドックを開設されたり、看護師含むチーム医療の重要性に着目されていたり、当時成人病と呼ばれていた病気を、生活習慣が原因だからと「習慣病」と名付けの親になられたとか。
 また、改築の際に広々ともうけられた聖路加国際病院の広い玄関ロビーが、地下鉄サリン事件の患者さん640人もを受け入れられる野戦病院のようになったとか。戦争経験がその原点になったようです。なんと広い視野、積極性の持ち主なのでしょう。
 ここではとてもとても書き尽くせません。瀬戸内寂聴さんが、先生は死なない気がしていた、とNHKの電話取材でおっしゃっていましたが、まさにそんな感じでした。お会いしてお姿を見るだけでもありがたいと思える存在でした。世の中の高齢者に希望を与えてくださってありがとうございました。

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by kurashiki-keiko | 2017-07-19 21:32 | しみじみしたこと | Comments(2)

岡山の桃を食べてください

 今年も、桃の季節になりました。
そして今年も、以前メーリングリストで知り合ったHiroさんにお願いして、岡山県出身で遠方に住んでいるお友達や義兄に送ってもらいました。
デパートの進物用の品は1玉1,000円もする高級品ですが、こちらはそれより数を楽しんで食べてもらいたいと思っています。
さっそく横浜在住の旧友からお礼の電話がありました。彼女は早くにお父様を亡くした人で、とてもやさしくて優秀な人で尊敬しています。高校教師を定年まで勤めて、今はいろいろと趣味を楽しんでいる様子です。なかなか会えないけれど、岡山の桃の味で故郷を思いだしてほしいなと思っています。
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by kurashiki-keiko | 2017-07-19 01:28 | しみじみしたこと | Comments(0)

しゃぼん玉

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 朝、庭を見ると、虹色の沢山のシャボン玉がふわふわと舞っていました。3才の孫がシャボン玉遊びをしていたのです。手に持った器具を動かすと、たくさんのシャボン玉がワーッと湧き出るように空へと生まれて行きます。その器具を見せてもらうと、ピストル型の先に4つの輪があってせっけん液をつけ、手元のピストルの引き金のような部分を曳くと、小さな扇風機が回る仕掛けになっていて、一度にたくさんのシャボン玉が空へ舞い上がるのでした。ストローを吹くのが難しい幼児にもその操作さえできれば簡単にたくさんのシャボン玉が出来ます。素敵なアイデアだなと感心しました。

そしてそのうちに、むかしむかし本当の麦わらのストローで、なかなか膨らまずに下へ落ちてしまうせっけん液を恨めしく思いながら一生懸命に力加減を工夫しながら吹いていた自分の幼い時代を思い出しました。それは、なかなかできないでたった一つ成功した時の喜びもあった、と今さらながらに思います。たくさんのシャボン玉が量産できるおもちゃもそれはそれでアイデアだとは思いましたが、あの頃のやっとできたシャボン玉も、小さな感動体験だったな、と懐かしく思いだされました。


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by kurashiki-keiko | 2017-06-24 13:54 | しみじみしたこと | Comments(2)

偶然‐倉敷市の記念手ぬぐい

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だいぶ前ですが、たぶん『明日の友』だったかに手ぬぐい1枚で作るキャップの作り方を田中周子さんが紹介されていて、手近にあった古い手ぬぐいで試しに作ったものがこれです。ところで・・・
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倉敷市の市章が染められていてさらに
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こちら、「合併記念」とあります。
なんとこれ、
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昭和42年、それまでの倉敷市、玉島市、児島市の三市合併記念に作られた手ぬぐいでした。
何でこれがいまだに我が家に存在していたのかが不明ですが、
たぶん、亡くなった母のマンションを片付けた時にでもあったものでしょうか。

おりしも、ことしはその合併から50年に当たる年だそうです。



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by kurashiki-keiko | 2017-06-07 00:55 | しみじみしたこと | Comments(0)

嘉門達夫「明るい未来」を聞いて

たまたまラジオの深夜便を聞いて、嘉門達夫さんの「明るい未来」という歌がかかっていました。
いわく ↓
ダイヤル式の黒電話だの、牛乳配達の音だの、子どもの頃の秘密基地だの、懐かしい言葉がいっぱい。
未来を信じてきらきらしていたころの思い出が確かに詰まっている。
忘れていたあの昭和の時代をなつかしく思いだしました。
足りないくらいがちょうどいい、ではないですが、未来はもっと豊かになっているはず、と信じて進んでいたあの時代でした。

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by kurashiki-keiko | 2017-05-31 02:21 | しみじみしたこと | Comments(0)

島原の思い出

 先日の最寄り会で、最近入会した若い人が島原の出身と知って、かつて旅行した島原のことを思いだしました。
レンタカーではおいしい食べ物やさんが分からないのですが、たまたまその時は観光タクシーを頼んでいたので、地元の名物料理を尋ねたところ、「具雑煮」というのが名物で、姫松屋というのがいいと言われて案内されたことを話すと、彼女の実家はその近くだとの事。うれしくなりました。

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写真は島原城、天草四郎像、原城址。

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そしてこちらが、タクシーの運転手さんに案内してもらった姫松屋外観と、名物「具雑煮」。
旅行したのは2005年11月13日のことでした。
  


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by kurashiki-keiko | 2017-04-12 02:27 | しみじみしたこと | Comments(0)