カテゴリ:しみじみしたこと( 294 )

経年劣化

 先週の金曜日(だったか?)、朝出かけようとしてふと台所の給湯のリモコンを見るとなんと「故障」の表示が。故障の番号が「H16」、と出て、故障、とかわるがわる。あらら。慌てて工事をしてくれた大工さんに連絡。夫に後を頼んで出かけて行きました。
 帰宅後聞けば、コロナの業者さんが午後4時ごろ来てくれることになったとの事。
 ほどなく、前の工事が早く終わったとかで、予定より早めに業者の人が来てくれました。故障したのはお湯を沸かしてからタンクに送り込むためのポンプだとの事。1時間くらい寒い中で水を抜いて部品を交換してくれたとのことで、22,700円かかりました。あとで請求書が来るとの事。
 
 で、太陽光発電に伴いオール電化にした際にこの深夜電力を利用してお湯を沸かすというエコキュートの工事をしたのは2009年のこと、と家計簿からわかりました。ついこの間、という感覚だったのに、もうそんなに経っていたとは。年数からすればもうそんな故障が起き始めてもおかしくない、というわけで納得。
 家計簿には高額のこうした工事を伴う出費は一覧できるように記録しているのでそういう意味では便利。
 次は11年目になる全自動洗濯機。以前水漏れした時には私が洗剤の引き出しを引き出したことがなくて汚れやカビで詰まっていたのが原因だったので、今では毎日引き出して乾燥に努めています。先日は夫のズボンを脱水するときに3回も途中で止まっていたけれど、これは偏りが原因でガタガタいったらしい。もうだめか、もうだめかなどと思いながらもなんとか長持ちしてくれています。
 夫の退職前に家のリフォームや手入れは大体済ませたつもりではありますが、この先何が起こるやらです。
 何にしても大切に使って行かなければ、と思います。

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by kurashiki-keiko | 2017-12-06 23:08 | しみじみしたこと | Comments(0)

出征する人見送る人

 NHK総合テレビの「ファミリーヒストリー」。11月29日の回は佐野史郎さん。
彼の家は150年続く医者の家系だったそうです。地域医療を担って、長男は大事な後継ぎだからと特別扱いされて育ったのだとか。佐野史郎さん自身は医者にならずに役者の道を志してしまったのだけれども、弟によると、カニ味噌を食べさせてもらうのはお兄ちゃんだけだった、のだとか。
 そんな彼のお父さんのご友人に、新潟で現役医師をしている人が語ったお話がありました。90歳で現役、というその人は、同世代の人が兵役に着く中で、自分たちは医学部だったために兵隊に行かずに済んだ、だからその分勉学に励まなくては、という気持ちが皆あったと思う、と。

 私の父も生きていれば92歳になりますが、あの時折映像で目にする雨の神宮球場の学徒動員の出陣式の模様、父はスタンドで見送る側だったそうです。旧制六高の文科を、小説家を夢みて受験したものの失敗。やむなく京都の恩地塾という予備校に通う間に親友になったのは、医者の息子でどうしても医者にならなくてはならなかったというM君。そのM君に影響されて医大の予科に方向転換して合格したそうです。おかげで兵役免除になったとのこと。人生万事塞翁が馬とはこのこと。
 そのおかげでというか、代々の医者の家系の娘だった母とお見合いして結婚したというわけでした。

 で、佐野家は地域医療の仕事を絶やさないようにと、弟さんが今ではあとを継いでいらっしゃるのだとか。
 母の実家も江戸時代からの医者の家系で、祖父が医学生の時に曾祖父が急逝したために、しばらく途絶えたので、祖父が又開業した時には苦労もあったのだと聞かされていましたが、母の弟になる叔父が2人医者になり、叔父の娘がまた医大に合格した時の祖父の喜びは大きかったそうです。
 佐野家のおじいさんが往診に自転車やオートバイで駆け付ける話は、祖父が晴れ用、雨用の2台を持ちよく手入れしていたことを思いだしました。そのドロップハンドルの自転車のハンドルとサドルを結ぶ横棒に往診カバンを下げて行ったり、また狭い田舎道でも行けるようにと初代マツダキャロルを愛車にしていたことも思いだします。
 田舎医者、として地域医療に貢献していた祖父、叔父、そして従姉妹。よく頑張っています。

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by kurashiki-keiko | 2017-11-30 22:29 | しみじみしたこと | Comments(2)

墓地の整地

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 夫の母は2人姉妹の長女でした。両親共に親を早く亡くしたそうで、本家の敷地の裏手にお墓があったのですが、本家の建物の裏手というのでは将来お墓参りがしにくくなるだろう、ということで、お寺の墓地に改葬したのです。夫の母の両親と幼くして亡くなった妹の小さなお墓、将来的に我が家と夫の従弟の一家しかお参りする人もないので、お位牌は永代供養にしてもらっています。
 この夏、我が家の息子たちとお墓参りに行ってみると、お彼岸などにはこちらにはなかなか足を運べないので草ぼうぼう、手入れがこの先行き届かなくなりそうなので、商品名「カチカチ君」という、土を固めて草を生えなくする建材のようなものが生協で見つけたので、息子に頼んで整地してそれを敷き詰めてもらうことにしました。
 まだ暑い時期にそれを買っておいたのですが、涼しくなってから、と言っていて11月26日(日)の午後ようやく時間を作って足を運んでくれました。たまたま、手伝うつもりだった私も腰痛でどうにも手伝えなくて、長男一人で孫娘をつれて行ってしてくれました。草が生えていたのを抜き、土を少し掘って材料を入れ、ならしてジョロで水を撒いて固めるという作業でした。20㎏入りの袋3個で1坪分、との事だったので少し薄めだったようですが。おかげで今度のお盆には少し楽にお参りができそうです。
この先夫の母を知っている世代は長男のところまでで、孫は覚えていないだろうから、そのまた親のお墓と言っても管理ができなくなりそう。長男がそこは考えて始末してくれるのではと思って、今のところはこういうことをしました。

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by kurashiki-keiko | 2017-11-29 02:09 | しみじみしたこと | Comments(0)

父から受け継いだこと

 先日の倉敷友の会創立記念例会で、自由学園から辻村透先生をお招きしてお話を伺いました。
その中で、自由学園の教育とは人間の生地を丈夫に織る教育であるというお話がありました。
自由学園では中高生たちが自分たちのお昼を当番制で作るという様子をプロジェクターで拝見。私も全国大会で女子部・男子部の生徒たちが作ったお昼をいただきましたが、手作りパン、ミートローフ、自家生産を含む野菜のサラダ、デザートまで彼ら彼女らが作ったものをいただいたことがあります。時にハプニングもあるようですが、それへの対処も含めて、リーダーとなったら手順を考え、時間に出せるようにと考え、栄養計算の報告までするのです。その調理も、また「人間の生地」を作る下地となっているのは間違いありません。

「人間の生地」とは。私は産婦人科医を父に持ち、年中忙しく仕事をする父の背中を見て育ちました。父が言葉で私に伝えたことはなかったけれども、牛の歩みのように、愚直に、裏切らずに一歩ずつ、小細工をしないで歩むことを教えてくれたように思います。
私も、不器用でなかなか要領よく世渡りをするなんて芸当はできませんが、愚直に、誠実に生きてきた、かな、と思います。
 
「おかれた場所で咲きなさい」と言われたシスター渡辺和子先生のお言葉のように、自分が置かれた場所に文句を言わず、精いっぱいその場でがんばった、かな、と思います。



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by kurashiki-keiko | 2017-10-14 03:57 | しみじみしたこと | Comments(0)

父の思い出

13日から「コウノドリ」というドラマが始まりました。
赤ちゃん誕生の周辺を扱う、周産期医療の現場のドラマのようです。

私の父は地方の公立病院で長年ただ一人の産婦人科医として勤めていました。このドラマのような大勢の働く近代的な病院ではなかったので、孤軍奮闘だったと思われます。ドラマでは医者同士の人間模様も描かれていますが、父の板病院では産婦人科医は一人だったものですから、同僚とのやり取りはなく、四六時中のお産もあったのに病院としての当直勤務も入っていて、休みらしい休みはあったのでしょうか。
 年末年始にも当直が当たると休めませんし、日曜日も「抜糸がある」とよく出かけていました。当時は車を持つこともなかったので、冬の夜中でもお産の呼び出しがあると、熊のような体に母の編んだ毛糸のターバンのような帽子をかぶり、自転車で出かけて行っていました。
 当然ながら家族でどこかへ泊りがけで出かけたという記憶はなく、日帰りで姫路城と、金毘羅へ出かけたことがあったなあ、という程度でした。
 ドラマのようないろんな出産事情が地方の病院にあったかどうかはわかりませんが、高齢出産の人が生んだ赤ちゃんが一目でダウン症だとわかったという話だとかは聞いたことがありました。
 私も結婚して子供を産むことになったとき、実家に帰り、父の病院でお産をしました。まさか父に子供3人ともお産の世話になるとは子供の頃には思いもよりませんでしたが。産気づいたときが夜の11時ごろだった長女の時と、朝がただった次男の時には父が私の身の回り品を入れたスーツケースを自転車に付けてくれて歩いて一緒に病院へ行きました。(長男の時には夕方だったのでタクシーで一人で行きました)父と二人で歩くことはたぶんこの先ないのかもしれない、と思いながら一緒に歩いたことを思いだします。
 看護師さんたちは父の娘だから何でもよく知っているのだろうと思われたようでそれが困りました。ただあんまり見苦しく痛がるな、ということは言われていました。孫を取り上げた父の気持はどうだったのでしょう。

 ドラマでは主人公は天才的なピアニストでもあるということになっていてすごいなと思いますが、父は学生時代に弾いていたマンドリンが趣味で40代?の頃は一時期ギターマンドリンクラブのコンサートマスター兼アレンジャーみたいなことをしていました。一度は公民館のホールで演奏会を開いたこともありました。あの頃の父は毎晩テレビの前で胡坐をかいてマンドリンをチリチリならしていましたっけ。ラジオ深夜便で思い出の曲リクエストコーナー、か何かで、「丘を越えて」のギターマンドリンのイントロが流れた時、父を思ってぐっときました。
 
 ともかく、夜中に仕事をすることも多々あった父の影響を受けたのかどうか、夜中に起きているのが割合平気な性分になってしまったのは因果な事です。

   ↓ 「丘を越えて」動画



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by kurashiki-keiko | 2017-10-14 03:07 | しみじみしたこと | Comments(2)

至福のひととき

 毎週火曜日と金曜日の午後は、お嫁さんが上の小学生の子を連れて習い事などに出かけるので、下の3才の女の子を預かることになっています。
 暑い夏も過ぎ、気持ちの良い季節になってきたので、先日から近くの公園へ手をつないで出かけています。小さな手を取って歩きながら、来年には幼稚園に行くこの子とこうしてさわやかな風を感じながら歩く、なんていうことはもうたぶんこれからなくなるのだろうなあ、と思うとこのひとときがたまらなくいとおしい時間に思えます。
 建築現場で職人さんが働いているのを見たり、よそのお宅のキンモクセイのかおりをかいでみたり、鉢植えのオリーブに実がなっているのを見つけて教えたり、見上げるときれいな青空に飛行機雲があるのを孫が初めて見るようであれ、あれ、と言ってみたり。
 
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行くと砂場でひとしきり遊びます。はじめ乾いた砂をバケツに入れて「プリンを作るの」と言っていましたが、砂を湿らすと形ができることを教えると、そばの水道で水を汲んできてお山にすることを覚えました。
 また、この時間帯に決まって犬のお散歩に通るおばあさんと犬と仲良しになりました。
 また、たまたま遊びに来た小学校の低学年の女の子2人に付き合ってもらって4人でシーソーが出来たりしました。
 本当に、ちょっとしたこんなことでも、そばにこの子がいてくれるおかげ、と楽しませてもらっています。

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by kurashiki-keiko | 2017-10-04 00:23 | しみじみしたこと | Comments(0)

墓参りツアー

 8月13日(日)お盆の始まりは墓参りから。
 我が家の「墓参りツアー」は、先日墓掃除をした、夫の両親の眠る墓地から。先に着いた次男から「まだあ?」という電話で慌ててこちら、長男の運転する3列シートの車に長男とお嫁さん、孫2人、私たち夫婦が乗って出発。
墓掃除のときにお供えしたシキビに加えて持参の花束をお供えし、「おじいさん、おばあさん、皆で来ましたよ。どうぞあなたの孫やひ孫たちが幸せに暮らせるように見守っていてくださいね」と呼びかけました。
 次は真備町のお寺の墓地に眠る、義母の両親と幼くして亡くなった妹のお墓を訪ねます。義母は2人姉妹の長女で、その両親はどちらも早くに親に死に別れたそうで、実家の本家の屋敷の裏にもともとのお墓はあったのですが、お寺の墓地に小さな土地をいただいて移したのです。
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なかなか行けないので行くと落ち葉や草がいっぱい。持参の軍手やねじり鎌で皆で草取り、お掃除して、小さな墓地なのであっという間にきれいになりました。
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この墓地に入る人はもういません。お位牌はもうお寺に永代供養で預けたので、母の子孫である私たちが守らないと、そのうちに無縁仏になってしまいます。

 続いて、総社インターから山陽インターへ高速道路に乗ります。途中の吉備サービスエリアでトイレ休憩。案の定お盆のことで駐車場は一杯、すごい人でした。山陽インターを降りてからは北へ。ドイツの森を過ぎたあたりの「ドライブイン菊峠」で恒例のお昼ごはん。これまたすごい人で、席は確保できたものの、注文の品が来るまで30分以上はかかったでしょう。次男が「待ってる間が無駄だよな」とか言うので、確かに、注文してから墓参りをして帰ってきても十分間に合いそうな間合いではありました。

 昼ご飯を済ませてからさらに山の上の方へ行くと、我が家のご先祖様の墓地が見えてきます。幸いにもうちの墓地は山の上の方にあるのに車が横付けできるのがありがたいことです。いつもお水の桶を借りて井戸水をいただくお宅を訪ねると、お留守。これまで留守だったことはなかったのになあ、せっかく次男一家と長男一家が顔見せに行ったのに、残念。
 でも、お墓の花入れにはなんとかお水があったので、元禄の初めごろからの20基のお墓にそれぞれお花を入れ、分担してお線香をお供えしました。我が家の祖先は宇喜多家の家臣だったらしいです。見晴らしの良い山の上、しかも大きな柿の木の木陰もあって、はしゃぎまわる孫3人。ほっとするお墓参りのひととき。記念写真も撮りました。三脚がなかったので次男と長男がかわるがわる写してくれました。
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その昔、その長男、次男に長女も加えて、亡くなった夫の両親とこの墓地を訪ねたものでした。あの頃は私も若いお嫁さんだったのが、お嫁さん2人のお姑さんになって、代が代わりました。こうして次世代と一緒ににぎやかにお墓参りできたのは幸せなことです。夫も足元がだんだんおぼつかなくなってきているので、この先いつまでもこの状態ではないでしょう。今年は幸せなお墓参りでした。

 帰途は、山陽インターから岡山インターの間が事故渋滞でのろのろ運転、ずいぶん時間がかかりましたが、無事墓参りを済ませ、
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祭壇にお花と霊供膳もお供えすることが出来ました。
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恒例の送り火を焚いて仏様をわが家にお迎えします。孫たちとまたにぎやかに花火をしました。短い間ですが仏様たちに我が家で過ごしていただきましょう。






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by kurashiki-keiko | 2017-08-14 03:47 | しみじみしたこと | Comments(0)

お盆に思う

 毎年お盆の準備は、墓掃除から始まります。
 若いころは墓掃除なんてしたこともなかったけれど、舅姑を送ってからは、私たち夫婦の、そして一緒に住む長男夫婦、孫が生れてからはお嫁さんは来られなくなり、長男と私たちの3人で、11日くらいの早朝に行っています。今年も、長男と3人で。
 と思ったらなんと、夫がその朝忘れて散歩に出てしまっており、長男と車で出かけたら、帰ってくる夫に出会い、車で拾って行きました。
 
 墓地に着くとあら、今年は草がない。たぶん、墓地の管理者が除草剤を撒いたようです。おかげで枯れたお花を片付けてシキビを供えてお線香を手向けておしまい。

 そしていつもは夫婦で汗だくで協力して祭壇を組み上げるのですが、今年は気が付いたら夫が大部分をしてくれていました。
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霊供膳と、お花は痛むので墓参りツアーが終わってから供えるつもりです。

それにしても、若いころ、いえ子どものころに祖父母宅に行くと、青い薦(こも)を敷いた立派な祭壇がしつらえてあり、お盆の風物詩、と思いつつ、親から託されたお供えのお菓子を置いてリンを鳴らしたものでした。
 仏さまをお祀りする立場になってみると、このお盆中の行事が結構忙しいものだと知りました。墓参りをする前の草取りや掃除。夫の両親の眠るお墓と、夫の母の両親の墓参り。母は2人姉妹だったので、私たちが行かないと母の妹一家の方はあまりお参りしていないようなので、2歳で亡くなったという母の妹の小さなお墓と、母の両親との小さな墓標にお花を手向けます。
 それから、父の兄たちまでが眠る元禄以来のお墓20基がある田舎の墓地。夫の祖父母と伯父までがこちらに入っていて、とても見晴らしの良い山の上の方にありますが、車が横付けできるのが助かります。崩れてしまった丸っこい五輪の塔も3つくらいあり、文字が読み取れる一番古い墓標が元禄10年ごろという、古い墓地です。
 3か所回り、年によってはさらに私の実家の先祖が眠る墓地まで回ると、もう1日仕事で、夏の暑いこともありへとへとになります。今年はそんなわけで私の実家の方の墓地は弟たちにお任せして、省略することにしました。

 帰宅してから祭壇にお供えする霊供膳の料理?もこしらえるつもりなのですが、色彩を考えつつ煮ものの組み合わせを考えています。

夜、暗くなってからは肥え松を燃やして「送り火」をしがてら花火をする予定です。
送り火をするのもうちのご近所ではたぶんうちくらいの物ではないでしょうか。もっとも、お仏壇のない若い家庭が我が家のまわりには多いのですが。
夫の両親がやっていたのを受け継いだだけなのですけれど、母は父が亡くなってからは月に向かって「おーい、おーい、お父さん、これを見て帰ってきてちょうだいよ~」と叫んでいましたっけ。

 だんだんと体力的に、と、頭の回転が鈍くなり、段取りを考えるのが面倒になってきています。お盆の祭壇を作る段取りなども、お嫁さんに引き継いで行かねばと思うのではありますけれど、以前私が何にも知らなかったことを思うと、その場になればがんばって学ぼうとしてくれる、と思います。



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by kurashiki-keiko | 2017-08-12 22:59 | しみじみしたこと | Comments(0)

道央の旅 その6 ニッカウヰスキー余市蒸留所

 8月3日、朝8時半ごろホテルを出発。目指すはかつてNHKの朝のドラマ「マッサン」でその夫婦の様子を描かれていたニッカウヰスキーの醸造所です。
 以前私は竹原の竹鶴酒造の建物を見学したこともあり、ニッカウヰスキーの創業者の家だといたこともあったのに、あのドラマを見るまでは奥さんがスコットランドの出身者だったことは知りませんでしたし、竹鶴政孝さんの功績も知りませんでした。ドラマを見て、遠い異国の地で結ばれてその夫一人を頼ってはるばるやってきたリタという奥さんのことをもっと知りたいと思って楽しみにしていました。
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こちら、醸造所の広々とした敷地の案内図です。スコットランドの地に似た気候で、泥炭が取れること、そして多分広い土地が手に入ったことがニッカウヰスキーの操業にかかわっていたようです。入口近くのウヰスキー博物館には、ウヰスキーの製造工程やら歴史、それに最後のほうにリタの生い立ちと竹鶴と出会った時のこと、結婚生活まで、ちょうど「マッサン」のドラマのもとになったドラマチックな出来事が説明されていました。スコットランドにウヰスキーの勉強に行った竹鶴さんがリタの弟に柔道を教えるようになったのがきっかけで、クリスマスプディングの中に入っていた1ペンス銀貨?を彼が、そして指ぬきが入っていたのを彼女が食べたので、将来結婚するといわれていた習わしとして囃し立てられたそうです。偶然といえば偶然、ドラマのような始まりでした。

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こちらはリタの生まれた家の玄関を模して造られたリタと竹鶴政孝さんとの家の復元されたものだそうです。玄関ホールを入ると和風の引き戸、内側には両側に和風の棚が作りつけられてありましたが、全体は洋風。和室もありましたが、リビングルームは洋風のようでした。リタの料理は完璧で、イカの塩辛や、お正月には竹鶴家の家風なのかぶりと大根の入ったお雑煮まで作ったのだそうです。また、当時は外国人は大変珍しかった時代でしたが周囲の人と仲良くなろうと大変交際にも力を入れたようです。余市で本格的にウヰスキーを作るようになってからは、スキーやゴルフにも興じるなどスポーツも好きだったようです。たった一人日本に来て、どれほど心細い中で竹鶴さんを愛し慕い、健康に気を遣い料理を作り、日本人に溶け込むように努力したことか、その人生を思うとドラマ以上に感動しました。
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広々とした構内。
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 熟成のために置かれた樽。ここで夏も冬も過ごし、湿気の多くて寒い冬には樽の木が縮み、夏場には膨張し、とかいう時を経て黄金色になっていくのでしょう。
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by kurashiki-keiko | 2017-08-04 04:45 | しみじみしたこと | Comments(0)

病院内のアンケートに

 夫の2か月に1度の定期受診に、栄養指導を組み込んでもらっていて、例によって食事の写真をリストにして持参していました。3つの科を受診する合間に栄養指導に出向き、そこの待合で待っていると、栄養士の卵?の人から「アンケートに答えてもらえますか。近頃の市販のお弁当について」というので、そういえば、私がいないときには夫は外食だし、私が外出するときは手作り弁当持参なので、市販のお弁当を買ったことがない、と答えて、アンケートはたぶん市販のお弁当のおかずの内容の偏りについてらしかったのですが、該当しませんでした。
 私、手作り派は少ないのでしょうか。余談ですが、私、いまだにカップラーメンなるものを食べたことがありません。その昔は袋入りのラーメンを具沢山にして食べたことはありましたが。
 そんなわけで(どんなわけ)今回の我が家の晩ごはん(時々昼のおそうめんも入っています)の
写真はこちら。
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 左下隅の写真、シューマイは先日友の会の料理教室にキャンセルが出て入れていただいたときに習ったものです。手作りシューマイは昔「暮しの手帖」を見て作って以来何十年ぶりか。蒸すのでヘルシー。たくさん作って余ったのを息子たちにあげたら、後日、好き嫌いが結構ある孫が沢山食べたそうでうれしかったです。

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by kurashiki-keiko | 2017-07-27 23:32 | しみじみしたこと | Comments(2)