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お雛様展

夢空間(サロン)はしまやで「旅するお雛様」展を、ブログを通して知り合った小野寺光子さんが開いているという案内状をいただき、28日まで会場にいらっしゃるとのこと、やっと時間が取れたので、自転車で出かけました。

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ご本人のブログによると、これまではしまやでは、いろんな素材の変わったお雛様展を企画してきたそうで、今年は小野寺さんに声がかけられたそうです。それで「どんなお雛様にしようか」と思い、いろんなところへ旅をするお雛様というのを考えたそうです。
 小品ばかりで、奥行きのある額、その額に桜と橘のイラストを添えて、さらに和紙で手作りしたオーナメントみたいな桃の花をつるしているのでした。
お雛様もいろんな種類があるものだなあと教えられました。
小野寺さんのこのところのブログはこちらです。http://oneday55.exblog.jp/15595818/
はしまやホームページhttp://www.hashimaya.com/

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by kurashiki-keiko | 2011-02-28 22:44 | おでかけ | Comments(0)

鞆の浦へ

2月27日(日)、停電の我が家を出て三世代でのドライブ、第2回目。
手頃な距離ということで、夫の好きな鞆の浦へ。
途中、昼時になったし、赤ちゃん連れで気兼ねなくということで福山市街の回転寿司へ。
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ゆう君、男の子らしく?やんちゃになりつつあり、子供椅子にじっとしてはいない。たちあがろうとするので、私の上着の袖を括り付けてシートベルト代わりに。
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なんだか変わったものが流れてきたので取ってみると、タケノコ、長いも、芽ねぎでした。確かにヘルシー。
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鞆の浦は数年前義母もつれてきてあげたひな祭りをやっていました。ここの古民家の前の駐車場が運よく出る車があって入ることが出来ました。それで真正面にあったこのお宅へ見学に。
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甘酒の接待があっておいしくいただき、奥へと進むと、まるで蝋人形みたいにお雛様の横に時代がかってちょん髷を結った人がいて、動くので本物の人間とわかりびっくり。
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お店の外の掲示物がなんだか国際的でした。
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ここならではの商売、船具屋さんの店先。この前来た時にはマリン柄の手ぬぐいを買って手ぬぐい好きな娘へお土産にしたのでした。
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こちらは珍しい凝った折り紙細工のお雛様。
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折り紙ののれんで飾られたお雛様は、軒先とはいえ屋外に飾られていました。

例によって長くなるのでこちらをクリックしてご覧ください
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by kurashiki-keiko | 2011-02-28 22:25 | おでかけ | Comments(0)

停電2時間

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わが家のお向かいに新築中のコーポの工事のため、日曜日というのに大勢でやっています。
おかげで10時から12時までの予定で停電だとのこと。
「電化の家」にしたわが家、テレビはもちろん暖房も止まり、電話もホームテレホンの内線は無理だし、冷蔵庫から麦茶を出そうとしたらドアが開かず、炊事も出来ずポットで湯をわかす事も出来ず、トイレに行ったら便座の冷たさに飛び上がった。パソコンは早めに切ったから安泰だけど。
全く手も足も出ない、でパンチのお骨をみんなで庭に埋めてやり、あとは出かけるしかない、ということに。…

 「太陽光発電」設備が出来たけれど、それは決して停電の時に自家で使えるものではなくて、電力会社に送るだけの物であったことを再認識しました。
 もしも災害の時に役立てるとかいうものであるならば、発電したものを自分の家の蓄電池にためておいて、こういう時に使えないと意味がないとつくづく思います。このたびニュージーランドでも地震災害があり、電気がなかなか復旧していないというニュースを聞くにつけ、家々それぞれにこういった設備があれば、全部とは言えないまでも一部でも電力が賄えて助かるのでは、と思います。
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by kurashiki-keiko | 2011-02-27 11:20 | 住まい | Comments(4)

町内会に入らないということ

 毎月第4土曜日の午前中は、私の小学校区の民生委員の定例会があるということ、それも朝9時から、というので、義母のデイサービスセンターにお願いして、8時45分のお迎えにしてもらいました。
 せかしても無理、ということはよーくわかっているので、分刻みのスケジュールをA4用紙にマジックで書き出し、万事ゆっくりの義母をそれとなく追いまわし?なんとかお迎えに間に合うように送り出すことに成功。やれやれ。

 今回の議題もいろいろでしたが、来年度の定例会の時間を9時半からにしてもらいたいということでみなさん賛成、今朝のあわただしさも少しはよくなりそうでほっとしました。
 伝達事項の後で、それぞれの民生委員のカバーする範囲を市役所?のほうから配布された住居地図をもとに確認していくのが最も大切な作業でした。特に地域の端っこの方にどちらに入れる?というお宅が数件あることが多く、話し合って線引きをしていきました。
 もともと郊外の田んぼが多かった当地区にも、宅地開発の波が押し寄せ、虫食い状にどんどんと住宅地が広がっており、線引きも、「ここのアパートは建っているところはA民生委員の範囲だけれど、大家さんがBさんの地区なのでBさんの範囲」だとかで飛び地になったり、いろいろ。
 なかでも後から小規模に宅地になった地域は、ごっそりと町内会に入っていないところもあるそうで、町内会の役員になりたくないというのが大方の理由なのかもしれないけれども、そんなところへは市の広報も届けられず、また地域住民の町内会費を出しあっての行事などにはそこの地域からの子どもも寄ってきて参加するのに、という不公平が生じるようです。民生委員としても町内会からの情報も得られず、非常に困るみたい。
 幸い私の受け持ち区域は、住民名簿もしっかりあって、その不備なところをどうやって整備するのかをほかの地区の人に聞いてみてびっくり、住民名簿などない、と言われてしまいました。
 それだと、どうやって高齢者の要見守り者をリストアップするのか、万一の連絡先などの把握もされていないみたいなので、本当にびっくり。私の受け持ち区域が大体整備されているのでほっとしたようなわけでした。
 それにしても、みなさん気持ちの良い方ばかり、お知り合いになれてよかったなと思えるような方々で、役得、だなあと思います。困ったことがあっても皆さんと力を合わせて行けば何とかなると思えます。
 帰りに、独居老人?宅を訪問、前2回お留守だったお宅に行くと、お1人暮らしとはいうものの、同じく一人暮らし仲間の人と自転車であちこちお楽しみに出かけていらっしゃるようす、まず心配なさそうだったのでほっとしました。初めてお会いできてよかった。いずれ保険証のために証明がいるとのことなので、地図を見ながら我が家の場所をお教えできてそれもよかった。 
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by kurashiki-keiko | 2011-02-26 16:01 | 地域社会 | Comments(0)

グルメ レストラン西川荘にて

 お葬式の帰り、私は義妹を乗せて行ったのですが、夫とも合流し、午後1時半ごろになっていたので、夫のあとについて行って西川荘で食べました。
一番安いランチ「せきれい」1,470円。
さすがに昔は高い塀に囲まれた料亭だったというので、器がきれい、お雛様みたいな感じでした。

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こちら前菜。色合いが春らしくて暖かなイメージです。

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茶碗蒸しだけ後から来たのでここにはありません。
右上がお刺身(カンパチ?)、内裏雛みたいに入れ物の中でこじんまりとしていました。
d0031853_135132.jpg向こう真中の蓋物、これまたお雛様みたいな食器。
蓋を取る前。茶碗蒸しは合成で貼り付け(下手!)です。

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デザートです。クルミ入りのココアケーキと、パインと生クリームでした。
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by kurashiki-keiko | 2011-02-25 17:01 | おでかけ | Comments(0)

息子を亡くされた悲しみに

 お葬式に行ってきました。
80を超えたような年寄りのお葬式だと、一種親族の同窓会みたいなところがあるのですが、今回ばかりは、自衛の父親の後をついで一緒に仕事をしていた後継ぎ息子のそれも享年35歳(満34歳)という若さの人が、突然に亡くなったのですから、母親の悲嘆たるやそれはもう。
 聞けば、昼間両親とご飯を食べ、日中仕事をして夕方4時ごろ?「ちょっと休憩してくる」と自室に寝に行き、7時ごろになっても夕食に2階から降りてこないので妹が呼びに行くと、布団の中ですでに冷たくなっていた、というのです。
 あまりの突然の死に、親は納得いかないでしょう。憔悴しきった感じで、父親にあたる夫のいとこは、すっかり年を取った感じ。
 お友達からの手紙を式場の係員が弔辞ということで読み上げましたが、おっとりとした心づかいのあるやさしい息子だったようです。口数は少ないけれども、それとなく気遣いをしてくれた、というお思い出をつづっていて、故人の性格が伝わってきました。
 読経が終わり、飾ってあった花をみんなでお棺に入れてのお別れの時には、ひときわ高くその母親と妹の鳴き声が会場に響きました。「起きて、起きて、なんでそんなところで寝とるん!」「みんなで写した写真よ。一緒にいれるからな」。。。
 そして、お棺の蓋をしたら釘をみんなで打つのがこれまでのしきたりでしたが、裏側にお別れの言葉を書き記した立派な帯のような布を蓋の上からかんぬきのように架け渡してお棺に封をするという形にしてくれていました。私も、その釘を打つというのが、若くして逝った息子にはあまりにかわいそうと思っていたので、そういう形式があるのか、と思いました。
 焼き場まで見送りに行きましたが、喪主である父親が火葬のボタンを押す、というのがほんとうにほんとうにかわいそうでした。
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by kurashiki-keiko | 2011-02-25 16:41 | しみじみしたこと | Comments(2)

逆縁ということ

 23日昼ごろ、掃除機を動かしていると電話があり、夫のいとこからでした。ただならぬ気配を感じて、86歳になる叔母さん(いとこの母)の訃報か?と思っていたらなんと、後継ぎの長男が死んだというので、耳を疑いました。その子はうちの息子のどちらかと同い年でまだ30代のはじめ。え~、どうして?と聞くと、くも膜下出血とのこと。
 お通夜が24日午後6時半から、お葬式が25日11時から某会館で、とそれだけ聞き、おなぐさめの言葉も尽くすことはできずに電話を切りました。
 夫のいとこは以前交通事故に遭い、同乗していた娘と共に大けがをして後遺症もまだいくらかあるはず。自営業の後継ぎに長男が学校を出て親子で仕事をしていたので、家も安泰かと思っていたのに、まだ結婚もしてないうちに急死するとはなんという。
 私たち自身がまだ元気なせいか、子供が自分らより早く死ぬなんてこと自体考えてもいなかったけれど、こういうこともあるんだ、という苦い汁のような思いが湧き上がってきました。老母を抱えて後継ぎに死なれたいとこやそのお嫁さんの悲嘆はいかばかりか、考えるだけでも気の毒でたまりません。
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by kurashiki-keiko | 2011-02-24 01:12 | その他 | Comments(6)

ラジオ深夜便「覚めた目と温かい心」 渡辺和子先生

 ラジオ深夜便の時間にはよいお話がいろいろあるのですが、4時台に起きていることはさすがにまれです。
 昨夜は、合唱の練習から帰宅し10時からの教育テレビのパソコン教室を興味深くメモしつつ見ているうちに寝入ってしまい、気が付くと1時。…ラジオで4時台にノートルダム清心学園理事長渡辺和子先生のお話があるとの予告。

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まさか4時台ではねえ…と思いつつ起きてると、話が始まってしまい、よく知られている、2・2・6事件でお父様が青年将校によって射殺されたくだりなどが本人の言葉で生で聞けたものですから、ついつい最後まで聞き、5時に就寝でした。
 
 渡辺和子先生は1936年2月26日から2月29日にかけておきたクーデター未遂事件である二・二六事件において犠牲になった陸軍教育総監 渡辺錠太郎氏の娘さんです。
 お母さま44歳、お父様53歳?だったかの子供で、陸軍の旭川師団長だった時に旭川で生まれたそうです。師団長に孫が生まれることはあっても、子供が生まれたことはなかったそうで、お母さまはとても恥ずかしいと言われると、お父様が「なーに、男が生むのなら珍しいけれど、女が生むのだから少しも恥ずかしいことはない」と、なんともユーモラスな機知にとんだ言い方で、生まれることが出来たそうです。上のお姉さんは22歳年が離れており、その子を妊娠しており、孫と子がおなじ年に生まれたそうです。
 お父様は小学校4年までしか行っていなかったそうですが、非常な努力家で、学費のいらない陸軍士官学校へ行き、優秀だったのでしょう、陸軍大将にまで上り詰めたのです。
 お母さまも学歴のない人だったそうですが、夫の出世に伴い、それに見合う人間になろうとこれまた非常に努力をなさったそうです。
 お父様は、外国へ出て世界情勢を知るにつけ、日本が諸外国を相手に戦争をして勝てないことを悟り、軍部が戦争に向かうことに反対していたそうで、そのために旭川師団に転勤させられたそうです。その後は故郷に帰って農業をするつもりだったようですが、情勢が変わったのか、また東京勤務、そして邪魔になった青年将校の凶弾に倒れたのです。
 この時殺されていなかったら、戦争に駆り出され、結果として戦後に戦犯として裁判に掛けられただろうから、少しでも戦争を阻止する立場として亡くなったことはよかったのかもしれない、とおっしゃっていました。
 年を取ってからの4人目の末っ子だった和子先生は、長く親と一緒にいられないからと非常にかわいがられ、川の字になって寝ていたそうです。その朝も、お母さまが支度のため早く起きてお父様と寝ていると、青年将校たちがトラックで乗り付けて門を怖し入り込んできたとき、お母さまは気丈にも「土足で入るとは何事」と立ちはだかったそうですが、それも一時、お父様は和子先生に「お母さまのところへ行きなさい」と言われたものの、お母さまがどこにいるのかわからず、また寝室に戻ると、お父様は困った顔で、目顔で立てかけてあった座卓の陰に隠れるようにと言われたそうです。
この時点で、和子さんはもう一度お父様に命を助けられた、とおっしゃっています。
 その後でふすまが小さく開いて、銃口がのぞき、狙撃されて、何発かは応戦したようですが、もちろん多勢に無勢、亡くなられたそうです。お母さますらもいらっしゃらなかったお父様の死を、家族の中でただ一人目の当たりにされたのです。片足は形がなくなるほどの撃たれようで、その後はお母さまが「あちらへ行ってらっしゃい」と言われ、最後に包帯だらけの姿と対面したそうですが、あとで聞けば40数発の弾が入っていたそうです。
 9歳の時にそういう修羅場を体験され、現在83歳、生涯忘れないと言われています。

 お父様を亡くされて、旧軍人に恩給もなく、つましい暮らしとなったので、お母さまは、子供に残せるのは学歴だけだと言われて、和子さんにも当時の聖心女子の国文学の専門学校を卒業したところで戦後の教育改革で女子大となり、これからは英語の時代だから、と、新制大学の1期生として英文学部に入りなおすようにと言われて大学を出してくださったそうです。
 子供のころから「1番になりなさい」などとても厳しいお母さまだったそうです。

 後半は現在の学生に対する教育のことでしたが、以前私がこのブログにも書いた「置かれた場所で咲きなさい。花が咲けないときは、下へ根っこを伸ばしなさい」
という言葉などがあったのですが、眠気があったのか、後半のところはあまりよく覚えていません。
ただ「先生方にご挨拶するときは手袋やマフラーを取りなさい」とか当たり前と思われることも言っている、ということや、相手に対してすべて信頼してしまうのではなくて、98%の信頼をする、残り2%の部分はなんとか・・・・(半分眠かったのかそこのところを覚えていなくて残念です。聞いた時にはいいなあ、と思えたのに)

こちら、講和集が発売になっているそうです。
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by kurashiki-keiko | 2011-02-23 10:54 | 感動したこと | Comments(0)

祖母の紅茶

 夜中、ふと、もらい物の紅茶があったので、ガラスのポットで紅茶を入れてみることにしました。お湯が沸くまでに、昔田舎の家に行くと、祖母が紅茶を入れてくれたことを思い出しました。
 
 祖母の紅茶は、優雅な模様のティーカップに、茶こしに紅茶を入れて上から注ぐというものでした。子供のころの私はそれが紅茶の入れ方だと思っていましたが、父は、「あんなの紅茶じゃない」と言うのでした。
 祖母は女学校を卒業すると祖父のところへ方違えというのをしてから人力車で輿入れしてきたそうで、金屏風を立てての自宅お座敷での婚礼は立ち見の見物が出るほどだったそうです。
 祖父は大手の鉄鋼メーカーのサラリーマンでしたのですぐに都会での新婚生活が始まったようです。戦争中は鉄鋼統制会というのに出向していたそうで、あちこちから接待があって羽振りがよく、娘たちには一人に一人ずつ女中が付き、おそろいの洋服を着せてもらい、宝塚の観劇にもよく行き、ピアノを習うような環境だったそうです。隣が貿易商だったので、奥さんのお付き合いに背伸びして様々なものをよく買ったようで、こちらはサラリーマンなのに身分以上に浪費してしまい、残ったのはピアノだったとか。
 定年になった時、祖父の友人は家を建て、祖父は家を建てても空襲で焼けてしまっては、と貯金したら、結果的に友人の家は焼けずに残り、貯金した祖父は貨幣価値が落ちて紙切れ同然になってしまったのだとか。
 結果、下の叔母は上の学校へ進学したかったらしいのですが、長男である父の学費がかかるというので断念させられたようです。終戦後は田舎の先祖からの家に引き上げて、にわか百姓の祖父と内職で細々と食べているような生活だったそうです。そんな中であの紅茶で見果てぬ都会暮らしの残影を追っていたのかなあ、と思い出しました。

 ずっとのちに私も紅茶はポットでジャンピングするように入れる、というのを知って、あの茶こしに茶葉を入れてお湯をかけるだけだった祖母の紅茶が逆に懐かしく思われたことでした。都会で結婚生活をスタートさせた祖母、姑のいない気楽な生活のかわりにお料理とか家事を習うところもなく、家計簿も知らず、お金があればあるだけ浪費していたようです。私が結婚するときにノリタケの楕円の大皿やキャセロールなどの洋食器や重箱を譲られましたがその頃買った物でしょう。
 その当時に『婦人之友』や「友の会」に出会っていたら別の家庭生活が送れたのかもしれません。
 
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by kurashiki-keiko | 2011-02-22 00:26 | しみじみしたこと | Comments(4)

見守り訪問

 午前中、家族新聞の発送準備、1人暮らしの息子に(たぶんろくに見もしないかもしれないけれど)一応親としての心境をつづった手紙を書いたり、娘のところに送る分とは別に、先日のミュージカルのリハーサル、肝心な演技を見ることが出来なくてざんねんだったよ、とひらがなのはがきを孫娘に書いたり、記念切手を選んで貼ったり、その他家庭事務をし、昼から家族新聞の発送に行った帰り、ずっとできずにいた民生委員のお仕事、前任者から教えてもらった見守り家庭を自転車で訪ねて歩きました。
 1件目は以前私が水中ウオーキングをしていたとき、同じクラスだった人でした。あの時はお元気そうだったのに、腰を痛められてからは出歩けなくなっているそうでした。でもお留守。
 2件目はお1人でご両親の看病をされている娘さん。脱水で点滴を受けるなど一時は大変だったのが持ち直したところだ、とのこと。お父さんはまずまず一人で自分のことをでき、デイサービスに行っているそうですが、お母さんは食事やら何やら介助必須とのこと。「デイサービスに行っている間は気分転換しないともたないですよ」と自分も体験中なので親身になれる。
 3件目は男性で一人暮らし。縁側のガラス戸を寒くてもあけて応対される。玄関まで出向くのが大儀なのでしょう。体のほうは達者らしく、陽気が良かったので今日は自転車で社会保険事務所まで出向いたのだとのこと、ちょっと安心。
 4件目は、お母さんを介護している息子さん。玄関先に木製のスロープを作りつけてある。お母さんのお顔は見えなかったけれど、「どうかお大事に」と声をかけて帰る。
 5件目は一人暮らしながらお元気そうな女性。ちょうどお姉さんが来ているとのことで外に車があったので、ちょっとだけ話をして帰る。
 6件目はお留守だったので、カードに来たことを記入して郵便受へ。
 7件目は…私の中学の恩師、偶然にもこの地に家を建てた時、その先生のお宅で間もなくお葬式があり発覚。学校時代はなかなか厳しいびしっとした先生で、今でも尊敬しています。その先生、退職後も世間が放っておかず、ボランティアの役職をなさっているそうなので、ご挨拶に。お散歩中とのことでしたが、奥さんとお話ししていると帰宅され、本人にお会いできました。
 8件目は、お1人暮らしとはいうものの、ブロック長をされていてまだまだ元気な女性。ブロックの様子をお聞き出来てよかった。
 9件目は一人暮らしの女性。高齢ではあるけれどお元気そうで、ミシンの手仕事や庭先の植物を育てるなど、じっとしているのは罪だと思うのが性分で、と明るい。怠けものでじっとパソコンに向かうのが至福の時である私などは、あやかりたい。
 10件目は、ちょうどヘルパーさんが来ていて、本人を呼んできてくれた。ご本人は膝が悪くて動作が鈍くて早く出てこられなくてねえ、と言われたけれども、これでお会いするのがゴミステーションを含めて3度目になり、ちょっと打ち解けられて良かった。
 11件目は、見守り対象とは前任者から聞いていないけれども、高齢でもともと私の知り合いの人。すぐそばに独居の人が3軒あるので、逆にその人にも見守りをお願いすることが出来ました。
 まだあと半分残しているけれど、温かな今日の午後、思い切ってまわれてよかった。
 新米なのでなかなか出向いていくのがおっくうですが、やっぱり人生を重ねてきた人とお会いできるのは私のためになるなあと思いました。
 私が今は60代初めだからそう思えるのか、これが私も年取ってくるといったいどうなるのか?先になってこのバトンを受け取ってくれる人が現れるのか?そこのところがちょっと不安ですが、いやいや、神様はきっとそういう人を用意して下さるものと信じて、今の役割を自分なりに果たして行こうと思う今日の仕事でした。
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by kurashiki-keiko | 2011-02-21 23:04 | 地域社会 | Comments(0)