<   2014年 02月 ( 25 )   > この月の画像一覧

弔問

 「家族葬にしますからお付き合いはご遠慮う申し上げます」と、ご近所やら関係の方にお伝えしていたものの、ひっそりとこっそりと?、以前私が先方のお葬式にお付き合いしていた2人の方が、「以前いただいているから」とお香典を持って訪ねてこられました。
 また、遠縁にあたる方も、「家族葬と聞いたので当日は遠慮したけれど、やはりお参りがしたいので」と来られました。普通のお葬式でも後から知った、と来られる方はいらっしゃると思いますが、家族葬となると、思いはいろいろ。内に向かって、家族だけで送りたいという家族の思いと、最後のお別れがしたいと思っている人をシャットアウトすることの是非と。どちらがどうというのでもないですけれど、よいところあれば不都合もあるということでしょうか。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-27 23:01 | その他 | Comments(0)

入園前

 25日、孫のゆうくんの幼稚園1日入園がありました。お母さんと一緒に半日を過ごしてきたそうです。やんちゃ坊主なのでじっとみんなと同じように座って話を聞くというのがなかなか難しかった模様。そのうちにとは思いますが。
 私は大事な委員会の会議も頼める人にお願いしてお休みし、色々事後処理に走り回っていました。入園用品の手提げ袋の縫物指導?も2週間ぶりになってしなくては、と水曜日、再開、お嫁さん、頑張って何度も縫い直しをしながらもお弁当袋と着替え入れが完成、もう少しです。
 また、27日(木)は妹の3か月検診。しっかりと育ったkaoriちゃんを抱いてお母さんが出かけた時にはゆうくんはお昼寝中。1時間したら起こすことになっているので、起こすとお母さんがいない、とわーん、と泣きかけましたが、アンパンマンの絵柄の付いたひなあられを用意していたので、「食べる?」と聞くと機嫌が直りやれやれ。私と向かい合ってあられをポリポリ。いい音だね。実はゆうくんは牛乳が飲めません。何とか風味の豆乳なら飲めるのですけれど、幼稚園では牛乳を飲む日というのがあるそうで、ちょっと心配。この日もほんのちょっとのコーヒーで風味付けした牛乳を温めて出したのですが、飲んでくれませんでした。小さいバナナも1本食べる?と聞いて食べかけたところへお母さんが帰宅。よかったね。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-27 22:54 | | Comments(0)

義母が亡くなって その2

 朝7時頃を過ぎると、親族はもちろん、お付き合いのある諸方面への連絡に追われました。夫の兄弟たちが前々から家族葬を希望していましたので、ご近所へもお知らせだけは町内の役の人にお知らせし、家族葬にするのでお香典だとか参列だとかはご遠慮申し上げます、と伝え、夫の会社の事務所の人にも、社員の方のお付き合いを遠慮していただく旨お知らせ。私の関係にも、火曜日の委員会の欠席のことと、私がするべき役を替わっていただけるように、託すものを副リーダーに持参してお願いしました。
 そんなで午前中があっという間に過ぎて行きました。
 
 午後は夫の兄弟たちが遠方から駆けつけるので今どこそこ、という連絡が入ったり、また4時から納棺師の方によりご遺体をきれいに洗っていただく。シャンプーまでしてもらい、お化粧、お預けした本人が好きだった紫色の着物を着せていただくのに夫と立ち合いました。まだ30代くらいのスマートな男女二人組の方でした。

 お通夜には故人の3人の子供とその連れ合い、孫とその連れ合い、ひ孫たち、それに故人の妹の息子夫婦が参列。
 家族葬にしますからとお断りしていたのでご町内の参列もなかったのに、故人が最後までお世話になっていた老人ホームの施設職員の方2人が参列、通夜ぶるまい、というのか握りずしを用意してもらっていたのを「どうぞどうぞ」と終わってからおすすめして食べていただいていると、遅れてさらに2人、1人と来られました。代表者としてこられたのではなくて、訃報を聞いて夜勤の仕事も手に着かなかった、とか、頑張っていた義母のエピソードとして、栄養剤を飲んでもらうために、息子たちが送ってきてくれたことにして勧めると、それでは、と一生懸命飲んでくれたという話などしてくださり、子供たちへの愛情もまた感じたり職員の方たちの真摯なお世話の態度にうれしくなったりでした。ごく内輪だけ、軽めに、と考えてお寿司を少なめに注文していたのは失敗でした。

 葬儀は翌24日11時から。10時前には式場控室に。葬儀にもお通夜に来られなかったホーム職員の方2人が参列されました。
 出棺の時には故人が愛した男の孫たち4人が担いで霊柩車へ。霊柩車には3人まで乗れるというので、位牌やお茶湯茶わん、骨箱を持った夫含む兄妹3人が乗っていきました。

 すべて終わって我が家に帰ると、間もなく白木の祭壇を組に葬祭業者さんが来られ、仏具屋さんから、毎日お茶湯と、炊き立てのご飯と汁物、煮物、お漬物の白木膳と供具団子を毎日1つずつ増やしていって満中陰の法要まで続けること、7日目ごとにお看経(おかんき)をすること、など義父の時にしたのですが十三回忌もすぎると忘れていたこともあり教えていただき、仏具屋さんにお位牌の裏に没年月日を刻むのをお願いしておきました。幸い戒名は義父が亡くなった時に夫婦でいただいていたので、生きている義母のほうには朱を入れていたのを抜いてもらうのでした。
石材屋さんにはお墓に同じように没年月日を入れてもらう連絡をして満中陰の法事の骨納めのときに墓石を動かしてもらう手伝いに来てもらう依頼をしなくてはなりません。
 あれやこれや、お葬式が済んだからやれやれというわけにはいかず、さらに少ないとはいえ近い親族などからのお香典の始末やら業者さんへの支払いのことやら、年金やら諸手続きが山ほど残っています。明日から社会保険事務所やら市役所やら保険屋さんやらに歩かなくては。施設へのお礼やら居室の片付けにも行かなくては。
 
 茫然としたり悲しんでいる暇もない感じです。悲しくないわけではありませんがしみじみ故人をしのぶのは肉親に任せて嫁は事務作業にかかる、ということかなと思います。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-25 04:51 | しみじみしたこと | Comments(2)

義母が亡くなって その1

 今の家に住むようになったのは直接的には夫の両親と隣り合って住んで義父を介護するためでしたが、そのいわば戦友でもあった義母が突然亡くなりました。
 93歳の高齢だったので年に不足はないかもしれませんが、22日(金)夕方、40℃の高熱を出したので救急搬送してもらうと入居中の老人ホームからの連絡に、病院に駆けつけると、原因はどうやら尿路感染、腎盂炎の疑い、だったので、抗生剤で多分2週間くらいで退院かと思っておりました。
 
 病院にお預けしたからまずは安心、と思っていたら23日午前12時半ごろの真夜中、「すぐ来てください」との病院からの呼び出し電話。行ってみると蘇生のための心臓マッサージが行われていましたが、40分くらいしても自発呼吸も心臓の鼓動もないとのこと、心電図は平らになり、死亡が確認されました。看護師さんの11時の巡回は何事もなかったのに、12時に巡回してみると心肺停止だったとのこと。
 あまりに突然のことで、夫も私も茫然としました。

 入院になった時、「ここはいや、早く帰りたい」と言っていたのが、「すぐよくなるからね」と言って別れたのが最後でした。天国のお父さんが呼んだのかもしれません。

 看護師さんにきれいにしていただいて、旦那寺の和尚さんと相談、25日(火)は友引のため前日24日(月)の葬儀になっても死亡時刻が23日の早い時間なので24時間は経つことになるから大丈夫と分かり、パタパタと段取り、2時半に葬祭業者さんの車の迎えで直接葬祭会館の霊安室へと運んでいただく。
それから葬儀の細かい打ち合わせに。
 年よりもいるのでもともとそこの積み立てをしていたこともあり、割引になるものもありでおよその見積もりをしてもらって打ち合わせが終わり自宅に帰ると明け方の5時。

 夫はそこから寝ましたが、私は前夜早めに10時半ごろ就寝し夜中12時半ごろ起こされたから2時間の睡眠だったけれど、遺影になる写真をパソコンデータとアルバムから用意したり、お座敷の床の間に飾っていたお雛様を撤去(ガラスケース入りで簡単だったのでよかった)、掛け軸をお雛様から仏具のお軸に掛けかえたり、遺体に着せてもらおうとかねて取っておいた紫色の着物を取り出したり、使っていたお茶碗を出したりお棺に入れるものを考えたりとバタバタしていたら寝る間がありませんでした。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-25 02:41 | しみじみしたこと | Comments(4)

帰宅

 2泊3日になった研究会から帰宅しました。久々の東京、こんなことでもないと東京にはご縁のない私です。19、20日と降水確率が高かったので雪になるかと大変心配していましたが、幸いお天気に恵まれ無事に帰ってきました。また、20日には甲府から田中周子さんがやっとのことで出てこられ、新聞が5日分まとめて配達されたのだとか。山梨はこの雪で孤立状態になっていただけに本当に大変な思いをされていたことでしょう。おかげで子どもの世界のとても心あたたまるよいお話をいただけました。
 新幹線の中で本日の筆記ノートのポイント語句に赤線やら青線を引いたり囲ったりして復習。あと報告書を書かなくては。どうまとめるかがまた苦心するところ。
 おかげさまで留守宅も特に何もなく、手のかかる夫には朝食2日分と夕食3回分を作りすぐ食べられるようにして出たのでしたが、ちゃんと初日の弁当箱と、その後の食器洗い、それに洗濯もして自分の下着2回分とタオルを干していました。ほんのちょっとは自立したかな?
 私はといえば明日も外出予定があるので、今日中にたまった洗濯物だの家計簿整理だの様々な残務処理。d0031853_23263382.gif
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-20 23:27 | 日常 | Comments(0)

展示

d0031853_911398.jpg

会場後方に持ち寄られたものが展示中。
倉敷のも興味深そうに見られています。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-20 09:11 | | Comments(0)

d0031853_722757.jpg

ホテルの20階の部屋から。左下は警察署、その右は郵便局らしい。さっきラジオ体操をしました。4時半に起きて昨日のノート整理。何しろレポートが気になります。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-20 07:22 | | Comments(0)

1日目昼食

d0031853_12271260.jpg

会員心づくしのカレーです。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-19 12:27 | | Comments(0)

東京行き。

d0031853_148298.jpg

東京に研究会のため一人新幹線で向かっています。号車番号を切符で確認しつつ席を探すと、その窓際の席には安らかに 眠っている年配の紳士。起こすのも悪いかと通路側に座りながら「あの、私窓際なんですが。」と言うと、むこうも切符を取り出し比べると全く同じ座席番号。同じ列車番号。バッティング?そ、そんなことが?車掌さんに聞かなくては。と、彼、「ここは?」「岡山です」と、彼、寝過ごしたと判明。慌てて立って行きましたがすでに発車した後。
私はほっとするやらお気の毒やらで旅が始まりました。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-18 14:08 | | Comments(0)

バラの手入れ

 芽が動き出す前にと思っていてずいぶん遅くなったので、綿入れのコートの上に農作業着のウインドブレーカーを重ね、腕カバーと作業用の前掛けをつけ、貼るカイロを入れてから作業開始。
 最初は「サラバンド」という赤いつるバラ。それに「新雪」「ロザンナ」「カクテル」という種類のつるバラの込み入った枝を整理して整姿し、枝を切り詰め、誘引作業をして完了。
 次に肥料。牛糞が予定の半分以下しかなかったので4等分、それから骨粉と油粕をイチゴパック1杯ずつ、というのだけれど、骨粉がなくて骨粉入りの油粕2杯ずつで代用。
 株の周りを掘り、配合したそれらの肥料を1本分ずつ入れて行って完了・・・のはずがおっと、最近購入した「ナエマ」というフランス由来の香りのよいピンクのバラをすっかり忘れていて、昼近くなっておなかがすく中、急いで剪定と肥料やりをして完了。
 そうそう、その合間に軒下の朝顔やゴーヤのところに植えていたエンドウが落雪ですっかり押しつぶされていたその支柱を起こしました。
 寒かったけれども久しぶりの庭仕事、気持ちよかった。これでまた今年もきれいなお花が楽しめることでしょう。
[PR]

by kurashiki-keiko | 2014-02-15 20:49 | | Comments(6)