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星野仙一氏亡くなる

 プロ野球の野球殿堂入りしてお祝いの会をしたばかりの星野さんがお亡くなりになった。
昨年11月13日に、倉敷市民会館で民生委員制度発足100周年記念行事の講演を聞かせてもらって間がないので、とても驚いています。
講演の内容によると、星野さんは本当は強かった倉敷工業に行きたかったそうでしたが、弱かった方の倉敷商業へ行き、甲子園へ行くことができなかったそうです。明治大学の野球部では甲子園に行ったことのある人が優遇されたのでなにくそと、目立つ方法を考えてなんとかグランドに入れるようになり、成績を残すことができたのだそうです。
 ユーモアあふれるお話で、その後の監督人生を含め機を見るのにうまい人だったのだなという印象です。ここぞというときに決断できるかどうかで人生の道筋が違ってくるということはこの人を見ればよくわかる気がします。
 あんなにお元気そうだったのに、わずか2か月足らずでお亡くなりになるとは、驚きと同時に、体調の悪さを隠していたのかしら、と少しばかりの悲しさくやしさを感じます。
 プロ野球選手・監督としての業績は改めて知りましたが、負けず嫌いの性格と同時に、機を見ることの大切さ、ここぞと言うときの決断の大切さを教えてくださった人だったと思います。
 ご冥福をお祈りします。

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by kurashiki-keiko | 2018-01-06 13:30 | しみじみしたこと | Comments(0)

孫とおすもう

 2,3日前、預かるときにお散歩ももう寒くなってきたし、家の中では孫は何かというとすぐパソコンのアンパンマンもどきの動画を見たがるけれど、それはなるべく避けたいと思っていて、ふと思いついておすもうごっこを始めました。
 孫たちはテレビでお相撲を見ることはないらしく、私のうろ覚えの所作を面白がってくれました。私がまずは呼び出しさんになって「〇〇山ぁ」と呼び出し、今度は2人ともお相撲さんになって、土俵に上がり、四股を踏み、塩をまき、仕切り線に手をついて見合って、はっけよい。塩かごに見立てたのは牛乳パック椅子。ちょうど二つあるので、見えない土俵のそれぞれの隅のあたりに置いて、そこへ手をやって塩をまく所作をします。
 見えない仕切り線に向かってこぶしをつき、相手を「勝ってやるぞ」としっかりにらんではっけよい。手加減で勝ったり負けたりになるようにします。賞金が出たら手刀をして受け取る。・・・それらの独特の所作が孫にとってはとても面白いらしく、何度ももう一度、もう一度、と挑んできます。なにしろ4歳女児ですから軽々とつり出し、も可能ですがそこはそれ。
 とまあ、やってみてから、(あれ、四股を踏むだけではなくてなにか手を打ち鳴らしていたっけ、とかどうもはっきりしません。最初はそれでやっていましたが、自分で納得できずに、YOU TUBEで確認してみると、最初に自分の方の陣地?で四股を踏んで口を漱いで、それから塩にかかっていました。
 そして孫とたまたま「しょっきり」の愉快な所作を見てげらげら笑い、また孫とお相撲ごっこ。
 四股を踏むのはまた股関節の運動になってよいかも、と、孫にもしっかり足を開いて踏ん張る、と教えて、面白がる孫と何度も取り組みをし、勝ったり負けたり、賞金(に見立てた薄い箱)を軍配に見立てたうちわに乗せて手刀で受け取る、というのをやっています。
 お相撲界というのは今いろいろと問題が怒っているみたいですが、平和な孫とのお相撲ごっこです。

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by kurashiki-keiko | 2017-12-08 22:48 | | Comments(0)

出征する人見送る人

 NHK総合テレビの「ファミリーヒストリー」。11月29日の回は佐野史郎さん。
彼の家は150年続く医者の家系だったそうです。地域医療を担って、長男は大事な後継ぎだからと特別扱いされて育ったのだとか。佐野史郎さん自身は医者にならずに役者の道を志してしまったのだけれども、弟によると、カニ味噌を食べさせてもらうのはお兄ちゃんだけだった、のだとか。
 そんな彼のお父さんのご友人に、新潟で現役医師をしている人が語ったお話がありました。90歳で現役、というその人は、同世代の人が兵役に着く中で、自分たちは医学部だったために兵隊に行かずに済んだ、だからその分勉学に励まなくては、という気持ちが皆あったと思う、と。

 私の父も生きていれば92歳になりますが、あの時折映像で目にする雨の神宮球場の学徒動員の出陣式の模様、父はスタンドで見送る側だったそうです。旧制六高の文科を、小説家を夢みて受験したものの失敗。やむなく京都の恩地塾という予備校に通う間に親友になったのは、医者の息子でどうしても医者にならなくてはならなかったというM君。そのM君に影響されて医大の予科に方向転換して合格したそうです。おかげで兵役免除になったとのこと。人生万事塞翁が馬とはこのこと。
 そのおかげでというか、代々の医者の家系の娘だった母とお見合いして結婚したというわけでした。

 で、佐野家は地域医療の仕事を絶やさないようにと、弟さんが今ではあとを継いでいらっしゃるのだとか。
 母の実家も江戸時代からの医者の家系で、祖父が医学生の時に曾祖父が急逝したために、しばらく途絶えたので、祖父が又開業した時には苦労もあったのだと聞かされていましたが、母の弟になる叔父が2人医者になり、叔父の娘がまた医大に合格した時の祖父の喜びは大きかったそうです。
 佐野家のおじいさんが往診に自転車やオートバイで駆け付ける話は、祖父が晴れ用、雨用の2台を持ちよく手入れしていたことを思いだしました。そのドロップハンドルの自転車のハンドルとサドルを結ぶ横棒に往診カバンを下げて行ったり、また狭い田舎道でも行けるようにと初代マツダキャロルを愛車にしていたことも思いだします。
 田舎医者、として地域医療に貢献していた祖父、叔父、そして従姉妹。よく頑張っています。

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by kurashiki-keiko | 2017-11-30 22:29 | しみじみしたこと | Comments(2)

英会話テキストで倉敷美観地区が

 今日聞いたことですが、NHKのEテレの「しごとの基礎英語」の11月号テキストに、倉敷美観地区と児島のジーンズストリートでの会話が取り上げられているのだそうです。
 さっそくテキストを手に入れることにしました。
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 私は高校2年生の時に、当時のラジオ「基礎英語」を毎日聞いていました。英語の授業の成績はさえなかったけれど、発音はよくなったような気がします。
 地元の観光案内が英会話のお手本として取り上げられるなんてめったにないことなので、勉強してみたいです。

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by kurashiki-keiko | 2017-11-07 22:27 | ニュース | Comments(0)

TBS「コウノドリ」第4話から

 産科医のドラマ「コウノドリ」第4話を見て。
安めぐみさん扮する、第1子の女の子を帝王切開で生んだ妊婦。次の子はどうしても自然分娩したい、とがんばってがんばって。上の子の女の子も産気づいたお母さんをとても心配して見守る。夫役が岡山県出身俳優の前野朋哉さん。auのCMで一寸法師の役をやっている人。さえない感じがとてもいい味。
 最後に駆け出しの研修医がお母さんにおめでとうを言ったこと。主人公のサクラが、「医者の中でも産科医はおめでとうと言える数少ない医者だ」という場面。本当にそう。
 私の父も、60才ごろに、友人の老人専門病院経営の人に、来ないかと誘われたらしいけれども、新しい命の誕生の瞬間に立ち会える産科をやめる決心はつかなくてお断りしたとか聞きました。お産は日夜いつともわからない激務だけれど、そんな父の喜びがそんなところにあったのだなとその時に思いました。
 今回もなかなか家族のもとに帰れない医師の話題が出ていました。
 うちの父にもなかなか休みがなかったことを思います。医師を陰で支える妻や子の存在も忘れてはならないと思います。

 手術するために手を大切にしなければならないと、母は庭木の剪定や大工仕事もやっていましたし、父親とはキャッチボールもしてもらえなかったと弟は言っていたようです。
 ただ、その当時の地方の公立病院は小さくて家族的だったから、夏には病院から何度かみんなで日帰りで海水浴に行って近所に住む院長先生の一人娘とか内科医の双子の娘さんらと仲良く泳いだりしたことが楽しい思い出です。お父さんたちは休憩所にした旅館で医師や薬局長、レントゲン技師さんら職域を越えて囲碁や将棋を楽しんだり飲んだりしてひとときを楽しんでいました。小学校の時代の古き良き小ぢんまりした病院の時代でした。
 病院が大きくなるにつれてそういう行事も少なくなっていったようです。



 


More( msnニュースより引用)
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by kurashiki-keiko | 2017-11-03 23:28 | その他 | Comments(0)

父の思い出

13日から「コウノドリ」というドラマが始まりました。
赤ちゃん誕生の周辺を扱う、周産期医療の現場のドラマのようです。

私の父は地方の公立病院で長年ただ一人の産婦人科医として勤めていました。このドラマのような大勢の働く近代的な病院ではなかったので、孤軍奮闘だったと思われます。ドラマでは医者同士の人間模様も描かれていますが、父の板病院では産婦人科医は一人だったものですから、同僚とのやり取りはなく、四六時中のお産もあったのに病院としての当直勤務も入っていて、休みらしい休みはあったのでしょうか。
 年末年始にも当直が当たると休めませんし、日曜日も「抜糸がある」とよく出かけていました。当時は車を持つこともなかったので、冬の夜中でもお産の呼び出しがあると、熊のような体に母の編んだ毛糸のターバンのような帽子をかぶり、自転車で出かけて行っていました。
 当然ながら家族でどこかへ泊りがけで出かけたという記憶はなく、日帰りで姫路城と、金毘羅へ出かけたことがあったなあ、という程度でした。
 ドラマのようないろんな出産事情が地方の病院にあったかどうかはわかりませんが、高齢出産の人が生んだ赤ちゃんが一目でダウン症だとわかったという話だとかは聞いたことがありました。
 私も結婚して子供を産むことになったとき、実家に帰り、父の病院でお産をしました。まさか父に子供3人ともお産の世話になるとは子供の頃には思いもよりませんでしたが。産気づいたときが夜の11時ごろだった長女の時と、朝がただった次男の時には父が私の身の回り品を入れたスーツケースを自転車に付けてくれて歩いて一緒に病院へ行きました。(長男の時には夕方だったのでタクシーで一人で行きました)父と二人で歩くことはたぶんこの先ないのかもしれない、と思いながら一緒に歩いたことを思いだします。
 看護師さんたちは父の娘だから何でもよく知っているのだろうと思われたようでそれが困りました。ただあんまり見苦しく痛がるな、ということは言われていました。孫を取り上げた父の気持はどうだったのでしょう。

 ドラマでは主人公は天才的なピアニストでもあるということになっていてすごいなと思いますが、父は学生時代に弾いていたマンドリンが趣味で40代?の頃は一時期ギターマンドリンクラブのコンサートマスター兼アレンジャーみたいなことをしていました。一度は公民館のホールで演奏会を開いたこともありました。あの頃の父は毎晩テレビの前で胡坐をかいてマンドリンをチリチリならしていましたっけ。ラジオ深夜便で思い出の曲リクエストコーナー、か何かで、「丘を越えて」のギターマンドリンのイントロが流れた時、父を思ってぐっときました。
 
 ともかく、夜中に仕事をすることも多々あった父の影響を受けたのかどうか、夜中に起きているのが割合平気な性分になってしまったのは因果な事です。

   ↓ 「丘を越えて」動画



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by kurashiki-keiko | 2017-10-14 03:07 | しみじみしたこと | Comments(2)

「女王ヴィクトリア 愛に生きる」を見て

 遅い時間帯なのですが、NHKの「女王ヴィクトリア」を前回から見始めました。
何が興味があるといえば、当時の衣装とか小道具、大道具の数々、よく知らなかった時代背景、もちろん主題の彼女の愛情・結婚などに関して。この時代についての詳しいことはほとんど知らないといってもよいので、豪華な衣装や背景がとても興味があります。
 夜の場面では盛大にろうそくがともされていて、なるほど、木や紙でできた日本家屋ではあそこまで盛大にろうそくをともすなんてしたらたちまち火事が心配なのですけれど、ほぼたぶん石造りか何かだろう西洋のお城では大丈夫なのかしら、と思ったり、本題の女王様の結婚問題もどこかへ飛びそうなくらい興味津々です。
 それにしても、洋の東西を問わず身分が高すぎる人の結婚は相手が絞られるし、とても難しいものがあるものだと思いました。ふさわしい身分や年齢であっても宗教だとか民族性だとか、周囲の思惑だとかが渦巻いて本人たちが勝手に決められないもどかしさ、本当に大変だなあと思います。物はありすぎると大変、かえってない方がさっぱりするわ、とはないもののひがみというものか。
 今回は入浴シーンがありましたが、バスタブにつかる女王様の髪の毛を侍女が洗っていました。髪の毛にお玉で何か掛けていたけれど、あれは何だろう? また、体は自分で洗うんだろうな、とかいろんなことを考えていると、高貴なお方というのは、そういう意味では庶民のような羞恥心を持っていたらやっていられない、いや持たないのだろうな、とか下世話なことをいろいろ考えてしまいました。
 
 本題の方でしょうけれど、女王様の結婚相手というのは、自分から結婚してくださいと言うのではなく、女王から結婚してくれと言われるまで待たなければいけないというので、周りはやきもきするという場面がありました。ヴィクトリアがその気になって申し込むということで初めて結婚が成立するのだなと思いました。



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by kurashiki-keiko | 2017-08-28 06:18 | 新聞・テレビから思う | Comments(0)

「鳥人間コンテスト」を視て

 2時間スペシャルということでしたが、私の見たかった彼が出たのは後半の「人力プロペラ機部門」のさらに後半の方でした。
 なかなか出ないなあ、と思いつつ見ていると、滑空部門にしろ、その時を目指して1年がかりで機体を製作し、あっという間にプラットホームから墜落、というグループもいくつかあって、せっかくのパイロットの鍛錬も藻屑と費える、というのがかわいそうでした。
 目指す彼の時間は、「伝説の〇〇」と形容され、番組ホームページによると、現役時代に優勝した時の成績は歴代5位にランクされていました。
 その彼が、あれから11年目で31歳というのに、ストイックに食事制限をして体脂肪率6%だとか、自転車こぎのトレーニングを2時間続けるだとかいうのが映し出され、びっくり。
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「彼女は」という質問に「そんなものは、ねえ」とはねつけられたと、出演者一同のけぞっていました。

ご両親や兄弟たちも応援に駆け付け、
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こちらは彼自身が作ったクラフトを基にお母さんが手作りしたというチームバッジ。チーム名の「BEYOND」をカエルが跳ぶようにびよーん、という文字を沿えて。


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そしてこちらは彼の名前を入れて「ソラノGOGO」と大書した傘。空からもよく見えるように、がんばって作ったのでしょう。応援合戦もテレビ取材を受けて協力したのに、番組には編集でカットされて残念だったそうです。兄弟たちみんなの手作り応援グッズやら差し入れやらでみんなで力&心のこもった応援だったようです。

 飛び出した機体は幸い落下することなく20㎞の折り返し点まで飛び続けたものの、体力の消耗を伴う折り返しを避けてまっすぐ飛び続け、飛行距離はたぶん2位になったと思います。孤独な体力勝負の人力プロペラ機の狭いコックピットの中の必死の努力の様子を映し出されて、飛行機というメカの中でのなんて人間的な、と思いつつ手に汗握ってみておりました。
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 こだわる彼を支えた東北大学OBのみなさんが機体を作ったらしく、熱意と技術に拍手を送りたいです。
 ちなみにこちらは彼のイラストで、自身をガマガエルに例えて、たびたび実家に送っているようです。
彼の茶目っ気が感じられます。
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by kurashiki-keiko | 2017-08-25 00:01 | 新聞・テレビから思う | Comments(0)

「鳥人間」!

23日(水)夜7時から、今回で40年目だそうですが、琵琶湖で飛ぶ「鳥人間」の番組が今年もあります。
なんと、お友達の息子さんが今年は31歳でまた飛ぶのだそうです。
彼はかつて東北大学からパイロットで飛んで優勝した人です。
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楽しみに見たいと思います。





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by kurashiki-keiko | 2017-08-23 13:15 | 新聞・テレビから思う | Comments(3)

NHK「ファミリーヒストリー」 ショーン・レノン&オノ・ヨーコを見て

 
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18日夜の「ファミリー・ヒストリー」、ショーン・レノンとオノ・ヨーコ編は興味深く見ました。
小野家の先祖が岡山藩にいたとのこと、岡山大学に資料が残されている、という部分では地元だけにビックリ。
戊辰戦争で敵味方になっていた女性と結婚したという話にもまたドラマチックなものを感じました。
そしてそして、皆さんすごいお家柄、すごい経歴の持ち主ばかり。
お母さんが安田財閥のお嬢様というかお姫様のような人だったのだとか。
それで反骨精神からあのようなアーティストになったのですね。
そしてジョンとの出会いは、たまたま彼女の展覧会を見に来たジョン・レノンが、作品の脚立に上がって虫眼鏡で見上げた先には小さな「yes」の文字があったとの事。世界を肯定しているのだと捉えたそうで、彼女のアートにはまったジョンの方が積極的だったのか?
 また、有名な「イマジン」の曲想はもともとヨーコの詩がベースにあって、ジョンが作曲したのだそうで、あの曲は2人の合作だと認定されたのだとか。
 私も、長い間彼女を誤解していたことに気づきました。ジョンが射殺された後、苦労して一人でショーンを育てたということも、知りませんでした。
 ショーンのことも、彼女とジョン・レノンとの間にできた子だとは思っておらず、先妻との間の子かしら、くらいに思っていたのが大誤解でした。

 そういう番組はあまり見ない夫も引き込まれて一緒に見ていました。
 見ごたえある番組でした。





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by kurashiki-keiko | 2017-08-19 02:20 | 新聞・テレビから思う | Comments(0)