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スカイツリーを堪能

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目の前のスカイツリー、ライトアップの色の微妙な変化やら雲に隠れた様子、日の出も見えました。1日目にスカイツリーに上っていて広く見えたのに、翌朝は上層階の展望台は雲の中で、前の日でよかった、と思ったことでした。
 ライトアップも紫色だったりブルーだったりと変化がみられてきれいでした。
 また、2日目に5時15分ごろだったか、日の出が見えて慌てて写せてよかったです。
 しかしその後、室内に真正面から日光が差し始めると暑いのなんの。遮光カーテンをほとんど閉めておかないとまぶしすぎるし。なるほど、最初に到着したときに遮光カーテンを昼間だというのに閉め切っていたわけが分かりました。ということは逆に1日目天候が悪くて幸いしたというわけだったのでしょう。

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by kurashiki-keiko | 2016-08-31 06:32 | | Comments(0)

嵐もあるさ、人生には。旅に出ます。

 29日(月)から、2泊3日の旅に出てきます。夫の退職記念にいただいたカタログギフトの中から、旅行を選び、2泊のプランが4つばかりあり、その中から選んだのが東京・浅草のホテル。浅草といえば近くのスカイツリーに行かない手はない、お上りさんなので、はとバス必須だわね、とか言いつつ私がほぼプランを作成、新幹線の切符も割安のジパングクラブを利用して、と最寄りのJTBに出向いたところ、「電車の切符は1か月前でないと買えません」。…そんなこともうっかりしていた私。
 ちょうど1か月前に勇んで出直し、さっさと座席指定券も購入し、心待ちにしていたこの日。
 ところがところが、あろうことか台風がそちらに向かっているではあーりませんか。
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なんということでしょう。せっかくのスカイツリーが雨雲の中にありそう。はとバスのコースは、東京湾クルーズ50分、というのも含まれているのに、千葉あたりまで見えるどころか、嵐の中カモ?それよりなにより、はとバスの集合に間に合うように電車が止まらずに運行してくれるものか?
 不安は尽きませんが、人生には嵐はつきもの。
 夫の行動にも若いころと違い不安がいっぱい、頭の中は一体どうなっているの?と思うこともしばしばです。夫の行きたいところに行かせてあげようじゃないの、と老妻?は悩みつつ夫の後に付き従うことにします。(実は取り仕切っていたりして)センチメンタルジャーニー、いやもとい、弥次喜多道中をしてまいります。d0031853_1343835.png
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by kurashiki-keiko | 2016-08-29 01:18 | | Comments(4)

重森三玲の庭を訪ねて

 5月15日(日)午後1時、京都駅八条口で、インターネットで契約していた観光タクシーの運転手さんと出会うことが出来ました。たびの足と言うサイトで、実際にやってきてくれたのは都タクシーと言う会社のKさんでした。
 聞けばこの日は京都は有名な葵祭だったそうです!見てみたかった、残念、でも人の後ろで何も見えなかったかも。。。
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(ニュース映像から)

 行きやすい所からで結構です、というと、では、と駅の北に向かって走り出し、えっ、と驚いてプリントして用意していた物を手渡すと、行ったことのないお寺だったので調べると同じ名前のお寺があったのだそうです。光明院、こっちですか、と、方向転換。

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(クリックで大きくなります)

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最初に行った光明院は道の奥にあり、駐車場もなかったので、運転手さんが道端に止めて待っていてくれました。門の脇には・・・
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光の加減で見えにくい所もありますが、やたらに遊び半分で見ないでマナーを守って、という事らしいので、お庭を見たくてやってきた私、ぜひにと拝見したくて入りました。玄関先には受付の人もいらっしゃらなくて、太い竹の筒に志納金300円程度を入れるようにとあったので、2人分を入れて入りました。

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お座敷は開け放たれていて人の気配はなく、静かにお庭を鑑賞することが出来ました。これまで見たことのない感じの斬新な、人が立っているかのような石の配置をしたお庭。苔が茶色っぽいのは残念でしたが、梅雨の頃ならきれいな緑色でもっとよかったのでしょう。

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次はこちら、東福寺。山門は、東大寺と興福寺に負けないくらいのお寺をとのことで、威容を誇っていました。

d0031853_519479.jpg運転手のKさんもあまり来ないコースなので勉強のため、と、観光業者のパスみたいなのを受付に出して一緒に見学しました。

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こちら、建物に入ってすぐ渡り廊下があり、その右手。北斗七星を模した円柱状の石が配してあるのでしたが、それを後から知り、7つ写していませんが。重森三玲さんにお寺側からの要望としては、それまでにあるものすべてを使う事とかだったそうで、こちらは東司(つまりトイレ)の基礎の石だったのだとか。

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こちらは反対側の左手にある広いお庭。竜安寺の石庭を思わせられる枯山水です。細長い大きな石を配して、見応えのあるお庭。時計回りに建物を回ってみました。

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こちら、さつきの植え込みが市松模様になった大胆な配置のお庭。苔の部分が波のようになっています。さつきの時期が過ぎているのは残念でしたが、この配置の斬新さは際立っています。

次の庭に行く前に渡り廊下がせり出して展望台のようになった部分、運転手さんによると紅葉が見事な場所なのだそうです、
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向う側の橋は通天橋といって、そこの部分だけも拝観料を取るのだそうで、紅葉の時期には大勢の観光客でにぎわうようです。

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こちらは、岡山県の吉備中央町だったか、三玲の出身地で見た写真のお庭がこちらでした。市松模様の苔。苔八結構厚みがあるものだなと思いました。ふかふかになった部分もあり立体的な市松模様でした。

 次の霊雲院は、東福寺の塔頭の一つであったので、門のところまで運転手さんと一緒に歩きました。すると・・・前方に舞妓さんと芸妓さんをモデルに撮影会があり、余禄に与かりました。
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先ほどの通天橋と青葉をバックに素敵な写真が撮れることでしょう。

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こちら霊雲院です。門前に車を回して待っていてくれることになりました。これがレンタカーだと、元の駐車場までまた歩いて帰らなければならないところです。大変助かりました。

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ずっと奥まったところに山門があったので、その入り口の道の所で待っていてくれたタクシーに乗り、最後の善能寺庭園へ。山の中へ入っていきました。

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それはこちらの泉涌寺の塔頭になるようで、まずはこちらの受付で拝観料を払い、左手奥の小さい建物の前の石段を下って行くと、あるのだとの事でした。(そっちを見るのは無料だったのに・・・)

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小さい山門。

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この正面の石組が、開放的でこれまでの囲われたお庭とはちょっと違った雰囲気だなあと思っていたら、建物の左手をぐるりと回ったところに、池の水を抜いてしまっっていたけれど立派なお庭がかくれていました。
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建物の角にぐるりと取り巻くようにお庭があるのでうまく写真に収めることはできませんが、大きな木がかぶさるようになった立派なお庭でした。木の葉が落ちるので管理がしにくくて水を抜いたのかもしれません。
・・・ということで、4か所を3時間かからずにタクシーのおかげで回ることが出来ました。テーマを決めて見て回ったことは良かったかなと思います。
ついでと言っては失礼ですが、泉涌寺の本堂にも入り、狩野探幽の筆という、天井画の龍も拝観しました。なんでも、曇りの日には高い天井がかすんで見えないことがあるのだそうでしたが、幸いにもこの日は晴れ渡っており、しかも午後の日差しの方が方角がよくて、かなり劣化しているようでしたが、小鳥や獣よけの網まではっきり見えて、ラッキーですよ、との事でした。


参考ににしたサイトはこちらです⇒京都観光Navi:庭を見る 重森三玲編A
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by kurashiki-keiko | 2016-05-16 04:33 | | Comments(2)

香典返しカタログギフトで温泉へ

 母のお葬式で喪主の弟にお香典を包んで、そのお返しとしてもらったカタログギフト。お香典をたくさんしたのでカタログギフトも多分高額だったのでしょう。でも、「物」はもういらない、ということで、どこか温泉にでもと決めました。
 ちょうど二世帯で一緒に住んでいる息子たちが一泊でお嫁さんの方の法事に出かける、と言うのでその日に私たちも出かけることに決めました。
 カタログにあった温泉地で1泊で行ける所ならどこでも、という事で、わりと日が迫ってから申し込んだせいで、やっとのことで取れたのが加賀温泉の中の山代温泉「みどりの宿萬松閣」というお宿でした。
 そこで、そこへ一泊し、まっすぐ帰るのも時間が余りすぎるので、途中京都へ下車して午後の3時間ほどを京都観光、と言うプランをたてました。
 さーて、京都で3時間、どこにしよう。西と東の本願寺、二条城、伏見稲荷、など、駅から近い場所なら、と、東福寺もいいのでは、と調べてみると、東福寺のとてもモダンな市松の苔の模様、どこかで見た…と、岡山県出身の作庭家、重森三玲の作であることが判明。岡山県では有名な景勝地豪渓の近くの生まれらしい・・・ということで、テーマをこの重森三玲の造ったお庭を巡ることにしました。
 そして、調べてみると東福寺の近くに4つあることがわかり、公共交通機関ではうまくまわれるかどうか心配だったので、タクシーを見積もりしてもらいました。こちら⇒たびの足
出発当日の朝、見積もりが11,400円とのことだったので、お願いすることにして、前払いは出来ないので当日現金払い、という事にして出発しました。
 途中、特急サンダーバードが何やらトラブルのため緊急停止があり9分くらい遅れるという事がありましたが、無事加賀温泉駅にお迎えに来ていたマイクロバスに乗車したのは午後2時40分ごろ、乗って見たら私と夫と若い人が1人、の3人だけでした。時間が早かったせいでしょう。

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写真は翌朝取った宿への坂道。温泉街を抜けて山の上の方に急な坂を上ったところにありました。

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立派な外観。

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ロビー脇の庭園。

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7階客室からの眺め。遠くの方の駅近くに巨大な観音像があり、ここからもはるかに見えました。客室係のかね子さんに尋ねると、宗教法人ではなくて、バブルのころに儲かった人が建てたのだそうですが、その後バブルがはじけて、壊すにも億単位のお金がいるらしく、周囲が草ぼうぼうなのだそうです。なんともったいないお金の使い方をしたものです。

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客室係のかね子さんにより、「今時分だと誰もいませんからお風呂が貸切みたいできもちいいですよ」とのことで、3時台でしたが早速温泉に行ってみました。はたして、広々とした浴室にはだーれもいなくて、しかも露天風呂がすぐ迫った斜面には木漏れ日の木がびっしりでなんとも贅沢な、よい時間でした。カメラを浴室に持ち込むわけにもいかず、こちら、露天風呂の囲いの外側ですが・・・色々露天風呂も経験しましたが、人がいなかったことも含めて、本当に気持ちの良いお風呂でした。
 食事はダイニング、とはいえ大広間ではなく落ち着いた感じの場所で、量も、多すぎないのがよかったかと思います。飲まないので食べるペースが早く、ご飯を早めにいただいて終り頃の白魚のかき揚げ?がやっとお腹に収まりました。
朝は5時頃お風呂にもう一度行き、6時過ぎから夫と散歩。ひんやりした空気がよかった。そういえば、加賀温泉駅に降りた時から空気がひんやりしていました。
もっと山の上の方にも3軒ばかりお宿があり、その近くまで行っていたらびっしりの竹藪があり、タケノコも生えていて、それをつついていたら、地元のお年寄りが通りかかり、「手入れのしていないここら辺のタケノコは全然おいしくないよ」とこの地の軟らかい物言いで教えてくださいました。地元の人の話を聞けたのはよかったです。タケノコも、日当たりの悪い手入れのしていないここのようなところのものは全然おいしくなくて、手入れしている竹林のタケノコはそれはおいしいという事、タケノコも昨年はさっぱり出来が悪くて、今年は出来がいいとか。「今日はこれから金沢へ行く、不便ではないけれど、バスに乗ってから電車で」とのこと、そこからバス停までは多分1㎞以上はありそう、と思われましたが歩いて行かれました。
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行った時とはうって変わって満席のバスに乗り加賀温泉駅まで送ってもらいました。
サンダーバードは福井県の間は各駅停車で、特急とも思えないようなスピード感で、夫によると特にこの湖西線が長く感じるそうです。田植えが進行中の湖西線風景をながめつつ京都へと向かいました。(つづく)
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by kurashiki-keiko | 2016-05-16 01:42 | | Comments(0)

美保関灯台-水木しげるロード-皆生温泉-ぼたん園

 せっかくの大型連休、時候もよいし、一泊くらいはどこかへ泊まりに行って見たい、と、迫ってからJTBに駆け込み、倉敷から車で出かけられる範囲で、と、山陰の温泉を見てもらったら、やっとこさ空いていたのが皆生温泉でした。そこで、鳥取は境港(さかいみなと)近辺を訪ねてみることにしました。
朝9時頃倉敷の我が家を出発。途中、蒜山サービスエリアに立ち寄ったところ、これは失敗。曇っていて蒜山三座が見えない上に、団体旅行客で女子トイレは長蛇の列、おまけに気温が10℃ほどと、薄着で行った人は震えながら行列についていました。個人のドライブではその手前の落合か上野パーキングエリアで休憩をすべきでした。

大型連休だから昼ごはんも混まない内に、と、境港の、「大漁市場なかうら」に隣接した「御食事処弓ヶ浜」をネットで調べてカーナビをセットして第一目的地にしていました。11時過ぎに到着、いい塩梅にまだ混んでいなくて、すぐ座れました。こちらで海鮮丼をいただくのが第一目的だったのですが、海鮮丼だらけ。
で、鯵とイカのが2種類あるし値段も高すぎなかったので。「みなと丼」1,400円なり。
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カニ足の出しのお味噌汁もおいしかったです。なんといっても白いかがシーズンで抜群においしい。

 続いて、鳥取・島根の県境の橋を越えて、お隣島根県の美保関(みほのせき)灯台へ。間違ってみほがせき、で検索したらお相撲部屋が出てきて、わずかな違いなのに大違いでした。

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灯台の建物の手前に「灯台ビュッフェ」があり、海を見渡せるカウンター席が素敵。お昼を食べている人もいらっしゃいましたが、我々は済ませていたのでコーヒータイム。

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向うに隠岐の島が見える、はずなのでしたが、島影は見えませんでした。と、夫が右上の方に何やら見つけて、「潜水艦?」

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目を凝らして見ても点にしか見えず、動かないし、何?

 山の上の方の「関の五本松公園」には満開のつつじがあったので魅力的ではありましたが、今回はパスして元の県境の橋をめざしていると、ちょうど隠岐の島からやってきた連絡船が、橋の下を通って行くのを見ることが出来ました。橋の高さがあまりにも高いので、いったいなぜ?と思っていた所でしたので、謎が解けました。
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結構大きな船で、そのてっぺんの塔のようなものは相当な高さ、満潮時に橋に接触しない高さというと、あのように高くなったのですね。車で上を通るのは結構急坂になっていました。

水木しげるロード、様子がわからず適当に行って見たら、民間駐車場で1日500円、という所がありました。で、
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水木しげる記念館の前には、妖怪のなんとか婆の着ぐるみと記念撮影する親子。入場料は一般大人700円、小学生300円、中高生500円。

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アンパンマンのやなせたかしさんも来場していたようです。

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まずは2階に行くと、撮影OKと言うコーナーがあり、等身大?のゲゲゲの鬼太郎やねずみ男の看板?があり一緒に撮影できました。1階に降りると、水木しげるさんの半生が写真とともに展示されていました。
そこで思ったことは、黒柳徹子さんとちょっと似ていて、学校時代は鳴かず飛ばず、学校に入ってすぐにやめたり落第したりと、挫折続きの前半だったようです。ただ一つ小学校時代に褒められたのが絵の才能。紆余曲折、最初は赤貧洗うがごとしだったようですが、終わりよければすべてよし、ゲゲゲの鬼太郎のおかげで売れっこになり、苦労も報われたようです。

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通りを歩いていると、ねずみ男の着ぐるみがいました。

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こちら、妖怪「イソガシ」。忙しい忙しいと走り回っていたらこんな妖怪が取りついていたりして。

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こちら、昭和30年代にあったような駄菓子屋さんの店。

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鳥取の端っこの、境港と言う小さな町のレトロな商店街、ほっとけば多分シャッター通り、であったはずなのに、水木しげるさんのおかげでこんなにも大賑わい。地域おこしとしては大成功ではないでしょうか。

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一夜明けて、皆生温泉の宿の窓から見た6時過ぎの景色です。

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海岸沿いに旅館やホテルが立ち並んでいます。
日本初のトライアスロンが開催された場所と聞いていますが、海岸が近いから地の利があったのでしょうね。

すぐに帰るのももったいないので、大根島の「由志園」というボタン園を訪ねることにしました。

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こちらも連休なので9時開演、とあったので9時半ごろに行くと、もう一番近い乗用車用の駐車場は一杯、砂利の第2駐車場へ案内されました。入り口はボタンの鉢を売る売店の中を通って行く仕掛け。商売上手なボタンの苗屋さんと言ったところか。でも庭園は確かに見事でした。切り取ったボタンの花を水に浮かべてボタンの池にしていて、たしかに色彩がとってもきれいでした。

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気に入ったボタンを投票するところが会って、入場券の端に住所氏名を書き込んで投票するので、1位に投票した人に何かいただけるのかな?と思いつつ夫と私もそれぞれ気に入りの花に1票を投じてきました。

 帰りにトイレに入ってちょっとびっくりしたのは、ジャパニーズカルチャーとして、中国語や英語、韓国語でウオシュレットのトイレの解説が大きく書き出されていた事。個室の壁なので狭いけれど証拠写真を撮ってきました。
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 お昼は、前日に行ったところへ結局言って、今度は定食をいただきました。
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今度は「白いか定食」1,650円。白いか定食とはいうものの、お刺身は旬の白いかのほかに猛者(もさ)えびも1尾付いていて、鯛のあら煮、カニ足の味噌汁。
横手の「大漁市場なかうら」でお土産を買って帰りました。
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by kurashiki-keiko | 2016-05-01 05:05 | | Comments(4)

秘湯につかりかずら橋を渡って

5月8日(金)夜の事、いつも週末は一緒に晩ごはんを食べている長男一家が、お嫁さんの実家の法事のためにお泊りで出ていくことになったので、こちらも急に思い立ってどこかへ行きたくなり、ネットで探して四国の祖谷渓のホテルに空きがあったのでネット予約して土曜日朝から出かけました。お天気は小雨。
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大歩危はちょうどたくさんのこいのぼりが泳いでいました。

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道はだんだん上へ上へと登り、おりしも雨模様だったのでまるで雲の上にいるみたい。

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お宿の祖谷渓温泉ホテル秘境の湯に着きました。道の駅西祖谷の脇に立派な屋根のついた門があり、それをくぐって行ったところにありました。

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お風呂はこのあたりの人が入浴料1,000円を払って外部から入りに来る温泉で、5時過ぎ頃に入りに行ったらすいていて女湯は4人ほど、露天風呂は1人だけで、そばの石を枕にして浸かっていると青葉がきれいに見えて本当に気持ちよかったです。いつもなら夕食作りにバタバタしている時間なので極楽極楽、と言ったところでした。

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d0031853_21242681.jpgd0031853_21245361.jpgd0031853_21251840.jpg夕食です。食前酒は地元産のヤマモモを独自に作ったというヤマモモワイン。季節柄、筍の木の芽和え、アマゴの刺身、阿波尾鶏のカルパッチョ、アユの塩焼き、蓮根団子、蕎麦など地元産の食材。揚げ物がありきたりの天ぷらなどでなくて蓮根饅頭だったのがうれしい。ご飯は一人ずつのお釜で炊いた地元産のお米で大変おいしかったです。ついたての向こうの隣のテーブルには、お1人の70歳前後とみられる女性がいて、「こちらは日の暮れが遅いですね」との事。どちらから?と聞くと千葉から10時間かけて来たとの事。紅葉がよかったので2度目だそうでした。
 

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ホテルから5㎞ほど行ったところに、有名な祖谷のかずら橋がありました。前夜パンフレットで、3年に一度掛け替えがあり、今年それがあったとのこと。

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岸の太い杉の木を蔓で結んでいるとのこと。渡るのは一方通行になっていて、500円。後から来た人が「怖い思いをするのに500円払って渡るとは」と言っていました。床に当たる木組みが15~20cm位隙間があるので下がよく見えて、手すりの部分のかずらを頼りながら1歩ずつそろそろと、冷や汗かきながらわたりました。
昔平家の落人たちが、追手が来たらただちに切り落とせるようにと、このあたりに自生していたシラクチカズラ(サルナシ)で作ったのが始まりとか。大水でも流されない吊り橋はこのあたりの人にとってかつてはなくてはなっらない交通手段で、最盛期には13か所ほどあったそうですが、柱となる太い立木が必要なため架橋位置を変えながら時代とともに徐々に数を減らしてきたそうです。

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琵琶の滝。平家の落人ゆかりの滝との事。

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この地の名物「でこまわし」。里芋、こんにゃく、じゃが芋、豆腐などを串に刺して甘味岨をつけて焼いた物。この店では里芋?と思って食べましたがどうも違う。聞けば里芋は秋に取れるので、今はそば団子なのだとのこと。味噌だれがおいしかった。

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かづら橋のそばの夢舞台という名前の土産物屋さん。大きな太い柱を打ち込んで渓谷に床を作っての大きな建物でした。

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平家ゆかりの屋敷には、いつでも火を燃やしてきた囲炉裏やら台所、イモ類を貯蔵していた穴倉などもありました。そして何より驚いたのは、ガラスの向こうで撮影は難しかったのですが、平家の赤旗があったことでした。800年もの歳月、それはそのままの物だったのか、作り替えられたものなのかはよくわかりませんが、平家の誇りを持ち続けていたという事なのでしょうか。

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「ツールドにし阿波」というのがあったようで、疾走する自転車は見ていて気持ちよさそうでした⇒http://tour-de-nishiawa.com/shiryou/map2015a.pdf
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by kurashiki-keiko | 2015-05-10 21:50 | | Comments(4)

「ドクターイエロー」


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次男が新婚旅行からの帰途、新大阪で見かけた「ドクター・イエロー」。
 新幹線のメンテナンス専用車両で、時折走っているのだそうですが、次男も実際に見るとは思わなかったみたいで、駆け寄って行って写真を撮ったそうです。ホームにはほかにも大勢カメラを構えている人がいたのだとか。本当にステキなアングルで後ろの方まで良く撮れていて、私もほー、出会うとラッキーだというから、次男たちも幸運に恵まれる事だろうと思いました。
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by kurashiki-keiko | 2014-10-29 11:46 | 興奮したこと | Comments(2)

長崎・上五島の旅を終えて

 今回長い間の念願だった上五島へやっと渡ることができました。夢は枯野を駆け巡るではないですが、まだ私の心は旅の風景を思っています。
 一番印象的だったのは、外海(そとめ)の、温石(おんじゃく)-緑紋片岩-というその地方に多く産出する平たい石を置いただけのキリシタンの墓標のことです。浦上ではその痕跡すら残さずに捨てられたという墓標やら遺骨も、外海ではびっそりと山の中に墓標を作ることができ、それでも名前を刻むことはできず、白い小石を拝むときにだけ十字架の形に置いて拝み、去る時にはその形を崩しておいた、という工夫、神父様の墓の上に神社を立ててカムフラージュしたということ。
 また、踏み絵を踏んできたら、許しを請う祈りの文句を唱えていたということ。
 上五島の教会群は、信仰を表だってすることができるようになった信徒たちの爆発するような喜びの表現だったように思えること。

 私はたまたま進学した大学の環境のおかげで二十歳で洗礼を受けましたが、結婚に際しては仏教の家庭に入りましたので、その矛盾に長い間ひそかに苦しんできました。幸い結婚式は姑の理解があったので、カトリック教会で挙げることができました。しかしその後のお盆の行事、さらに舅、姑が亡くなり葬儀やら法事を取り仕切ることになり、仏事には必ずお経を唱和しなくてはなりませんでした。自分がクリスチャンだからと言ってそれらを避けて通ることはできず、それでも敬愛していた舅・姑をしっかり送ってあげたいという思いからちゃんと家族とともに経文を唱え、法事をしてきました。
 教会にもこの頃ではクリスマスくらいしか行くことがありません。自称隠れキリシタンなどと言っていますが彼らにとても失礼だと思います。私にとっての信仰とは、と絶えず突きつけられる思いでずっとこの隠れキリシタンとかキリスト教伝播の地を訪ねての旅を五島の福江島、平戸、長崎、天草、島原、鹿児島、種子島、そして今回の長崎、上五島と十年あまりにわたってしてきたのでしたが、もちろん命がけで信仰を貫いたような彼らの信仰には及びもつかないものの、彼らの守り抜いてきた信仰の土台があって、明治になって信仰を許された時代に続々と表に出てきて大勢のキリシタンが表に出てきたこと、さらに今の各地の教会やら教団の普及となってきたのではと思うことなどがありました。世界のどこにもこれほどまでの迫害に耐え抜いて何百年も隠れて信仰を守り続けてきたところはないと思います。

 この旅のきっかけになったのは、NHKラジオで毎週日曜朝に放送されるクラシックの音楽番組「音楽の泉」での皆川達夫先生のお話でした。生月島(平戸の隣)のかくれキリシタンたちの「歌オラショ」を採譜して、それの元になった聖歌を探して旅して、なかなか見つからなかったけれども、やっとスペインの図書室の資料に、400年ほど前のグレゴリオ聖歌にほぼ同じものがあったのを発見したとのお話でした。それはその地方出身の神父が日本に伝えたものらしいとのこと。彼ら隠れキリシタンは、400年の長きにわたってそれを口伝えだけで伝えて来ていたこと。見つかれば殺されるという時代においても、村の納戸の奥にお祭りして祈りを唱えたり、また神父様から伝えられたキリスト教の暦(復活祭はその年によって移動することなど)をきちんと伝えていたことなど。
 華やかな天主堂の建物は写真に残りますが、それよりもこういった無形の遺産に強く心惹かれる者がありました。私などはそんな迫害があったらおそれてさっさと踏み絵を踏んでしまうことでしょう。私にとっての踏み絵は、家の葬儀や法事だったと思います。しかしそれでも神様に許しを請う祈りをささげること、こんなつまらない私もどうぞお許しくださいと祈ることで、なんとかつながっていけそう、と思えます。
 偉大な先駆者たちの後を表面上だけでもたどりたいという願いは、そういうことだったのかもしれません。

 敬愛するシスター渡辺和子先生のご講演の中に、洗礼を受けた時の話がありました。目の前でお父様を暗殺され、残されたお母様に「一番になりなさい」と厳しく育てられそれにこたえようと必死だったせいか「和子さんは鬼みたい」と言われ、そんな性格を変えたい、戦時下、このままで死にたくないと思って相談した母校双葉のシスターに、それならば洗礼を受けなさいと勧められ、当時住んでいた荻窪から四谷の母校まで(私は東京の地理に詳しくないのでよくわかりませんが)空襲を避けて防空壕に入りながら丸一日かけて歩いて出向き、母校のチャペルが焼け落ちる前の最後の受洗者になったそうです。そして、敵国の宗教に入るなんて、とお母様からはずっと口をきいてもらえなかったそうです。
 隠れキリシタンではありませんが、反対を押し切ってそれでも入信したというシスターの経験、私はそれほどの反対にも遭わず(当時親と離れて学寮でいたためもあり)あっさりと洗礼を受けてしまったために、強い思いも試練もなく来てしまったような気がします。
 キリシタンたちは、捕らわれることを避けるために踏み絵を踏み、帰宅してからひそかにその許しを請うお祈りの文句を唱えたと聞きました。意志の弱い私はそれを聞いてほっとしたところがありました。棄教しないで死を選ぶか、あくまでもどうにかして生きることを選び取り心に教えを守るか?
 ともかく、先の皆川先生のお話やらシスター渡辺の話やらにより、少しばかりの意識が高まったように思えます。相変わらず、教会に通ったり熱心に聖書を読むこともないぬるーい信者ではありますけれど、小さな犠牲的精神をもつ善意の人でありたいと願っています。
 
 調べていくうちに、皆川先生の家系は、かつてキリシタンを迫害した側にいたらしいこと、そのために余計に先生は歌おらしょのことを調べる使命感を持たれたらしいことがわかり、神様の仕掛けられたことの大きさを知ったように思います。


参考:皆川達夫先生の「オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし」のサイトはこちら⇒http://www.yk.rim.or.jp/~guessac/orasho.html
上記サイトよりコピーさせていただきました↓
イギリス、フランス、ポルトガル、イタリア、とくにローマのヴァティカン図書館などと探しまわって、やっと七年目の一九八二年(昭和五十七年)十月に、スペインのマドリッドの図書館のカードにそれらしい聖歌集を見つけだすことが出来た。司書に請求した書が手元におかれたその時、体がふるえてきた。これに相違ないと直感したのである。ふるえる手で一ページ、一べージ開いてゆく。――「あった、あった。これだ、これだ」。
 まぎれもなく生月島の歌オラショ『ぐるりよざ』の原曲となった聖歌『オ・グロリオザ・ドミナ O gloriosa Domina (栄光の聖母よ)』、夢にまで見たそのマリア賛歌の楽譜が記されていたのである。
それは、現在なお世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、十六世紀のスペインの一地方だけで歌われていた特殊なローカル聖歌であった。それが、四〇〇年前にこの地域出身の宣教師によって日本の離れ小島にもたらされ、はげしい弾圧の嵐のもとで隠れキリシタンによって命をかけて歌いつがれて、今日にいたったのである。この厳粛な事実を知った瞬間、わたくしは言いしれぬ感動にとらえられ、思わずスペインの図書館の一室で立ちすくんでしまったのであった。

(みながわたつお・立教大学名誉教授、西洋音楽史専攻) 」

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by kurashiki-keiko | 2014-08-12 03:59 | | Comments(0)

上五島の教会めぐり 午後 その2 と、帰途


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桐教会。建物はそれほど古い感じではありません。昭和33年に改築されたものだそうです。高いところにあって、撮影するのにちょっと離れたところ、と思っても地面がない・・・。

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若松大橋を渡った若松島から見た桐教会遠望。海の向こうの山の上に建つ白い教会はなかなか絵になる風景です。

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土井ノ浦教会。木造の旧大曽教会を譲り受けて移築したものが元になって、その後改築されたものだそうです。この教会の信徒は慶長年間には180戸いたそうですが島原の乱の時に出て行ってだれも帰ってこなかったそうで、その後大村から移り住んだ人の子孫が現在いるそうです。

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土井ノ浦教会のルルド

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上五島と若松島を結ぶ若松島大橋。このあたりの海は穏やかなせいか、養殖が盛んで、ハマチ養殖に関しては日本の先駆けだったそうです。しかし海岸の小さな入り江を網で仕切って初めのころはしていたら、潮の干満によりその面積が増減するため魚にとってはよくないということで、沖のほうでぐるりと網を張っての養殖にと移っていったそうです。今はマグロの養殖もしているのだそうですが、何しろ輸送のコストがかかるのでだんだん衰退しているようです。
 この橋なかった頃に学校に通っていた、案内のタクシーの運転手さんは、船で通っていて、学校も海辺にあったのでちょっと授業が進むとすぐに海に行っていたとか。

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土井ノ浦教会遠望

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泊まったのは若松島の港の近くにある清水荘という民宿でした。夜、散歩に出ると、信号に出合いました。子供たちの教育のために作られて信号だそうです。が、そばの小学校はすでに廃校になり、子供たちは遠くの学校へ通っているそうです。
 運転手さんによると、ものすごく遠い山の中に40軒ほどの集落があり、そこにたった一人の小学生の女の子がいて、地元行政の補助によって乗合タクシー通学しているそうです。

民宿での一夜が明け、9時55分出航の船に乗るために9時10分にタクシーに迎えに来てもらい、思いのほか遠い道を奈良尾の港まで行ってもらい、帰りの船に乗りました。
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行きは朝鮮半島へ抜けた台風12号の余波でずいぶん揺れたのでしたが、帰りは幸い穏やかで、夫はぐうぐう眠っていました。


長崎駅に着き、軽く昼食を食べていざ、改札口へ行くと、様子が変。なんと集中豪雨のため列魔が遅れており、前の2本がまだ駅にとどまっていたのでした。その次のかもめ22号が私たちの乗る予定の列車ですがそれだと乗り継ぎのさくら558号に乗り換えできないかも!
切符を持って駅員さんに相談すると、「ホームに止まっているのにすぐ乗って下さい!」
あわててホームを走り、ターミナル駅で横断陸橋もなく平面だったのでなんとか最後尾のドアから乗り込むことが出来ました。せっかくの指定席がふいになり、いくつも車両を歩いてやっと空席を見つけられてほっとしました。
 かもめの運転士さんは次のさくらの接続に間に合うように気を遣ったのか、途中の直線部分ではずいぶんスピードが上がっているように感じました。カーブ区間はなかったのでよかったのですが。幸い新鳥栖での乗り継ぎでは、予定にない列車に乗ったためか機械の改札を通さず、駅員さんに切符を見せて通過、無事乗り継ぎの予定通りのさくらに乗ることができました。
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by kurashiki-keiko | 2014-08-05 12:29 | | Comments(0)

上五島の教会めぐりー午後

2014年8月4日(月)、観光タクシーによる教会めぐり、午後です。

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青砂が浦天主堂。午前に回った頭ヶ島教会と並び島内で2か所、国指定の重文だそうです。

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こうもり天井というのか、木を蒸して柔らかくしてから曲げていくという技法で作られた天井は高く荘厳な感じ。
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島内の教会堂には必ずこのような説明板があり、また内部にはスタンプラリーのスタンプが英文と日本語の物と、統一デザインでどこにも置いてありました。途中から気づいて手帳にスタンプを押してきました。

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矢堅目(やがため)。夕景がきれい、と聞いてきたのでしたが、あいにくのお天気、雨が降っていなかっただけまし、と思います。

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大曽教会。レンガ造りの建物の前には、両手を広げた、あのリオデジャネイロの山の上に建つようなキリスト像がありました。この内部見学をしようとするとたまたま先客がいて、中の柱は杉と松を組み合わせて作っていること、その柱の下の基礎の石は普通床下に隠れているものだけれども、神父様のお国では見せるようになっているようで、基礎部分の石が床に30㎝くらい出ていること、窓枠のところを示して、日本なら雨じまいは窓枠の外でするのが普通だけれども、外国風は窓の中に水が入ってくるのを当たり前として、それを受ける溝と、その水が流れ出すように外に向かって傾斜をつけた小さな穴をあけているところを見せてくださいました。とても内部の意匠がきれいなので、外からお客様がいらっしゃるとよくここを案内するのだとか。その方になんとなく遠慮で写真撮影ができず残念でした。


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中ノ浦教会。これまで回った教会はたいてい高いところに建てられていたのに、この中ノ浦教会だけは海辺に建っていました。雑誌「日経ビジネス特別版 2013WINTER 二人の時間」に紹介されていたのには水面に教会が映っていてきれいな写真でした。

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中ノ浦教会内部

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中ノ浦教会のルルド

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林道から見下ろした中ノ浦教会。

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レンガ造りの福見教会

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奈良尾のアコウの大木。根っこの下を人が楽に通れる。沖縄ではよく見かけた気がするアコウの木ですが、五島でこれほどの大木、それも人が通れるほどの気根が発達していて大木になっているというのは本当に珍しいと思います。
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by kurashiki-keiko | 2014-08-05 10:16 | | Comments(0)