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家族葬に思うこと

 先日、地元紙の投稿欄に家族葬についての意見が掲載されていました。
お付き合いしていた人があるときを境にお見掛けしなくなったと思ったら、亡くなられていて家族葬でお葬式をしたので、お別れを言うこともできずに残念だったという風な事で、世の中の風潮が変わってきたということでした。

 私も同感です。私の家でも満93歳で亡くなった夫の母を家族葬で送りました。でもその後ご近所の何人もの方々から「お母さんはどうしていらっしゃる?」と言われました。ご近所はもちろん、昔母が子供の頃に世話し、今では立派なオジサンになった方々も、もしもお葬式に列席してくださっていたらまるで同窓会のように故人を偲んで思い出話をしみじみ語り合ってくださっていたに違いありません。
 また、仏様をまつる家として何人もの人が後から後から弔問に来てくださり、応対に追われました。

 家族葬も静かに家族だけで送りたい、大勢の人に来ていただくのも申し訳ないとかいう気持ちもわかりますが、お別れをしたいというお気持ちのある人をお断りしているという側面もまたあることを知らなくてはと思います。
 今ではどんなお年寄りであっても故人を知る人皆で見送ってもらいたいという思いでいっぱいです。その人が亡くなられたことを広く知っていただき、これからはこのような家族で生きていくのでよろしく、という挨拶も、お葬式には含まれていると思います。
 お葬式、特に家族葬のあり方は見直してもよいのではないかと思います。

・・・少し文面は違いますが、以上のような文章が21日付地元山陽新聞「ちまた」欄に掲載していただきました。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-22 21:34 | しみじみしたこと | Comments(0)

眼鏡が、ない!

 昨日の朝のこと、いつものように枕もとの巾着袋の眼鏡を探すと・・・

あれ?   ない。
眼鏡ケースが、入ってない。

そんな・・・・

いつぞや地震情報が携帯から発信されたらしいのに、2階で寝ていて携帯は1階に置いてあったことがありました。
それをきっかけに、最低限の物は枕もとに常備しようと、赤い巾着袋を自由学園明日館のショップで見つけて購入。
中身は
携帯電話・携帯充電器・首から下げるLEDの懐中電灯・飴玉少々・手ぬぐい(包帯・マフラー替わりなどいろいろに)・濡れティッシュ・車のキー
など、最小限思いつく限りの物を入れて寝るようにしていました。

それで、近頃は気温に合わせて下着などを調節するので、目覚めると携帯のお天気情報を見て気温を確かめているのですが、眼鏡がないとよく見えない・・・

ベッドの周りを探して見たけれど。ない。
1階の昨夜の仕事していたあたりを探したけれど、ケースも眼鏡も、ない。

仕方がないので一つ古いのを現在かけていて、大差はないものの、
せっかく作った最新の、軽くて周囲も見やすい気に入りの眼鏡が、いまだに見つかりません。
え?という自分のうっかりと、ついにここまで老化したかというがっかり。
まさか異次元空間に落ち込んだなんてことはないだろうし。

いつかは絶対に我が家のどこかから出てくるはずなのですが。
ここはその時に「なーんだ」となることを期待しています。

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by kurashiki-keiko | 2017-02-05 09:18 | 老いということ | Comments(0)

ケアされ上手

 婦人之友社の雑誌「明日の友」の225 冬号を読んでいたら、樋口恵子さんの「人生百年学のすすめ」というシリーズ記事の今号の記事の「ケアされ上手でありたい」という文章が目に留まりました。
 全国から公募した介護体験記を選者として読む機会があって、つくづく「創ってよかった介護保険」ということを思ったことと、読むほどに樋口先生は現在84歳になられて、介護される方の立場を思ったとのこと。その体験記の最優秀賞を取られた人は、106歳で亡くなった母上を介護された86歳の長女の方の話だったそうです。同居してからの15年間、「命令しない」「反対しない」「不足言わない」「小言言わない」「怒らない」という、娘の目から見ても「予想外」の母、それでいて自尊心は高く、周りの人にも一目置かれる存在で、院長先生からも「素晴らしいご高齢の方にご縁を頂き有難うございました」と言われたとのこと。
 「ありがとう」という感謝の言葉と、どこかにユーモアがあることが全体に共通しているとのこと。高齢者の側が外部サービス利用を嫌がらないことが「ケアされ上手」の基本だと書かれていました。
 私も長い間義父母の介護をして経験はありますが、夫と私の両親を送り、そろそろ自分の番が近づいてきていることを思うと、なるほど、ケアされ上手になることも考えていなければ、ということを教えられた一文でした。

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by kurashiki-keiko | 2017-01-16 22:06 | 老いということ | Comments(2)

レコードを売りに

 先日夫の骨董品を処分してみれば、寝室のサイドテーブル代わりのデスクの下に、新築引っ越し以来全然手が付けられていなかった段ボールに入った古いレコードがありました。それは、もはやプレーヤーもなくなって再生しようのないものたち。夫や私の若いころに買ってそれっきり聞きもせず、放置されていたもの。したがってこの際処分してもちっとも惜しくないものでした。
 中に昔聞いていたNHKラジオ英語会話のレコードまであり、それはさすがにいくら何でも値打ちもないだろうと、ゴミに出すことにしました。高校2年生の時、欠かさずにラジオ英語会話を聞いていたものでした。
 そのほかのは
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柔らかな歌声が好きでよく聞いていたアンディ・ウイリアムス、当時はやったミュージカル映画の「ウエスト・サイド物語」、「サウンドオブミュージック」、まだ初々しかった森山良子、それに高校の体育のダンスのテストのために買った、ハチャトリアンの「剣の舞」のいくつか聞き比べ、アーサー・フィドラー指揮のボストンポップスのがよかったなあ。
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高校1年生の時に岡山市民会館で初めて生のオーケストラで、120人ほどのベルリンフィル、しかもカラヤン指揮のを聞いてすっかり魅了され、続けざまにレコードを買いました。若き日のカラヤン、かっこよかった~。その時、のちに倍賞千恵子さんの旦那様になる小六禮次郎さんも当時高校生で同じ会場で聞いていらしたことが分かりました。
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こちらは夫の物と、下段の真ん中は新婚旅行のハワイで、ポリネシアン文化センター?でえらく端っこの席しか取れなかったといって、ツアーガイドの方からのお詫びのしるしと言っていただいた、ウクレレ奏者のレコードです。

・・・処分する記念にとこれらの写真を撮って、レコード・CD専門業者さんに持参しましたが・・・開店が12時なのに午前中に行ってしまい、出直しも必要だったのでした。
 夫いわく、子供がいなくて亡くなった伯父の家の片付けに行ったときには、大量のレコード類があったのを全部どんどん処分してしまった、とのこと、当時こんな処分の仕方を知っていたら廃棄せずに済んだかもしれないという後悔。
 行ってみると、店内ぎっしりとCDやらレコードが通るのもやっとというほど所狭しと詰まっていて、見れば売値が安いのは300円ほど。買値はもっとずっと安いんだろうなあ、と思ってカウンターに出し、査定を待っていると、「残念ながら値がつかない、タダでもよければ引き取りますか、持ち帰りますか」、とのこと。
 ・・・がっかりでしたが、処分するときめて持参したので、そのまま引き取ってもらいました。
 ひととき、思い出に浸ることが出来た、レコードでした。


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by kurashiki-keiko | 2017-01-08 00:08 | しみじみしたこと | Comments(0)

断捨離を断行

 我が家はもともと夫の両親とのつかず離れずの半同居のための二世帯住宅なので、元は私たち夫婦と子供3人のエリアと、夫の両親のエリアとが完全分離しつつ2軒長屋のようにくっついた建物です。それが、夫の両親が亡くなってしばらくしてから私たちの長男たちが入居するというので、柱だけの状態から完全にリフォームし、今はその子供つまり私たちにとっては孫2人が増えて、狭いほうに4人、もともと5人で暮らしていた広いほうに私たち夫婦2人が暮らしています。
 そこで人数に応じた面積にするために、いずれはチェンジするのがいいなと思っています。そのおい自宅老い支度というのか、夫も私も階段の上り下りが次第に負担になってきて、一層現実味を帯びてきました。xデーがいつになるか、できれば下の子が幼稚園に入園する来春までにと私は思うのですが。
 息子たちは狭い所から広い所へ来るので問題ないのですが、広い所から狭い所へ引っ越す私たちはそうはいきません。

 というわけで、夫が趣味で、というよりも知り合いの骨董好きの人から(たぶん売りつけられた)焼き物やら櫛、笄(こうがい)、得体のしれない埴輪風の馬、お盆のセットなどの骨董の桐の箱が寝室にほこりをかぶっていたのを手放すことにしました。甥っ子が骨董屋さんを最近始めたのをこれ幸い、今日午前、彼を呼び、引き取ってもらいました。夫の買っていた骨董は特にこれが好きで集めたというものでもないようで、ジャンルもいろいろ、そういう意味では執着はなさそう。
 残念ながら、岡山特産の備前焼は作家が多くなりすぎたのと、人間国宝の作品の偽物が出回っているのとで、売れないだろうとのこと。さもありなん。
 
 午後からは、年末に分類して袋に入れて置いた夫の仕事着であった背広20着ほどをもってリサイクルショップへ出かけました。あらかじめ電話すると、ブランドものなら、とのことでしたが、ニナリッチなどもあったので見てください、と、持ち込みました。結果、20着中買い取ってもらえたのは5着ほどで、3,700円。盗品でないという念のためのことか、住所・電話番号、名前を記入して領収書を書いてお金を頂きました。
 さて、15着ほどの背広、市役所の環境センターへぼろとして持ち込んだらタダになるし、と思って、古着買取業者へ以前友愛セール係として持ち込んだことがあるので、運び込んでみました。買取にも3ランクあることなどの説明書を見せられて、査定の順番待ちをしました。店内は所狭しと冬物セーターだとかコート類、バッグ類などなどがぶら下がっていて、売りに来た人、買いに来た人がそこここに。すごい世界です。しかし背広などはもちろん展示もしていませんでした。挙句に、48円で買い取ります、とのこと。結局1㎏1円で買い取られたということでした。ブランド品のン万円の高級背広も、本人が着なくなればほかに買い手もつきそうにないのだなあ、と、夫が同行していなくてよかった、とも思いました。オーダーして作ってもほとんど着ていないものも含まれていますので、何とももったいない話でした。

 夫の物はこんな具合でだいぶ処分しましたが、私が今悩んでいるのは着物です。和ダンス一竿、ぎっしり詰まっていた着物ですが、昨年少しだけウールの着物とショールを処分。母と祖母が選んで嫁入りに持たせてくれたという思いがあるものですが、とはいえ次男の結婚式が済み、もう留袖も着ないし、娘も着物を着るとは言わないだろうし。「着物も買い取り査定します」という業者さんのチラシを取っていて、どうするか考え中です。母は私が着ないと知るとさっさと古着屋に大部分を売ったそうでしたが、すごい決断だったなと思います。

 
 

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by kurashiki-keiko | 2017-01-05 21:30 | しみじみしたこと | Comments(2)

母の交遊から母を偲ぶ

 1通の封書が届きました。過日お送りした喪中はがきのうち、母がいただいていた今年の年賀状の送り主へ出したものの相手の方でした。
 夜遅くに、テレビを見ての感想などを、「こんな時間帯に起きていそうなのはあなただけだから」と電話をもらっては長く話し込んで「ではおやすみなさい」と言っていたのだとか。確かカメラの同好会がきっかけでお友達になった、元教師の方。母との交遊がとても楽しくて、亡くなったのが非常に残念だとのことでした。私も母からその人のお名前を聞いていたので、なるほど、と思いました。
 そして、普通だったら喪中はがきをもらった方の人は、ああそうか、で済ましてしまうことが大部分だと思うのに、こうして母とお付き合いのあった方々は、電話をくださったり、お葉書やお手紙をくださる人がもう5,6人。母がいかに多方面の方々と親密にお付き合いをしていただいていたか、その方々の心に残っているかがいまさらながらにわかり、年をとっても活発に生活してその方々に影響を残していたことがありがたいなと思ったことでした。
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by kurashiki-keiko | 2016-12-08 21:49 | しみじみしたこと | Comments(0)

高齢ドライバーの困ったさんに遭遇

 11月28日(月)、2時半ごろ、「そうだ、月末の通帳記帳と振り込みに行かなくちゃ、生活費も下ろさなくちゃ」と思い出し、急いで地元銀行の駅前支店へと車を出しました。
 近道の細い路地を抜けようとする直前にむこうから入ろうとする軽四が。こっちはその路地を通過する寸前だし、車1台がやっとの路地。入るの無理無理!とばかりに警笛を鳴らすと、慌てたように通りへ後ずさり。こっちがいるのを確認しないで突っ込んで来ようとしていました。たぶん70歳代以上と思しき女性の運転。
 やれやれ、と、駅前交差点を左折して銀行のある通りに入ると、なんと、交差点から7,8mの歩道寄りの路上に停車している軽トラが。その向こうが銀行の駐車場入り口なんです。思わずカーッとなってクラクションをブーブー強めに鳴らすと、やっとそろそろと前進してくれ、入ることができましたが。駅前の目抜き通り、駅から数メートルのところで路上駐車するなんて。
 と、歩道を横切り銀行の駐車場へ入れると、月末の事でほぼ満車で、一番奥の向かい合わせが空いていました。そのうち右手には高齢のご夫婦運転の車がなんとか押し込もうと悪戦苦闘中。私はもう一方の一番奥のスペースに頭から入れました。

 で、銀行の用事を済ませて戻ってみると、先ほどの高齢のご主人が、車が出なくて、奥様がタイヤのかかり具合を下の方にしゃがんで見ていました。よく見ると、駐車場のタイヤ止めの板の動きを操作するこんもり高くなった機械の部分にタイヤが乗り上げたような形になって動きが取れなくなっていた模様。あー。・・・というのを横目で、こちらも次々に入ってきたい車がいるので早々に出てゆきました。
 
 私は今のところは大丈夫ですが、他人ごとではありません、あと10年以内くらいにこんな風になるかも?自動車メーカー様、どうか高齢ドライバーでも無事に運転できる制御つきの車をこしらえてくださることを願います。
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by kurashiki-keiko | 2016-11-28 19:53 | 老いということ | Comments(0)

今さらの後悔 

夫が左手首を骨折して2週間。日頃血液サラサラにする薬を飲んでいるためか、左腕は黄色くはれあがってなかなか元には戻らない。手術をしたこともあり、傷口には分厚く包帯、そのため朝起きたら着替えを手伝わないとズボンもはけないし上着も羽織れない。
 朝食はまだしも、食事もご飯やお汁は左手で持てないので一口おにぎりにしたり、スプーンを出したり。
 お風呂もまた、幸い時候がよいのでギブスの下だとか包帯の中だとかに汗をかくことがなかったのは幸いでしたが、包帯の上からポリ袋をかぶせ、幅広のゴム紐でくくって、頭も体も私が防水エプロンをして入り、洗ってあげていました。
 そんな折、つけている10年日記の今年は2年目なので、昨年の日記も同時に見えますが、11月1日の記事に、実家の母が右手首骨折、との一言の記事が目に入りました。
 母が手首の骨を折ったのは知っていましたし、不自由だな、とも思って会いに行ったけれど、その後は弟嫁が休日にスーパーで切った野菜だとかお豆腐だとか、食べやすそうなものを買いだめしてあげていたそうなので、私はたいして心配もせず、頑張り屋の母のことだからなんとかするだろう、と、忙しさにかまけてほとんど行きませんでした。
 年が明けてやっと手が治ったころに、「お風呂も洗うこともできなくてとぽんと漬かるだけだった」と聞き、そりゃそうだわね、と思っていました。なんと鈍い、親不孝な娘だったんでしょう。ちょっと背中を流してあげに通ったら通えない距離ではなかったのに。

 夫が左手首、母は右手首だったのに、さぞかし不自由で、着替えも食事もお風呂もままならない中、頑張っていたのです。
 今さら後悔しても先に立たず、お墓に布団はかけられず、です。お母さん、ごめんなさい。許してください。
 合掌。
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by kurashiki-keiko | 2016-11-03 03:58 | 反省したこと | Comments(0)

山陽新聞「つどい」に掲載

 もう半年も前のことなのですが、やっと掲載されました、小学校の同窓会の記念写真。
やむを得ず欠席だった人にも見てもらえるかなと、ずっと楽しみにしていました。
17日(月)に新聞社から卒業年などの確認のための電話が入り、19日に掲載予定とのお知らせをいただきました。
 自分ではその実物の写真を持っているのですが、改めて見て、めったに会うことのないかつての同級生たちの人生の重み、厚みを思います。当時それほど親しくなかった人も、同時代を生きた親しみがあります。次回にはまた新たな人に来てもらいたいものと思います。

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 当日のようすの記事はこちら⇒http://kurakeiko.exblog.jp/23197626/
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by kurashiki-keiko | 2016-10-19 09:21 | うれしかったこと | Comments(0)

節目の時を迎えて

 今年は実母が亡くなり、夫がとうとう退職し、私の身の回りにも大きな変化がありました。
そして、毎月ほぼ当たり前のように受け取っていたお給料と言うものが全く入らなくなり、夫の会社は今時珍しくいまだに現金支給だったものですから、そのお金のありがたみと言うものを一層実感として感じるようになりました。そして、毎日つけていた家計簿を、特にただお財布の現金の出入りを厳重に管理するというだけでなく、年金とその他収入をしっかりと把握し使い方に注意することに気を付けなければと思います。
 そういう意味で、ただ使ったお金を記入するだけでなく、預貯金欄も、税金やら社会保険費の欄も記入する今の「羽仁もと子案家計簿」の意義があったと思います。

 また、弟からは母の遺産の分配をもらいましたし、夫には退職金という有難い大きな収入がありました。聖書にもありますが、それを地面に埋めていては何の利益ももたらしません。人生今や90年の時代、そのお金を生活のために使ってしまって老後破産などと言う事態に陥らないよう、上手に運用することも視野に入れなくてはなりません。
 さらに、子供たちへ相続税がかからないように少しずつ余った部分を贈与していく算段も始めました。幸い子供たちは全員手近に住んでいて、全員結婚し、孫がいて、それぞれに贈られたお金を年金の形で将来受け取れるように手続きを進めることが出来ました。
 結婚40年を過ぎ、実りを刈り取る時期に来たのかなあと言う感慨しきりの今日このごろです。
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by kurashiki-keiko | 2016-08-09 00:16 | しみじみしたこと | Comments(2)