母校の横を通って

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 水彩画展を見た後、お天気はいいし鷲羽山の方へドライブに行っていると、ちょうど母校の横を通りかかりました。
あの頃の木造校舎はもちろんすっかり無くなり、鉄筋の立派な校舎になっていました。
この角度、信号待ちで車が止まっていた所は、昔は塩田があり、流条架という竹ぼうきを何本も逆さにしたような、塩水を流して濃い塩水に作る物が林立していました。
そのため潮風が強くて、たまたま私が入学した年は体育館が建築中だったために外で入学式があり、薄い色の絵羽織を着て行った母は、着物の色が変わった、とぼやいていたほどでした。
 そして木立があるあたりは塩田との境目の土手があり、そこにはオリーブの木が植えられていました。収穫したオリーブの実は塩漬け?で給食に出されていました。ずっと後になってイタリアンなどで出てくるとそのオリーブの実が懐かしく感じます。
 今ここで学んでいる後輩たちは、一体どんな中学校生活を送っているのでしょう。

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# by kurashiki-keiko | 2019-01-14 16:07 | しみじみしたこと | Comments(0)

心静かに…水彩画展

 合唱団でいつも隣に座っている人が先週はがきをみんなに配っていました。何?、と見るとなんと、ご自身の水彩画展のお誘い。
週3日ほど洋服のお店を開いていることや、万葉集の講座に通っていることは知っていましたが、そんな絵の才能があったとは。はがきの絵柄がとても素適だったので、早速夫と見にいくことにしました。
 場所は児島味野です。
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ビルの1階で、入り口はそれほど派手でもないのですが、若い人に人気のお店だそうです。オーナーは管理栄養士の資格があるのだとかで、ランチとケーキに喫茶がいろいろ。
 
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駐車場がちと少ないのですけれど。
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店内の写真。右手はカウンターと厨房、左手が絵の展示スペース。
風景もお花も静物も、水彩画は一度色を塗ってしまうと修正が効かないのでそこが大変との事。どれも素適な色合いでした。
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帰りに絵はがきを頂いて帰りました。どれもしっかりデッサンが出来ているので形がしっかり描けている事や、風景画では奥行きのある表現がされていてとてもよく描けていると思いました。
 普段一緒に歌を隣で歌っている人がこんなに素適な才能をお持ちだったとは。と、改めて感心したことでした。




# by kurashiki-keiko | 2019-01-14 15:49 | 感動したこと | Comments(0)

町内役員の新年互例会

 13日(日)、町内会の役員の新年互例会に出席してきました。およそ20人ばかり、会費もちゃんと?1,000円払って、地元の弁当業者さんのパック弁当とビールと駄菓子のささやかな互礼会でした。今年は子ども会会長として息子も出席。途中の自己紹介ではちゃんとご挨拶出来ていて親としてはホッっとしました。
 私の右にはホノルルマラソンを走ったこともあるお元気な元交通指導のKさん。聞けばもう米寿で、昭和4年生まれと言うのでびっくり。「10は若く見えますよ」とほかの人も言っていました。畑を耕し、美観地区までおよそ6,000歩のお散歩をし、テレビの健康番組は新聞のテレビ欄にしるしをつけておいてしっかり見るのだそうです。
 そして、左隣にはもと老人会の会長さん。私の中学時代に数学を短い時期教えて頂いたことのある先生でした。それで、当時の中学校の様子をなつかしくお話しました。当時のN校長先生は新卒の若い先生をたくさん採用し、教育するので有名な先生で、このA先生も大学出たてで採用されて、毎月ある体育会ー春秋の体育祭、間であるバレーボール大会やらバスケットボール大会、水泳大会に遠泳、マラソン大会など、運動は嫌いではなかったので頑張ったこと、秋の体育祭の余興の踊りをにぎやかにする山車をトラックの上に張りぼてで作ったことなど。私も話しているうちに次から次へと思い出すことが多く、嬉しかったです。
 残念だったのは地元選出の市会議員のMさんが欠席だったこと。若手で行動力のあるM議員がいらっしゃると、議会の動きなどを報告してくださったり、地元のこれからのことについての説明があったりで楽しみにしているのですが。地元に市会議員がいるのは本当にありがたいことだと思います。

 そんなこんなで、最後に会費の中から?福引があり、立派なお花の鉢やら清酒やらが景品。一等に当たった人はたまたま次期町内会長になった人で、大きなシンビジウムの鉢が当たりました。役目も景品も大当たりだね、と言われていました。私には缶ビール3本が当たりました。下戸なので飲める娘にもらってもらうつもり。それで終わりかと思ったら、帰りがけにお花が当たらなかった人に、プリムラポリアンサのかわいらしいポット苗がお土産にもらえました。
 町内のために働くお役目の人たちとの交流を通して、この地域をよくするために働いている善意の人たちを知ることが出来、この地域でよかったなと思いました。


# by kurashiki-keiko | 2019-01-14 02:10 | 地域社会 | Comments(0)

鏡開きの日

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昔ならば、母はカチカチになった鏡餅を開く、と縁起を担いで言うけれど叩き割ったり出刃庖丁を出したりしてなんとか小さくして、あられにするなどしたものです。
今の鏡餅はプラスチックに小餅が入っているので、これまた今年はレトルトパウチのぜんざいに入れた形ばかりの物。
そして、どんど焼きも、本来なら14日なのに、今日は孫の幼稚園で行うそうなので、我が家のも持たせることにしました。
色々様変わりの今年です。

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# by kurashiki-keiko | 2019-01-11 08:09 | 日常 | Comments(0)

昭和54年の家計簿を見直して

 家計簿は結婚以来、母親に習ってつけていますが、最初の年は母の通りの婦人雑誌の付録でした。次に女子栄養大学の栄養家計簿に移り、友の会に入会しても2年ほどは家計簿を見せ合うのに抵抗していましたが、皆と話し合いに加われないので、やっと昭和54年(1979年)から婦人之友社の「羽仁もと子案家計簿」をつけるようになったのです。
今年で41冊目になりました。
 しかし息子と2世帯住宅に暮らし、孫たちも赤ちゃんだったのがもう大きくなってきたので、広い方に私たち老夫婦がいるのもどうかと思い、近くチェンジすることにしています。そのため、家計簿も41冊ものスペースを取るのはどうかと思い、試しに最初の1冊をエクセルの年計表に写してみることにして、本日その作業をしました。
 分かったことは、その年は末っ子のお産をした年だったという事です。妊婦検診の費用は出ていましたが、お産は、父の勤める病院で父の元でしたため、費用は全額親が出してくれていて、家計簿にはついていませんでした。ありがたいことです。
 1月ごとに合計額をエクセルに入力していくと、ところどころ費目分けの間違いも見つかりましたし、昔は「住居費」「家具費」が別々になっていたり、逆に「教養費」と「娯楽費」が一緒の「教養・娯楽費」になっていたりするので、「住居・家具費」として合計額を記入したり、「教養・娯楽費」から娯楽費を分けたりという作業がありましたが、何しろ赤ん坊の出産があったので、娯楽費はほぼゼロでした。

 まだ給料も少ない時代、私の衣服は殆ど買っていませんでした。教育費も子どもの生活団くらいで、つつましやかな家計。
 また、住居費では住宅金融公庫のローンが25,561円。夫の背広の新調で53,000円。今と違い鉄工所で作ってもらった鉄製のフェンスの塗装に55,000円。アルミ製は高いから、と、メンテナンスフリーを主張した私に反して夫が鉄にしたのでしたが。物置を建てたので226,250円。コンクリートの床を打つことからしたので。今のようなプレハブにしたらずいぶん違ったと思います。また、この時はまだ下水が来ていなくて、簡易水洗だったため汲み取り代の記入がありました。

 おかしかったのは、岡山市内へ長女のお絵かき教室に通っていて、ほかの子が自分で帰っていくのを見て、長女も歩いて帰ろうとして迷子になり、大騒ぎをしてパトカーまで来て探したことがあり、先生にお詫びの品代としての費用が計上されていたこと。迷子事件、我が家的には大事件でした。
 また、「玄関のガラス代」これは、2階に上げていた絨毯を私が階段から落として真っ逆さまに玄関の引き戸に衝突して突き破った事件か?それとも長女がお帰りが遅いので怒って締め出していたら、長女が足で蹴って割った時の事か?・・・とまあ、いろんなことがあったなあ、と思いだしていました。
家計簿の数字は、数字を移し替えるだけではない、その時代の記録がちゃんと出ているものだなあ、と捨てられなくなりそうです。
 
・・・と、たまたまつけているラジオ深夜便では「楢山節考」を美川憲一さんが朗読していました。な、なんと、私と同い年の女性が「お山へ行く」のだと。・・家計簿を取っておくどころではなく、若いものの邪魔にならないようにわが身を捨てる老人の話。ムムム。昔の貧しい暮らしならば、もうそういう心境にならねばならない年代なのですね。




# by kurashiki-keiko | 2019-01-10 01:51 | しみじみしたこと | Comments(0)

倉敷美観地区 大原家旧宅を見学

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おなじみ、大原美術館。門松が端正な雰囲気です。
そのお向かい、これまでは内部を見ることもなく、大原家当主がお住まいになっていたお屋敷があります。
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こちら。男性が呼び込みに立っていらっしゃいました。
入館料大人500円は安くないかもしれませんが、一見の価値あり。倉敷の繁栄の元を築いた大原家のことがわかります。
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入ってすぐの土間に、大原家を形作ったと言えることばがぶら下がっていました。なるほど、こういう言葉を受けつつ代々大原家のご当主は育ってきたのですね。孫三郎さんの代で病院やら労働科学研究所やらクラレやらの元が出来たのです。
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そしてこちらは、代々の大原家とつながりのあったゆかりの人々の映像がプリントされた光のブロック。
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左端、洋画家の満谷国四郎。
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上の方には、元岡山県知事の三木行治さん。
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ベルリンフィル指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンと、孤児院を作った石井十次。
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上は民芸運動の柳宗悦(やなぎむねよし)さん。
左下は、倉敷労働科学研究所の所長、暉峻義等(てるおかぎとう)さん。
倉敷友の会で以前講演の講師をお願いした暉峻淑子(てるおかいつこ)先生はこの人の次男の妻だそうです。
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こちら、おくどの向こうの障子をスクリーンにして、遊学中の総一郎のもとに書き送った母の手紙が投影されていました。

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大きな立派な井戸は室内にありました。

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 離れ座敷の縁側から眺めたお庭。向こうには喫茶「エルグレコ」の建物、その左は美術館。
このお座敷の塀の向こうが、いつも白鳥が泳いでいたりする倉敷川になっています。

 途中の蔵の中には、これまで7代の大原家の人々のことやら、孫三郎さん、総一郎さんらの蔵書と思われる図書室とブックカフェがしつらえられてあり、そこまでをきれいに整備するのにはきっと莫大なお金がかかった事だろうと思いつつ、往時の大原家の繁栄の一端を拝見できて、倉敷に住みながら初めての見学でとてもよかったと思いました。

大原家に関する記事はこちら



 



とっても詳しい倉敷観光案内はこちら

# by kurashiki-keiko | 2019-01-05 16:41 | 感動したこと | Comments(0)

倉敷美観地区を散歩

正月2日の倉敷美観地区。
やはり観光客は大勢で、中国語や英語なども飛び交っていました。
しかし中橋の角にある休憩所はバリアフリー化の工事中で休憩もできずトイレも使えず。考古館のそばの半地下になっている公衆トイレは使えてよかったです。
中高年のお出かけには、「明日の友」に樋口恵子先生がお書きになっていらっしゃるように、トイレの位置がとても重要です。私が夫との散歩に美観地区を選ぶのも、そこここに利用しやすいトイレがあるため。しかしこの日は公民館も休館日で、お店の中のトイレ以外は考古館脇の半地下のしかなかったようです。
 トイレ談議で申し訳ないですが。
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# by kurashiki-keiko | 2019-01-02 15:42 | おでかけ | Comments(4)