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ラジオ体操、生放送は長崎県五島市から

 今朝の巡回ラジオ体操は、長崎県五島市空との事でした。
 私が介護を終えて夫と初めて旅に出たのが、五島でした。2002年5月の事。
 昨年と一昨年出した私の『夫と歩いた日本すみずみ』にはこのあたりは収められていません。メールマガジンの原稿が失われてしまっていたためです。
なつかしく、どんな様子だったかを覚えています。

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路線バス仕様の定期観光バスで福江島の観光をしました。

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井持浦教会。かつて大阪で出会ったご夫婦は、五島の出身でこの教会で結婚式を挙げたと聞きました。

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井持浦教会のルルド。


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 大瀬崎灯台。あの映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地にもなったとのこと。東シナ海?に突き出した険しい断崖。
ラジオ体操のバックに能條貴大さんが演奏していたのは、朝ドラ「舞いあがれ」のテーマでした。

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一面芝の鬼岳(おにだけ)。以前大河ドラマ「せごどん」で鈴木亮平さんもロケした気がします。また、朝ドラ「舞いあがれ」では大型のばらもん凧をこのあたりで挙げた場面があったと思います。


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溶岩が海岸まで押し寄せているのは鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸。

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武家屋敷通り。

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翌日に夫と大雨の中、レンタカーで行った堂崎教会。禁教時代の踏み絵だとか色々の資料が展示してありました。

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 「みいらく」といった地だったかと思います。空海の像。これたぶん遣唐使が日本で寄港した最後の地と説明された気がしますが、なにしろ22年も前のことなので。
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水ノ浦教会。

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水ノ浦教会の内部。今では立ち入り禁止かもしれない。

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五島の商店街、22年前の写真なのでだいぶ変わっていることでしょう。

ラジオ体操が五島からと聞いてつい昔の写真を引っ張り出してみました。

可愛らしかったバスガイドの浜ちゃん、どうしていらっしゃるかしら。

# by kurashiki-keiko | 2024-05-26 07:09 | うれしかったこと | Comments(0)

全国友の会の大会に出席しました その3

 5月23日(木)大会2日目、私たちにとっては上京3日目。
 古書店街で有名な神保町駅もよりの日本教育会館が会場でした。慣れない東京の網の目のような電車のルートを何度も確認して、駅の表示を見て、電車の行先表示をよく見て、降りる駅を間違えないようにと緊張しながら何とか到着。
 神保町駅の「A1」の降り口から出ると、案内の人が立っていらして、またもや全国から集まったオバサン軍団の行列は会場へと向かうのでした。
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この日のメイン?は2022年に朝日新聞の論説に婦人之友と、羽仁もと子案家計簿のことを書いてくださった、現在は東大副学長の林 香里先生。元ロイターの記者をなさっていたこと、ドイツで若いころ子育てをしながら婦人之友を郵送してもらっていたことなどで、友の会会員ではないけれど、婦人之友や家計簿には深い理解があるお方でした。
 お話の中から・・・「社会の変容、少子高齢化、個人化、デジタル情報化と紙媒体の衰退」という事から、「近代家族の崩壊」などのことがあり、かつて婦人之友誌上にあった「家計簿をつけ通す同盟」の構成員の多くが70代になって解散したことから、女性に安全なSNSを作って「つけ通す同盟」のあとに来る新たなライフスタイルはどうか?
 私の頭ではなかなかまとめがうまくできません。

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午後の発表から、岡山友の会の、生活団の元指導者で現総リーダーの人から、子供に厚紙と洗濯ばさみで動く車を作らせたら、1か月後の集会日には「走らせたい」「走る道を作りたい」という事になり、子どもたちが思い思いに巨大な白い紙に道を描いて行ったらこうなりました、との事。自由な発想を大切に育てる月1回の集まり。

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最後に、各部の中央委員の承認、代表と副代表の承認があって閉会しました。


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まだ明るい新幹線の車窓からは富士山が一瞬見えました。
よい集まりでした。
この後、委員会、例会、会報のための原稿を書かなければ。


# by kurashiki-keiko | 2024-05-24 12:46 | 感動したこと | Comments(0)

全国友の会の大会に出席しました その2

 前泊した私たちにとっては2日目、大会は1日目。西武池袋線からひばりヶ丘駅を目指します。おりしも通勤ラッシュ時で、都心へ向かう電車はドアのガラスまでギューギューの混み具合。こちらは郊外に向かうので比較的すいていました。
 ひばりヶ丘駅に降りた物の、はて、どちらへ向かうものやら?10年前の記憶は不確か。そのうち分かった人が歩きだし、大会出席者のオバサン軍団?はぞろぞろと後に続きました。何しろおよそ100年前に羽仁吉一様が購入された10万坪の広大な土地を、住宅地として7万坪を分譲し、その資金を基に3万坪の学園を開かれたと聞いているので、向かう住宅地の落ち着いたたたずまいも羽仁吉一様の先見の明のおかげか、、と思いつつ、そこここにバラが咲いている東京都とは思えないくらいゆったりした区画を進みました。
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徒歩約15分、ようやく自由学園の入り口に到着です。
門の所で記念写真を撮りっこしました。
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記念講堂では、各地友の会の総リーダーの席が真ん中に設けられていて、開始前には裏手に整列し、拍手で迎えられて入場、北海道部から順に点呼がありました。会場出席の代表は140友の会、オンラインが38友の会。海外はサンパウロやロサンゼルス、ソウルの人も来ておられ、オンラインでバンコク、シドニー、ロンドンの人も呼び上げられ、合わせて1,366人の出席だったそうで、感動の時間でした。

 会員数の増えた室蘭、郡山、福井、小山、相模、岡崎、川西、丸亀、大牟田、サンパウロの代表は創立者の羽仁もと子の墓参をその朝してきた報告。
 また、今年新たに発足した木更津、明石友の会の紹介。
中央部中央委員の望月伸子さまのお話
北海道部、東北部、北関東部、南関東部、信越部、近畿部、中国部、四国部、九州部、海外のそれぞれ代表の人がリーダー抱負を述べられました。
会員数の報告、
そして羽仁もと子・吉一夫妻が創立した自由学園の生徒たちによる教育報告。
どれもが感動でした。自主、自立による学校生活。中学に入ったばかりの子の発表の初々しさ。
そして最終学部の学生によるなんとも立派な発表。
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今年から男子部・女子部が合わさって共学になったことから、何度も話し合いを重ねて学校内の仕事を分担してやっている様子が語られ、この学校の習字は自分の目指すところを書いて発表するところがユニーク。
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最高学部制のこの人は大学の数学の先生をめざしているそうで、本当によく考えられ実行力もある立派な人に育っているなと感動しました。
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広い芝生の校庭での集会の様子。委員たちが前に出ています。

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自由学園の学園長の更科先生からのお話がありました。とても穏やかな柔らかな感じの先生でした。
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自由学園の教育方針です

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小学部の庭では子供たちの遊びは木登りのようです。木造平屋の校舎で自然が一杯。

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終了後、最高学部の学生たちにより、敷地内の案内ツアーがありました。広い、木々の緑が深い。木の高さが高い。前回もそうでしたがあれから10年、一層緑が深い。

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ひばりヶ丘からまた豊島区池袋に帰ってきて、自由学園明日館で夕方、部別のミーティングがありました。終えると、友の会の中央委員でお料理の先生でもある足立洋子様がいらしたので、記念撮影をお願いしました。Facebookでちょくちょくコメントをさせて頂いています。

 晩ごはんは、元倉敷に3年いて今では山口の総リーダーをされているFさんとお連れと一緒に食べることになりました。
 たまたま海外組のお世話をしておられた中央部中央委員の苅田美樹さんらと同じお店でした。


# by kurashiki-keiko | 2024-05-24 12:09 | 感動したこと | Comments(0)

全国友の会の大会に出席してきました その1

倉敷友の会を代表して子供係のSさんと2人で全国大会に参加させていただきました。
21日、新幹線からの空は晴れて、残念ながら富士川鉄橋からの富士山は雲に隠れて見えず。
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ホテルにはスマホのアプリを見ながら何とかたどり着き、池袋駅の反対側の明日館をめざしました。
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婦人之友社では1階の応接室で等身大の羽仁もと子様と記念撮影。
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編集室では、元うちの長女と生活団で同級だった堀さんと会えました。
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あの頃のお母様とそっくりになられた娘さん。
編集室は撮影禁止でしたが、右手には歴代の婦人之友がずらり、奥のホワイトボードには2カ月先の婦人之友のページ割が書かれていて、昔拝見した物がそのままでした。
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フランク・ロイド・ライト設計の文化財、自由学園明日館。この大会の季節にはバラがきれい、10年前以来でした。
中の方は翌日夕方にミーティングがある予定だったので入らず。
池袋駅の南の端っこを横切って、歩き疲れたのと、そこらへんのは居酒屋さんが多くて、夕食にはスシローを見つけて2人で入りました。
東京まで来てスシローかよ、と突っ込まれそうですが、慣れない2人、歩き疲れたこともあって、地下への階段を下りたお店でようやく席についてほっとしました。何もかも自動で店員さんの姿がほぼない。注文は一度に4皿まで、との制限があり、2人で2皿ずつ注文。システム化されたスシローでドキドキ。
ビジネスホテルの14階の個室に入ってお風呂のあとで翌日の段取りのミーティングを1時間ほどして眠りにつきました。

# by kurashiki-keiko | 2024-05-24 11:31 | 感動したこと | Comments(0)

大久野島のこと

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大久野島へは、行きは割と大きめの船でした。約15分の船旅、おだやかな瀬戸内海のことなので気持ちよく。

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 島へ着くと、休暇村のホテルまでは無料のシャトルバス。狭い2人掛けの座席、私の隣になんと190㎝くらいありそうな外国人のオニイサンが座ったので、英語でWhre do you come furom?と聞くと、フランス、とのこと。私にどこからと聞くので「クラシキ」というとわからず、スマホで"KURASHIKI”と入れると、グーグルマップで検索して分かったようでした。「島へは何度来たか?」と英語で聞くので、「4回め」と答えると、「どこが一番ウサギに出会えるか」というので、「ホテル前の広場だけど、夜の方が多い」と答えておきました。カバンも何も持ってないようだったので、日帰りだったのでしょう。
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みんなで自転車を借りて島内一周に出かけました。時計回りの一方通行のルールで、最初は平たんな海岸沿いで気分がいい。

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毒ガス製造のタンクの跡を火炎放射器で焼き払った後。この島には太平洋戦争の毒ガス製造のこうした跡地と、日露戦争のロシア軍の侵攻に備えての砲台の跡地とが多数あります。

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 ウサギは島中いたるところにいました。春生まれの幼稚園児くらいの小さいのも何匹か見かけましたし、年よりらしい毛皮がだぶついていたりつやのないのもいました。行った日は暑かったので日中は木陰の涼しい所に多くいて、夕方になったらあちこちから出てきました。宿舎前の広場はウサギが掘った穴ぼこだらけでしたが、イノシシも海を渡って来たようで、広い範囲の地面が掘り返されていたのがどうやらそれで、くるみくらいの糞も見かけました。兎の糞は丸薬くらいの小さい粒なのでそれは歴然とした違いでした。

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砲台跡地遠景。

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トンネルの向こうは、発電所の跡。



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横穴式の兵舎の跡。砲台を守るための兵隊さんたちがここにいたのでしょう。日露戦争は結果的には日本海海戦で日本が勝利したために、瀬戸内海までロシアの艦隊がくることなく、砲台は万一の備えだったのでしょうがその威力を見せる場はやってこなかったのでした。

 
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帰りの船は行きに比べると小型船で、船員さんが乗る乗客の数をカウントしながら定員オーバーにならないようにと案内していました。



# by kurashiki-keiko | 2024-05-19 22:54 | しみじみしたこと | Comments(0)