家族新聞「あじさい通信」263号ができました

 夫が亡くなり、ここらでやめようかともちらりと思いました。
が、体力の続くかぎり、どこまで続くか分かりませんが、やれるところまでやってみようと、元気を振り絞って、お彼岸のお墓参りも終えた23日(土)、早めに仮眠して午前2時半から始めて夜明けとともにようやく出来ました。
 メインはいつもならメモ程度に書く、下の方の1ヶ月をふり返っての行事一覧。葬儀の後は毎日毎日それはそれはたくさんの手続きやらそれに伴い担当者の訪問やら弔問客やら、口座引き落とし出来なくなった料金の支払いやら名義変更やらに忙殺されていまして、1カ月の半分弱くらいを書くだけで紙面が埋まってしまいました。
 そして、今月号はそれらをわが子たちに伝えるという重要な役目も少しばかり担っているのです。それはたぶん私が死んだときにわかることでしょうけれども。
今やはっきりしてきたのは、この家族新聞、最初は私の趣味道楽で始めたようなものでしたが、私の、家族に残す遺言みたいな性格を帯びてきているのではないかという事です。日々の何でもない暮らしを記録していくのも家族にとって大切ではと思って始めたのですが、この一か月の日々は特別な日々でした。それを記録するのはやっぱり子供たちに思い出してほしいからです。受け取る側がそう思ってくれるかどうかはわかりませんけれど。
d0031853_07414589.jpg

# by kurashiki-keiko | 2019-03-24 07:50 | がんばったなあ | Comments(0)

真備の施設でコンサート

 3月19日(火)、葬祭業者さんがお花を届けるとのことで、聞けば「月命日」だからとの事。そういうことはすっかり失念していた私でした。息子と、家土地の相続のことについては専門家のどこに頼むか、などと言っている段階です。

 で、この日は以前から予定が入っていて、倉敷市真備町有井の特別養護老人ホーム クレールエステート悠楽で、合唱団のコンサートで出かけることになっていたのでした。ポスターも全曲の歌詞の入ったプログラムも私が担当していましたので、本番に歌いに行くのは自然な流れ。

d0031853_00571931.jpg
 真備町のメインストリートは、スーパーやホームセンターが再開して少しずつ賑わいを取り戻しつつある場所と、大きな中華料理屋の看板があると思ったら、お店の方は泥水をかぶったまま放置されていたり、広い空き地になっていたりする場所もありました。そんな空き地の一つの角を曲がりしばらく行くと、平屋のコンクリート造りの建物が見えてきます。この施設も洪水に飲み込まれて、内装はすべてやり直したのだそうです。そのためかまるで新築のようにきれいで、平屋の建物は床が木でぬくもりを感じさせられました。エントランスに貼られたポスターの1枚がコンサートのものでした。
d0031853_00574428.jpg
 拍手で迎え入れられたホールは天井の高い縦長の会場でした。思ったよりステージの幅がとても狭くてギューッと2列になりました。(後列の人は重なり合って写真に写れない、残念)しかしステージの上の方にはこれまでで一番きれいなコンサート名の横断幕が貼ってあって、ありがたいことでした。
 いつものように「アメイジンググレース」のオープニングから、
ステージ1の「朧月夜」、滝廉太郎の「花」、「春のメドレー(春の街、春の唄、花のまわりで)」「みかんの花咲く丘」、「花は咲く」
続いて「みんなで歌おう」コーナーではメンバーがステージから降りて客席へ散らばり、持参のキーボードで伴奏が入って「ドレミの歌」、「早春賦」を。
d0031853_00575263.jpg
早春賦では子供のころに習った覚えがある人もいらっしゃったのかもしれず、古語の難しい歌詞ではありましたがよく歌われていたようです。
続いてステージ2では、男声陣の力強い歌声が魅力の「喜びも悲しみも幾年月」、軽くて明るい感じの「高原列車は行く」、そしてゆったりと大陸的な「蘇州夜曲」。たぶんそこにいらっしゃる人びとの若いころの歌。次第にしっかりと歌う人も増えて行ったように思います。
 お別れの曲の「ふるさと」。
 そしてお決まりの(無理やりアンコールとも)アンコールの掛け声に応じて、軽快に「青い山脈」でお開きとなりました。前列の人から「また来てください」との声が聞かれたのはうれしいことでした。
 毎回思う事ですが、ただ座って聞くだけでなく、皆さん一緒に声を出して歌うことは、その歌が歌われていた時代のご自身のことを思い出して懐かしむメンタル面の事と、声帯や呼吸器を使う事での身体的な健康効果と両方にいいことだなと思います。ことにこの真備の洪水被害の後でのコンサートでまた元気を取り戻していただく一助になったとしたらうれしいことでした。

# by kurashiki-keiko | 2019-03-20 01:32 | しみじみしたこと | Comments(0)

コーヒーとワッフル 夫と過ごした店で

 3月18日(月) また忙しい週明けです。17日(日)にお看経(かんき)のためにやってきた娘が、戸籍謄本を持って来てくれましたので、私が用意した息子二人の物と合わせて子供3人の物がそろい、それを太陽光発電の名義変更のため設置業者さんの営業マンに取りに来てくれるように連絡。続いて葬祭業者に、満中陰志の品のリストを渡すため来てくれるように連絡。その合間には業者に渡すリストの電話番号が抜けているところを調べたり息子に聞いたり。
 太陽光発電の設置業者の営業マンさんは午後1時に来訪。続いて葬祭業者さんが夕方来るまでに、高額のお香典をくださった人のためにデパートに商品券を買いに。出かけた結果、商品券だとかさばることが分かり、ギフトカードを買いました。
 久しぶりの天満屋倉敷店。こちらへ行く時にはほぼ夫が一緒だったものだから、一人で歩くのは本当に珍しいことでしたが、これからは毎回そんな風になるのだなと改めての想い。催し場のフロアを見てみたけれど買いたいものもなく、たまに寄っていたLoftが100円均一ショップに様変わりしていたのに驚く。この前にいつ来たか、何のために来たのかさっぱり思い出せないけれど、最後に夫と地下のコーヒーショップに行ってコーヒーとワッフルを注文したことを思い出してちょうど3時ごろだったので寄って一服。同じものを注文しました。
d0031853_01245280.jpg
 このプレーンなワッフル、2切れあったのを夫と分け合って食べたなあ…夫は日頃あまりコーヒーは飲まないでどちらかと言えばレモンティーの人だったのですが、あの日はコーヒーをつき合ってくれ、ワッフルも二切れあったのを分け合うとちょうどよい分量だと思いながら食べたのでした。その時は土日で店内結構お客も多くて店員さんがアルバイトに入ったばかりらしいもう一人の人を教えながら忙しくしていたけれど、
この時はほかに誰もお客はおらず、一人出来立てのワッフルをいただきました。
 

# by kurashiki-keiko | 2019-03-19 01:37 | しみじみしたこと | Comments(0)

「没イチ」の生き方ー娘から

 娘からのLINEで、NHKオンデマンドの聞き逃しサービスにこんなのあるよ、と教えてくれていました。
聞いてみると、その中に「パートナーを亡くしてからの幸せな生き方」についてのコーナーがあるので、(これが聞かせたかったのね)と分かり、聞いてみました。
以前から老後大切な物として、友達(人とのつながり)、健康、経済力
と聞いていました。
 このゲストの人も、夫が40代で寝たまま突然亡くなったとの事、私の場合と同じ。しかし仕事があったので日常はそれほど変化なく暮らすことが出来たことなど言われています。しかし周囲の人の「楽しんではいけない」かのような言われ方に傷ついたとの事。
 《このお話の要約》
 シニア生活文化研究所の所長、小谷みどりさんは8年前にご主人が起きてこなかった、布団の中で寝たまま亡くなっていたとの事。周りの人の目が違っていたことを経験した。夫が亡くなって「かわいそうね」という目で見られ、普段通りにしていると「楽しくしない方がいい」と言われる。立ち直ろうとしているのに、楽しんではいけない、おとなしくしていたほうがいい、と言われて気になった。自分の意志と関係なく亡くなった。必ずみんないつかはボツイチになるのに。死別した人に対する言葉が「未亡人」だったり「やもめ」だったり。860万人以上の人が65歳以上で連れ合いを亡くしている。
 自分はかわいそうなのではなく死んだ夫。夫が人生楽しめなかった代わりに自分が楽しまなくては、と思った。亡くなる前から準備が必要。男性は妻より先に自分が死ぬと思っている。しかし逆もありうる。頼りにしていた妻が亡くなると路頭に迷ってしまう男性も多い。
 ボツイチに備えてはネットワークを作っておくこと。同じ体験をした人同士でないと話し合えないことがある。仲間で自分の気持を共有できること。また配偶者と関係ない趣味やネットワークを持つことが大切。
 男性が「自己アピール力をあげる」ことが大事。人の輪に入ってこの人ともっと話したいと思わせる事。一つは聞き上手になること。男性も妻の話を聞く、日常会話をすることが大事。会話のキャッチボールが上手に出来るようになっておくこと。
 自分で自分のことが出来る生活力をつけておくことが大事。家事も、妻がいなくなってもできる事。お弁当を買えば済むと思っていても、どのお弁当を買えばよいかがわからず、自分が何をしたいのかがわからないのだと大変。ゴミ出しだとか洗濯とか。自分のことが自分で出来るようにするのは人間として当たり前。
 生活環境が変わっても自分の生活リズムを変えないのが大切。
 という話でした。






# by kurashiki-keiko | 2019-03-16 12:20 | うれしかったこと | Comments(0)

訪問者ありて思う事

 毎日3行の10年日記をつけていますが、そのたった3行に記録するおかげでこのごろの非日常の日々を「そうだった」と思い出すことが出来ます。
思い出したくもない日々かもしれないけれど、いやそうだからこそ記録して行かないと抜け落ちる事がたくさんあります。
 というわけで、
13日(水)、夫が懇意にしていた大工さんが来てくれました。彼なりに黒のセーターに黒のジャンバーを着て弔意を表してくれて、祭壇に長く拝礼してくれました。夫が現役のころから会社の造作を頼んでいて、我が家の義父母の亡くなった後の住まいのリフォームを一人でしてくれたり、こちらの台所や浴室のリフォームも親しい職人さんを手配してくれて手掛けてくれたりと何かと世話になってきた人です。
 亡くなった時にも知らせたのですが、悲しすぎてとても参列できなかったとのこと。とても繊細な気持ちの持ち主です。涙を浮かべながら、亡くなった時の様子を聞いてくれました。
 そして、葬儀の時には娘のが展示されていましたが、家に残っていた長男のための算数と漢字のおさらいノートの束をお見せしました。口下手だったけれど、心は温かかった夫だったことが分かると思いました。
 その時の話に、私が夫によく「尽くして」いたとほめてくれたのです。え?
「相棒」というか「戦友」というか、5歳下とはいうものの、私は夫に尽くす、とかいう感覚ではなかったものだから驚いたら、「毎朝車のところまでカバンを持って送っていく」ということだからだそうです。そのことを長年会社でサポートしてくれていた事務のKさんに言ったら、Kさんも感心していたとのこと。そんなことで?
 いやいや。それは姑の教えというか、訪問者があったらその人が見えなくなるまで見送るのが礼儀、と教えられたものだから。車庫の所で見送るのをお向かいの奥さんが見ていたのでしょう、子ども会の仲間の一人(元・友の会会員)にも言ったらしく、すごいねと言われて驚いたこともありました。
 
14日(木)生命保険の外交員のモモエちゃん(と私は我が家的には呼んでいる)と、証券会社のアヤヤさん(これは有名人と同じ名前)が10時と11時に来訪。午前に固めてお約束をしておいたため。老後の生活面で不安がないように夫はいろいろ気遣って残してくれたんだなあと、いまさらながらに思います。

 夫の介護が始まることを覚悟していた矢先に逝ってしまって、「お前の肩の荷をおろしてやろうと思って」とあの世で言っているのかもしれません。ありがとう、ありがとう。そして残してくれたお金で私は安心してこの先生きていけます。
 あなたが患っていたので長時間飛行機に乗ることを避けて海外旅行もしませんでしたが、これからはおかげでどこへでも飛んで行けそうです。むしろ元気なうちにあちこち行くことであなたが喜んでくれそうな気がします。(あの奥さん、旦那さんが亡くなったと思ったらしょっちゅう海外旅行だって?)と言われるかもしれないことを恐れる気持もありますが、それよりやっぱり、旅行好きだったあなたが行きたくても行けなかった場所に私が行くことで、あの世で喜んでもらえるような気になってきました。

# by kurashiki-keiko | 2019-03-15 10:45 | しみじみしたこと | Comments(0)

歌は

d0031853_17161108.jpg

悲しいときに悲しい歌は、より悲しくなってしまう。私は、たとえカラ元気でも楽しい歌を歌いたい。 と、思いつつ昨夜も合唱練習に出かけました。

iPhoneから送信

# by kurashiki-keiko | 2019-03-13 17:16 | 日常 | Comments(0)

お花が届きました

d0031853_00263371.jpg
 夫が若いころ勤めていた会社の同期の人から、12日夕方立派な花かごが届きました。
同期の会を東京で毎年開いているようで、夫は遠いので参加したことはなかったのですが、仲が良かったというMさんがその写真をメールで送って来て下さったので、「実は…」とお知らせしたところ、このお花が送られてきたというわけです。
 葬儀の時に子供たちから贈られた花を飾っていて、暖房も入れないお座敷だったのでこれまで保っていたのがもうそろそろ枯れかけてきたところでしたので、とてもうれしいことです。若いころのお付き合い、とはいえ途中で退社して親元に帰った夫だというのにありがたいことです。

# by kurashiki-keiko | 2019-03-13 00:32 | うれしかったこと | Comments(0)