秋の気まぐれ旅その2 尾瀬へ
2009年 10月 02日
2009年9月27日(日)、朝8時に老神温泉の宿を出て、片品村へ向かいました。片品村の戸倉というところに、尾瀬へ行く人のための大駐車場があり、乗り合いバスやタクシーに乗り換えて鳩待峠まで行くのです。広々とした駐車場に9割がたの車が入っているのにびっくりしながら、マイクロバスに乗車。1人片道900円。駐車料金は1,000円。さすがに皆さん帽子にリュック、杖、靴と登山スタイルで装備もしっかりした人ばかりでした。バスはダイヤなどはなく日曜日とあって、満席になり次第どんどん出発していきます。
20数分ほど、曲がりくねった山道を登っていきます。紅葉が始まっていて、ウルシの真っ赤な葉がとてもきれい。
まずは尾瀬の入り口の山ノ鼻までこの標高1592mの鳩待峠から1時間ほど下っていくのです。
靴の裏をマットでぬぐって、外来種の植物の種を持ち込まないようにとのこと。すでにその付近にはなんとコンフリーが生えていました。最初はごろごろした石の階段で、足をとられないように下ばかり見ていましたが、そのときすれ違った若い女の人はとがった高いかかとのミュールというサンダルを素足で履いているのを目ざとく見つけた千明さん、眉をひそめていました。「捻挫したら1人では帰ってこられないですから、はた迷惑です。」そのうち木の階段となり、それからずっと木道になりました。
紅葉一つとっても、鳩待峠までのバスでみかけた紅葉は主としてウルシでしたが、赤くて丸い亀の甲羅のようなオオカメノキは朱色、
クロモジの木や山菜にもなるコシアブラは白っぽくなったり、楓でも場所によって黄色くなったり赤くなったり、緑の葉が突然のように赤くなる部分があったりすることを教わりました。ちょうど木の実が色々あって、
とげとげのある実がはじけてぶら下がる真っ赤な実をつけるツリバナ、
黒くてつやつやしたクロモジの実、などが見られました。
また、木では黒部峡谷の名の元となったクロベ、別名ネズコという木は、まっすぐで丈夫で腐りにくいため、このあたりの山小屋の土台や柱・梁・屋根葺きなど、昔はすべてこの木で作られていたそうです。(現在では保護区のため伐採禁止)
木肌にはマイナス25度以下に下がると出来るという、凍裂で裂けた跡。1966年と年号まである落書きの傷跡も。最近ではマナーが向上してこんなこともなくなったそうですが、名前まで「中村」と彫っていて、もう一度ここに来たら40数年前の落書きをどう思うでしょうか。
あちこちに咲いている、楓のような葉っぱできれいな青紫色の花は、猛毒のトリカブトだそうで、葉っぱがニリンソウとそっくり、しかもニリンソウの側に生えることが多く、ニリンソウは山菜として利用されるのでとても危険なのだそうです。もしも山菜としてニリンソウをもらっても食べないこと。
(これはゼンマイです)
熊が出てこないように鳴らす鐘です。
上のほうの枯れ枝の固まりは、熊が実を食べに上って落としたものだそうで、「あんなに高いところまで木登りできる」ことにびっくりしました。
山ノ鼻からがいよいよ尾瀬の湿原の始まりでした。 入り口にセンサーが取り付けられており、何人が入って、何人が出たかを正確にカウントできる仕組み。
元気な若者なら1日で一周できるかもしれないとのことでしたが…山の鼻までの往復で3時間かかるので、私たちは体力を考慮していただいて入り口から3分の1くらいの牛首という分岐の当たりまでで
お弁当を食べて引き返すことになりました。
(宿で作ってもらったお弁当)
牛首を過ぎるあたりでは木道がかなり傷んでいて、泥炭に杭が沈み、板が段差になってつまずきそう。所々新しい杭で修理されていたのは、先ほどすれ違った若い女性の環境省のお役人が上に訴えたおかげではないかということでした。木材には設置された年号が記されていました。
この木道は、分厚い幅25cm、長さ4mの唐松、それもこの近辺の木材で出来ていて、なぜかというと、外国の材木だと中に虫の卵が産み付けられていて繁殖する恐れがあるためだそうです。
そしてそれは全部ヘリコプターで持ち込まれ、朽ちて取り替えるときも、ゴミを一つも残さないように再びヘリで吊り上げて持ち去られるのだそうです。この大切な自然を後世に伝えるための努力をしているのです。
(続く)。
上記の記事はメールマガジン「Weekly KURASHIKI 週刊倉敷タウン情報」に連載中の「Keikoのお出かけ日記(322)」として掲載されています。こちら→ http://archive.mag2.com/0000002334/index.html
by kurashiki-keiko | 2009-10-02 01:33 | 旅 | Comments(0)