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食卓の風景

 10月29日(木)のNHK「クローズアップ現代」では、「"食”がいのちを救う」と言うタイトルで、食べることの大切さを料理研究家辰巳芳子さんのお宅の庭にカメラを据えての番組構成でした。
 その中で、今の若者にはせっかく献血しようとしても比重が軽すぎて出来ない人が2割もいて、彼らの食生活たるや、お菓子を食事代わりにしたり、朝も昼も抜きだったり、夕食がお弁当だったり。ほかにもサプリメントとカップラーメンで食事の代わりにすると言う作家や、逆に食べると言う行為によって脳に刺激を受けて病状が回復するという寝たきり老人の話なども。
 若者の話の中には、親がお金を置いて仕事に行ってしまうので、そのお金で食事をする気にもならず食べないこともあるとか、一家団欒をしたことのない人すらいると言うお話。本当に悲しい話でした。
 ちょうどその日の夕方、実家の母が、自分が育った家の大家族の食卓の話を地元の「雑記帳」というエッセイグループの今月号に載せているのを送ってくれたところだったので、余計にそう感じました。

 食卓の風景(昭和時代)
                                             洋子
 8畳の居間の隣に板敷きの食事処があり、そこには畳1枚位の大きさの木製のガッチリした食卓があった。板敷きではあったが、食卓は座卓で回りに座布団を敷いて家族が座る。
 着座の位置はきちんと決まっていた。一番上手に父が座り、その右隣は弟(長男)、父の左側に私、祖母が座り、向い側に次弟と母が座り、住み込み看護婦の2人が下座に座っていた。原則的に三度の食事は全員揃ってから始まった。
 8人家族の中心にいたのは祖母であった。祖母は父よりも偉く威厳を保っていた。子供達にとっては、祖母が絶対だと思わせられていたが、今になって思えば、母が利口だったのだと充分に理解できる。母はいつも使用人と同列だった。
 ある日の食卓を再現すると、「おばぁさーん!ご飯よ」と声をかけてしばらく待ってもなかなか現れない祖母。元気一杯の弟たちは「腹が減った!」と騒ぐ。その頃、離れのお手水(ちょうず)でバタンと戸が閉まる音がする。「もおーっ!おばあさんには早めにご飯よと言えばいいのに」と弟達が怒った。祖母が着座するまでは、お箸を取らせてもらえなかったからである。
 子供の私の役割は、座布団を敷いて食卓を拭き、お箸を配りお手塩(てしょう)皿を出す。大皿には取り箸を添える。おばあさんがやっと着座して皆の食事が始まる。私は食事の間、祖母に「肘を張るな!音を立てるな!」と小言を言われる。使用人達もおどおどしていた。
 お魚嫌いの父には、他の者が魚を食べる時も、魚が出される事はなかった。また、お肉嫌いの祖母には、高級魚が出された。祖母は鮎を好んで食べていたが、その他の川魚は駄目のようだった。私たち子供や使用人が鮎を食べさせてもらったことはなかった。大人になって初めて鮎を食べた時には、背骨をするっと抜いて祖母が食べていたのを思い出した。
 それから、他家ではスキヤキや鍋物が食卓に出ると聞いていたが、我が家では鍋物は無かった。それは使用人が何時も同時に食事していたのと、祖母が一つ鍋をつつくのを嫌がったからだと思う。叔父(父の弟)の家庭はモダンだったので、祖母に連れられて行った時、若鶏の水炊きをご馳走になって、珍しく美味しいのに驚いた。使用人と家族は、別々に卓袱台(ちゃぶだい)で食事していたのにも驚いた。単に食事処が狭いから時間差で食事していたのだったが。
 祖母が皆で揃って食事をとる習慣にこだわった訳を私が知ったのは、大人になってからだ。祖母は伊勢の出身で、嫁いできたら言葉が全く違い、一言しゃべるたびに笑いものになった。そして、祖父は偉い医者で、住み込みの書生が居て、表座敷へお膳を運ばせて、お客の相手をしながら食事する。祖父1人の時も家族と食事をしたことが無かったとか。
 私達が子供の頃は飛び入りのお客がよく有った。(中略)母の台所には、いつでも御櫃(おひつ)にご飯があり、飛び入りのお客にも対応していたのが不思議だったが、母や使用人は何時も冷やご飯を食べる羽目になったのだ。何時も炊きたてのご飯を食べさせて貰ったのは父と子供達で、感謝しなくては勿体ないと思った。(略)私が家庭を持ってから、世の中も変わって突然のお客も無く、余分のご飯を炊く必要もなくなった

食卓の風景_d0031853_4391697.jpg

母の実家の縁先にて、1952年(昭和27年)正月。左から母の上の弟、下の弟、祖母、祖父、母、曾祖母、私。たぶんカメラを持っていたのが父だったでしょう。父は無給の医局員だったので妻の実家に親子で居候していたそうです。

by kurashiki-keiko | 2009-10-31 04:44 | 健康 | Comments(0)

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