入院手術―バルトリン腺腫除去手術してきました
2010年 08月 28日
婦人科の先生によると、まれ、ではないそうで、女性なら年代を問わずかかる可能性はあるようです。
発端は6月11日(金)だったか、岡山に出かけるため家から駅までを自転車で往復したことでした。局部に違和感を感じていました。
外出の後、ちょっとじわっと痛みを感じるようになり、夜になって激痛というか、形容すれば局所を洗濯バサミで挟まれたような、引っ張られるような痛み。
夜間救急外来のある倉敷中央病院へ行ってみましたら、産婦人科の先生は帝王切開の手術に入っており、2時間待っても診察できないかもしれないとのこと。仕方なくあきらめて自宅へ帰り、朝を待ちました。
翌朝、一番に受診、まだこのときは皮膚科だか泌尿器科だか婦人科だかよくわかっていなかったので、これまで時々子宮がん検診に行っていた婦人科の開業医ではなくてやはり総合病院がいいかな、と倉敷中央病院へ。家から近いので。
受付にベテラン看護師さんでもいて振り分けてもらえるのかと思ったら、あいにくいなくて、事務職員みたいな人から婦人科へ行くように言われました。やっぱりこれは婦人科なのか?と思いつつ受付へ。
受診してみて、はじめてこれは膣内を潤すための潤滑液が出るというバルトリン腺の出口が化膿していて腫れ上がってることが判明。とはいえ何もできず、抗生剤と痛みどめの飲み薬を処方されて様子を見ることに。土曜日だったので翌週の金曜日を予約。その間入浴も浴槽につかることはがまん。抗生剤は耐性菌ができないように、時間を決めて忘れず飲むことが必要なので神経を使いましたが、なんとか飲みきったけれど次の受診日を待てず水曜日に受診しました。
こりこりした小梅くらいの腫物があるので、注射器で膿を吸い出してもらって、あとはなくなるまで抗生剤を飲み、様子を見ることに。
・・・しばらくはそれで行っていたのですが、7月11日(日)、下着に膿のようなものが出てきていて、これは、と思い翌日朝一番にまた受診。やはり腺腫が破れて膣内に膿が出てきたとのこと。
ここで、何度も繰り返すようなので除去手術をしては、ということになりました。
7月21日の受診で「どのくらいかかるのですか?」と聞くと、3,4日の入院だそうで、家庭のことを考えると「えー!」でしたが、不安要素を抱えているのも嫌なのでそこは何とかしようと決意し、手術日を決め、手術日は木曜とのことなので、お盆の繁忙期などを避けて8月26日と決まり、手術に必要というT字帯とパンツ、出血用にナプキンを病院の売店で購入してて帰りました。
帰宅後すぐ、忘れないうちにと保証人に息子になってもらって書類に記入したり、必要なものを整えました。パジャマは帰宅後の洗濯などを考えて借りることにしました。
あとは手術日までに家のことをどうするか考えていました。
8月26日、午前9時までに病棟のナースステーションに行くことになっていたので行くと、すぐ11時半ごろから手術になるとのこと、体重や身長を計り、本人確認のために紙のテープを右手首に巻かれました。(以前間違って健康な子宮をとられた人がいたなあと思い出す)。そして手術部位の確認と剃毛。
手術室へは別に何ともないので歩いて。倉敷中央病院の手術室は、大きな受付が最初にあり、見れば17もの手術室が配置されており、その中の一つを指示されて同行の看護師さんと向かいました。手術室入口で姓名と生年月日で本人確認、手術部位の確認の後に入室。ベン・ケーシー(古い!)だの「白い巨塔」だのの医者ものドラマでは見たことありますが実際に患者になるのは初めてなので興味津々。いよいよまな板の鯉。えびのように背中をまげて背骨をだし、麻酔の注射。後でみると広い範囲にピンク色の消毒液、たぶんヒビテン?の塗られた跡があり、パッチが貼ってありました。
麻酔のかかるまでに、腕と、麻酔の部位に保冷剤を当てて冷たさを感じるかどうかのテストがあり、右足より左足がかかり方が悪いとみると、左を下になるように少し傾けて、しばらく待って、冷たさを感じなくなったところで手術開始。
あらかじめ手術中に聞きたい音楽を、クラシック、演歌、ポップスなどジャンル別に聞く用紙があったけれど、私は「主治医がリラックスできるものなら何でも」と答えておいたら、穏やかなオルゴールの音色の音楽が流れていました。
タオルケットを太いワイヤーで支えて衝立になっていたので見えませんでしたが、40から50年配のチーフとみられる医師と、あらかじめあいさつに来た若い女医さん(受け持ち)と、もう一人いたようです。圧力は感じたけれどももちろん痛みは感じず、小声で何か処置について話しながら進行。その間、枕もとに若い看護師(女性と、男性)がかわるがわる「吐き気はないですか、気分はどうですか?」と聞いてくれて安心でした。「溶ける糸で縫ったので抜糸はいりませんから」といわれ、医療の進歩を実感。亡父はよく抜糸のために休日出勤していたので。
12時半ごろ、部屋に帰り、看護師さんが上手にベッドに滑らせてストレッチャーから移してくれました。
これまで何度も夫の手術の経過を心配して病室で待っていましたが、初めて逆の立場。もちろん夫のほうがずっと命に係わる率の高い手術でしたけれど。3時過ぎに食事の許可が下りたので夫が売店でおにぎりとアイスを買ってきてくれ、遅いお昼。
午後6時過ぎ、導尿管が抜かれ、トイレに行ってもよくなりました。しかし足はまだ少ししびれ、おまけに徐々に麻酔が覚めて痛みが増してきました。夫が帰り、私は最初の病院食をいただきました。
痛いのであまり食欲もなく、それでも食べなければ、と、ご飯を大半のこしてしまいました。
9時消灯、というので仕方なくテレビを消し、イヤホンでポケットラジオを聞いていました。おしっこが導尿管を外した午後6時半以後トイレでいきんでも全然出ず、これは膣の患部が腫れ上がって尿管を圧迫しているに違いないと自分で判断、看護師さんにお願いして11時半頃、処置室でチューブで導尿してもらうと500ccも出ました。
窓の外は満月がこうこうと明るく輝いていました。痛くて眠れずゴロコロしていたらきっちり6時間たったので、と看護師さんがやってきて、お尻にいたみどめの座薬を入れてくれ、少し楽に。
1時半頃、また尿意はあるのにトイレでいきんでも出ないので、またナースステーションまで出かけて行くと、「またか」という顔で「まだ2時間しかたってない」というさっきの看護師さん、別の看護師さんに出してもらい300cc。(ほれ、ちゃんと尿意があったから出たでしょ)
その後ラジオを危機ながらごろごろしているうちにやっと眠っていて、目覚めると6時過ぎでした。
「よっし」とトイレに行き頑張ってトライしてみるとやっと自力で180ccのおしっこが出ました。よかった~。自力で出せないと退院できないと思っていましたから。
ラジオ体操をいつものようにしてみたら腰が硬くなっていて前後に曲げにくくなっていました。
病院の朝食はとても遅くて待ちました。
8時10分頃、「ゲゲケの女房」をゆっくり見られると喜んでいたら、看護師さんから先生の診察があるので処置室へ、と呼びに来て、(先生、早くからお仕事ね、外来の前にさ一仕事かな)と思いながら行き、内診台に掛けると、これまでの〇〇Dr.と、〇〇です、見せてください、という女性の声。若い研修医か。黙って見てもカーテン越しでわからないのだから構わなかったのだけれど。主治医の方の女医さんが説明していた。
その後の説明によると、血マメが患部の内部に出来ていて少しずつ吸収されるが大きくなるようなら外来へ来るようにとのこと、当分清潔にするため湯舟に浸からないようにとのこと。
10時半ごろだったか、人の気配がしたと思ったら思いがけず実家の母が見舞いに来てくれました。母、81歳、マンションで一人暮らし、昨年だったか新車を購入していまだに高齢者ドライバーで、「病院に来たら駐車待ちで15分くらいかかったわ。」
また、母にとっては天満屋ハピータウンを歩くと知り合いに見られ、それが存在証明らしい。
いろいろ話していたら1時間ほどがあっというまに過ぎました。
お昼御飯です。迎えが午後3時に来るはずだったので、2時ごろから帰り支度、それに請求書を見て自分で清算。個室の室料が6800円くらいかかりましたが全体で48,000円くらいの払いでした。
最初の説明では3日くらい入院、と言われ、ノートパソコン持参で残り2日分は書き物をする予定でしたがその暇もなく、たったの1泊入院で済んでよかったといえるのか、せっかく休養できると期待していたのにあてが外れたともいえるのか微妙な「入院・手術」の顛末でした。チャンチャン。
by kurashiki-keiko | 2010-08-28 07:47 | その他 | Comments(16)
大事にしてくださいね
いつもながら長文の「解説」?読みごたえがありました。臨場感あって感心します。この暑さで、少々夏バテ気味の私、パワーのおすそ分けにあやかりたい気分です。
病後、くれぐれも無理されませんように。
気がかりなことを抱えているよりは手術、といういさぎよさはkeikoさんらしいなぁと思いました。
毎日忙しくされているkeikoさんですが、
今は少しは安静にされていますか?
あれこれと動き回っていらっしゃるような気がします。
お大事になさってくださいね。
手術の様子などよくもこんなに冷静に詳しく書けるものだと感心しました。
81歳のお母さま、びっくりされたことでしょうね。
残暑も厳しいです。くれぐれもご用心ください。
普段元気でおられただけに驚かれたことでしょう。
現代医学で患者の負担が少なくなるように、そして正確な治療ができるようになってきましたね。
中央病院は救急病院ということもあって、退院が早いですね。
ご無理のありませんようお大事になさってください。
大変でしたね。 少しはよろしいのでしょうか・
お大事にしてください。
私も2年間で 180日以上入院手術 は4回全部全身麻酔で
後は脊髄にブlロック麻酔でしたから 痛みは一度もありませんでしたが、夫は肩の術後かなり痛みがあったようです。
総合病院は安心ですね。
いえなに、携帯で息子や娘にあーだこーだとぐだぐだ書いていたのをまとめました。(入院中の部分のみは)
野次馬なのでめったにない経験をちょっと書いてみたかったものですから。
ご想像通りあまり安静にはしていられず、しかし椅子に腰かける動作が一番患部に響くので、しかも車の乗り降りの動作が一番しんどいことです。
初めのほうはできるだけ事務的に手短に、と心がけていたのですが後半はいつもの野次馬的余計な部分が多くて長くなり、読むのが大変だったことと思います。
あれから丸2年ということですが、今もトイレではなるべくビデを利用するなどして局所の清潔には気を付けています。
自転車に乗るときには時折痛みというほどではないにしても
まるっきりふつうというわけでもないと感じています。
そんなところでよろしいでしょうか。もしもっと詳しくお知りになりたければ鍵コメでメルアドなど書き込まれたら直接お返事いたします。
術後どのくらいで痛みがなくなったかと言えば、痛みの程度にもよりけりですが、本人が気にすれば気になるでしょうし、今はいつごろ無くなったかは覚えていません、あしからず。