片付けて見つかった義父の呼び掛け文
2011年 12月 19日
我が家にもネガフィルムを娘が嫁入り前のちょっと暇だった時に熱心に3つのフォルダーに入れて本棚に置いていたのがありました。確かに、昔の写真はアルバムでさえ10年に2,3度見るか見ないかなのに、そのうちの膨大なネガの中からこれ、と指定して焼きなおすなんてことは絶対にありえない、ということで、日曜日、寝っころがっている夫をしり目に、一応古新聞に包んでゴミ袋へ。娘よ、整理してくれたのにゴメンね。
次いで、子どもが小さかった頃にちょっと入っていたママさんコーラスの楽譜、今は倍賞千恵子さんの夫になっている小六禮次郎作曲の「交響詩瀬戸内」の合唱部の楽譜だの、女声合唱の楽譜なども、もう歌わない、それからそれから、昔行った演奏会のプログラムがまだあったり、その他今に至るまでこだわりがあって取っていたものも、永久に取っているわけでもなさそう、というのをこの際処分。
まだ捨てられないのは3年連用の日記と、その前に独身時代から新婚の頃使っていた簡単な予定表、その中に挟まっていた紙を見ていると・・・
亡くなった夫の父が、私たちの結婚式直前に「親睦誌発刊について」と題して、「三人の子どもたちもそれぞれに一家を構えることになったので、ここでみんなをつなぐ新聞のようなものを作ろう」と呼びかけた文章の青焼きコピーが出てきました。黄ばんでいましたがまぎれもなく義父の字。夫は懐かしがっていましたが薄れて読みにくくなっていたので、スキャナーで取り込んでパソコンで修正を加えて、読めるようにしました。
義父はもともと本好きでこういうことが好きだったのですが、呼びかけによると、毎月または隔月で編集は回り持ちで、ということだったのですが、みんなそれぞれに乳幼児を抱えていてそれどころではなく、この目論見は実現することはできませんでした。
その義父が病んで亡くなる直前ごろになって私が独断と偏見で一人編集という形で実現し、2007年から手書きで始め今や14年目なっています。義父の子供たち3人ではなくて1世代下の私の子どもたち3人とその家族ということではあるのですが。
昔の義父の願ったことが少しだけ細々と実現できていることがちょっとだけうれしく感じた、片付けの間の一コマでした。
by kurashiki-keiko | 2011-12-19 15:29 | 日常 | Comments(0)