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沖縄の旅 その5 平和祈念公園~ひめゆりの塔~旧海軍司令部壕


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2012年4月1日(日)、この日は午後4時45分の便で帰るので、朝9時から3時までレンタカーを借りました。あまり遠くへはいけないし、欲張ってもいけないので、南部の平和祈念公園とひめゆりの塔、それに那覇空港から車で15分という、旧海軍司令部壕を見学することにしました。(上の図はクリックで大きくなります)
平和記念公園のサイトはこちら。http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/kouengaido3.html
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こちらの記念碑は以前来た時に内部も見学したのでしたが、平和の礎(いしじ)はまだ見たことがなかったので、行ってみました。





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平和の礎はあまりにも広くて沖縄戦で亡くなられた20万人もの人が祭られているのです。
 入り口のところに目指す場所を教えてくれる検索機能のある設備がありました。そこで、同県人の人を探してみることにしました。

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そして、わが身うちには幸い戦死者はいないのですが、同じ名字で検索してみると、いらっしゃいました、お1人だけでした。

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屏風のような石碑の横にはこうして場所を示すものがありました。

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ご先祖様のどこかでつながっているかもしれない、同じ名字の人の名前を探すことが出来ました。

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「平和の礎」のすぐ先は海。この海岸を覆い尽くすほどの米軍の艦船がやってきて鉄の暴風と言われたほどの艦砲射撃や火炎放射器などで兵隊だけでなく地元住民まで幾多の人びとが犠牲になったのでした。

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平和の礎を見下ろす場所には沖縄風の赤い屋根瓦の立派な資料館が建てられており、そこの最上階からの眺めです。広々とした立派な資料館には、この戦場でどのようなことがあったか、着ていたボロボロの着物や、米軍が撮影した写真の数々、生き残った人の証言が大きな本のような形になって展示された部屋、などなどがあり、これは今の若い人たちにぜひ見てもらいたいと思いました。

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平和祈念公園からほど近い、有名な「ひめゆりの塔」を見学する観光客たちです。

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右下の方に最初に建てられた碑があります。

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入り口で花を売っており、大勢の人が献花をしていました。

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大勢の人が亡くなった陸軍第3病院の洞窟の跡です。こんなにでこぼこの険しい岩肌の穴に、傷病兵と共にまだ15,6の乙女たちが看護婦代わりに命がけでいたのでした。

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(クリックで大きくなります)今では、このひめゆり部隊の生き残りだった第一高女と師範学校の同窓生の運動で、公の施設ではない立派な資料館が建てられています。館長さんは83歳になられる同窓生だそうです。私たちもその人のお話を今回じかに聞かせていただくことが出来、物を見るよりも何よりも生の証言というのはインパクトがあるものだなと感じました。
 そしてその話の中に、これから行く、海軍の沖縄の司令官であった大田實海軍少将が最後に打ったという電文のことを少し聞き、感銘を受けました。沖縄県民がいかに戦いに巻き込まれ、老幼婦女子が家や財産を失い逃げまどったこと、戦争にいかに協力したかなどを切々と訴え、「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」というものであったとのことでした。

ここでお昼になったので、レンタカー屋さんでもらった割引券のある「ひめゆり館」の食堂でお昼にしました。
沖縄の旅 その5 平和祈念公園~ひめゆりの塔~旧海軍司令部壕_d0031853_11423928.jpgまだ食べたことがなかった沖縄料理、「みみがー」です。豚の耳、と聞くとちょっと、だったのですが、ここで食べなくては、と注文。310円、海藻との和え物で中華風、ちょっとくらげに似た食感。なーんだ、そうだったのか、という感じ、食べやすかったです。

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そしてこちら、もずく丼。ミンチと野菜を混ぜて煮込んだあっさりしたものだそうで、もずくのとろみが生きていておいしかったです。



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沖縄県豊見城市字豊見城の小高い山の中にこんなにも複雑な地下陣地が掘られていたのでした。
サイトはこちら http://kaigungou.ocvb.or.jp/access.html

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アリの巣みたいに兵隊さんがつるはしで掘ったとは思えないほどの高さのある通路と、これは司令官室だったそうですが、漆喰とコンクリートで固められた頑丈な作りだそうです。

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これは当時手りゅう弾で自決した時の破片が食い込んだあとがいまだに生々しく残っているのだそうです。
当時大田司令官以下4,000人もの将兵がここを守っていたのだとか。
戦後放置されていたものを、数回に分けて遺骨収集し、昭和45年から司令官室を中心に300m分が復元されたそうです。


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 「ひめゆりの塔」の館長さんからもうかがった、大田少将が海軍次官に向けて沖縄県民の献身的作戦協力について訴えたという電文が掲示されていました。
 最後の「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という最後の一文は、いまだに基地移転問題でなかなか守られてはいないように感じます。

現地でテレビを見ていたら、いまだに不発弾が時々爆発してけがをしたり死に至ったりすることがあるとのこと。すべて取り除くのには70年くらいかかるとのことを知りました。本土と沖縄とではこれほどにも戦争に対する現実味が違うのだということを知りました。
 


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ちょうど3時にレンタカーを空港近くの営業所に返し、シャトルバスで空港へ。そして、前回もこの場所でこれをいただいたなと思いながら、「沖縄ぜんざいを注文。かき氷の中に金時豆の甘煮がはいり、白玉団子が添えてあってミルクがかかっています。

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那覇空港の駐機場です。ピカチュウのペイントの機体がありました。
このたびの旅も終わりです。
長いことお読みいただきありがとうございました。

糸満市
糸満市

by kurashiki-keiko | 2012-04-02 12:10 | | Comments(2)

Commented by 鉄砲玉 at 2012-04-03 02:09 x
何度も行った沖縄ですが、私は案外本島を訪れたのは少なく3回だけです。
戦争の跡を感じるのは日本人として大切なことですね。
悲惨な戦いを繰り返さないためにも、
気持ちの奥にしっかりと覚えておく必要がある気がします。

Commented by kurashiki-keiko at 2012-04-03 16:07
鉄砲玉様、本島に3回行けば少ないとも言えないのでは。
あの平和の礎に刻まれた膨大な戦死者の数を思うと、戦後生まれの若者ならずとも、大勢の人にあの場に立ってもらいたいものと思いました。そしてとくに、ひめゆりの塔の証言者の人の肉声を聞いて現実に起こったことを知るべきだと思いました。知ることから始まるのだと思います。
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