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なつかしい家を訪ねて

 弟夫婦が暮らす、築300年??くらいの江戸時代に建てられた家をたずねました。
玄関前にヒイラギと、貝塚伊吹の木があるのですが、もうたぶん100年くらいたっていてすっかり古木になり、枝もまばらになってしまいました。昔その前で祖父の(お葬式用になりましたが)ポートレートを撮影した時のこんもりした下枝はすっかりなくなり、幹には苔が生えていました。
私の小さいころには、戦後すぐの南海大地震の後で、昔は造り酒屋だったという、母屋の続きの酒蔵はつぶれたそうで、壊れた部分を定年後田舎に帰ってきた祖父が少しずつ片付けていたようで、家の西半分は引きちぎられた格好になっていました。
 その酒蔵の近く、敷地の西側にはかつて2階建ての門屋があったというのですが、礎石だけになっていました。その外側には井戸があって、干拓地だったために塩分があるので子供の背丈くらいの素焼きの濾過器があり、井戸から釣瓶で水を汲んではその濾過器に流すと、下のほうからちょろちょろと濾過された水が出てきて、それを受けて台所に運び飲み水にする、というなんとも不便な家でした。水道が付いたのはたしか私が小学2年生くらいだったと思います。
 今は新しい道路が家の東側についているので真裏から入るようになってしまっていますが、かつてはその門屋の近くまで運河があって、船で酒蔵の荷を運んでいたようです。
 玄関は田舎の家なので土間になって奥までつながっていました。表座敷に上がる框は継ぎ目のない1本ものの材木で、大庄屋だったので年貢を納めに来る小作人を見下ろすように高い床になっていたのだそうです。子供の背丈では這い上がらないと上がれないような高い上り框で、玄関の間、中の間、座敷と続き、さらにその奥には、私が小さいころには使われていなかった殿様が休憩されるための風呂場(たぶん地震でつぶれたか)、庭には手水鉢にくりぬかれた岩、そして鍵の手に上便所がありました。(西の端のほうに下便所と下風呂もありました) 便所の陶器は唐草模様。そこに至る座敷の周りの廊下は、木が乾いたせいか隙間だらけで歩くとごとごと、カタンカタンと音がしていました。外と座敷とを隔てるものは普段だと障子紙1枚、夜は雨戸を立てていました。干拓地で遮るものがないので、台風の時は雨戸の半分くらいの高さに3寸角くらいの角柱を両側の柱の受けに入れて外から金具で固定し、風で持って行かれるのを防ぐようになっていました。
 いろんな思い出がありますが、弟夫婦がその家を直して守って住んでいてくれるのには感謝です。

 

 土間だったところに床を貼ったり台所を改造したりしてその部分に住んでいるようですが、子供のころのことが盛んに思い出される、古い家を維持管理してくれるのはとても大変だと思いますが、こうして形あればこそ、懐かしむこともできるわけで、ありがたいなと思いました。

by kurashiki-keiko | 2013-09-16 16:30 | しみじみしたこと | Comments(0)

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