全盲の子をプロのピアニストに―ラジオ深夜便から
2015年 07月 23日
誰しもわが子が障碍を持って生まれたと知ったら落ち込むだろうと思います。どうして育てて行ったらいいものやら、迷うと思います。彼女もそんな一人でした。
全盲なので発達もかなり遅かったそうですが、見えなくてもお花見に連れて行き、桜の花の様子を話してやりさわらせてやると、ずっとお花見が大好きになって今年はいつ行くのか、と聞くようになるなど、工夫した子育てがあったようです。その才能の芽を見つけたのは、CDを買って聞かせたら、ショパンの英雄ポロネーズが大好きで、ブーニンの演奏を聴き分けたというのです。ほかの演奏家のCDを聞かせたら反応が違っていて、ブーニンの演奏だと足をバタバタさせて?喜んだそうです。
たまたまおもちゃのピアノを買い与えて、クリスマスに彼女がジングルベルか何かを鼻歌で歌いながら台所をしていたら、彼がそのメロディーを再現した、というのです。何度もそんなことがあって、おもちゃのピアノが壊れてしまい、今度は本物を買い与えたことと、ピアノの先生に来てもらって演奏をして聞かせてもらうという事から入ったそうです。
そして、旅行先のサイパンで自動演奏のピアノを聞いて、自分に演奏させてもらいたいと願い出て、小さい子どもが「渚のアデリーヌ」を弾いたというのでやんやの喝采をしてもらい、ピアノが大好きになったとの事。
並外れた音感があったこと、お母さんはピアノを弾けなくて「今日の演奏はどうのこうの」と文句を言わずに「きらきらしていてよかったわ」と褒めたことにより伸びたのではないか、ということなど、一つ一つ、結果的に彼をピアノ嫌いにさせずに、ピアニストにしようとは思っていなかったのにその道に進むことになったようです。
そしてやはり経済的に豊かな家庭であったから、というのもその一つではあったかと思いました。しかし経済が豊かな家庭だからというのは一つの要素であって、お母さんが厳しい人だったら途中で挫折があったかもしれないけれど、やさしくおおらかで彼をよく見てほめていろんな体験をさせながら好きなことをさせてやろうとのんびり育てたというのが一番大きなことだったのだろうと思わされました。
障碍がある子なのだから、親が先に死んでも手に職をつけさせて1人で生きて行けるようにしなければ、というおとうさんの考え方も納得ではありますが、たまたまその手に職というのがピアニストになろうとは、お母さん自身も最初は考えもしていなかったというのが面白いことでした。
辻井伸行 国立競技場ファイナル 英雄ポロネーズ
by kurashiki-keiko | 2015-07-23 00:41 | 感動したこと | Comments(0)