貧者の一灯
2015年 10月 05日
先日、早い人は集まったから、と持ってきてくださったのでしたが、こんなことがあったそうです。
というのは、大きなお家を最近購入して、さらに入居の前に全面改築して庭もきれいに整備されたお宅を訪ね、当然「目安」の額の500円くらいはご寄附くださるだろうとお願いしたところ、「うちは前の家に住民票があり、ここは別宅だし、前の住所ですでに寄付したから出す気はない」と断られて唖然としたそうです。
そうかと思えば、生活保護に近いような見るからに厳しい生活をされている人が、それでも、と、手のひら一杯の小銭を持ってこられたのには、「もういいです」と言ったのですが、出されたので受け取ったのだそうです。
それを聞いて、2人でその小銭の持つ重みはどれほどのものだったか、と言って胸が熱くなる思いがしました。
この話を聞いて思い出したのは、昔、「暮しの手帖」に藤城清治さんの切り絵のさし絵で「クリスマスの鐘」というタイトルだったか、のお話でした。
昔、貧しい羊飼いの少年がいて、ひと夏一生懸命働いてお給金にと、銀貨1枚をもらった。少年はそれを持ってクリスマスに町の教会へ行った。教会には立派な鐘があったけれども、それは神様の意に沿う事をした人が鳴らすことができるというものだった。大金持ちが多額の寄付をしたけれど、その鐘を鳴らすことは出来なかった。教会の礼拝堂には大勢の人がお供えしたお金や財宝が積まれていたけれども、鐘はちっとも鳴らなかった。羊飼いの少年はそんなことは知らず、ただ自分が持っているたった1枚の銀貨をその祭壇にそっと置いた。すると、教会の鐘は高らかに厳かに鳴り響き、金持ちの人たちはそれを見てその少年の持ってきた銀貨1枚の価値を知ったのだった。
・・・というような筋だったように思います。切り絵の影絵の透明感のある美しさと、そのお話の印象深さとで覚えているのです。
by kurashiki-keiko | 2015-10-05 12:45 | しみじみしたこと | Comments(6)
貧者の一灯 正にその通りですね。民生委員 ご苦労さまです。
私も小学生の時から駅頭に立ったものです。
赤い羽根駅の西口東口
ありがとうございます。
此方では回覧板に赤い羽根をはさんでまわします。
以前、一軒ごと集めていたこともあるのですが
嫌な思いをすることもあって年度初めに一定金額納めるようにしました。
募金の度に一軒一軒回る手間はなくて助かります。
いつも、地域のためにご苦労様です。
最まあ募金というのはあくまでも気持ちですが、低賃金が700円代の時代ですねで、それ以上は出すべきだと思うのですが、反感をくらいそうなのでこういうことは普段は言わないようにしています。 : )