スーパーの新型レジに思う
2015年 12月 10日
レジ係と言えば、昔はよくつり銭間違いがあったので、レジを済ませた後でレシートの金額を確かめる人も時々見かけたり、また私も帰宅して財布の中身が合わなかったりした経験もあったように思います。また、買い物をしたら財布の現金が足らず立ち往生、という事も私も2度ほどあり、冷や汗ものでした。そのうち一度はなんとレジ係の人が貸してくださったのです。翌日は休み、というその人のご厚意に感謝して、帰宅して急いで返しに行きましたし、そのことに感動して新聞投稿したら掲載され、二度感謝でした。二度目は立ち往生する私に冷ややかな目で「さあ、どうするのよ」みたいな感じで知らん顔する店員さんでした。仕方なく品物を削るという作業をしたのでしたけれど。
また、レジではなるべく小銭まできっちり払うことを心掛けていて、端数を支払うことにこだわっている私です。そして時には、「キャベツが一時とても高かったけれど、安くなりましたねえ」などと顔見知りになった店員さんと話をすることもあったりするのです。
そんな私にとってのレジ係の人との交流があったのですけれど。
昨日、いつものなじみのスーパーに行くとなんと、レジが新型になっていて、支払いはレジ係の人に、ではなくて病院の支払機みたいな機械の口に向かってお札と小銭を分けて投入すると、おつりが出てきて、レシートが出てくる、というシステマチックなレジになっていました。機械に向かってあせって、いつもなら細かい小銭を出すのが私の流儀なのに、千円札で支払ってしまいました。レジ係の人はただ品物のバーコードを読み取らせるだけ、になって、一切お金にかかわらなくてよい、というところは、負担が随分減ったのでしょうけれど、先の新聞記事にあったレジ係が消滅する道へと進んだのかなあ、と思った次第です。
昔の八百屋さんだと、野菜の高いわけだとか、食べ方だとかを教えてもらえたのに、この頃はそんな交流もスーパーではないですし、レジ係の主婦と話をする機会も減って機械に向かって支払いすることになってくると、例えば一人暮らしのお年寄りが、「何日も誰とも話をしない」という現状が、せっかく外出して買い物に来ても話し相手にもなってくれないという事になるのかなあ、と思ったことでした。
by kurashiki-keiko | 2015-12-10 23:43 | 日常 | Comments(2)
レジと言えば、必ず一円足りないという法則があるように思います。
7円まで数えて一円足りない、一円でも足りなきゃダメなんですね。
このあいだ銀座の化粧品店では一円負けてくれたがとてもうれしかったです。