父の背中
2016年 02月 10日
・・・そして今日、居間の本棚の整理をしていたら、昔父のもとで働いていた看護師さんの自費出版の本が目につきました。もう私とは関係ないし、この際処分しようかしら、と、ふと見ると、母がはさんだであろうしおりが目につきました。そのページを開けてみると、父の事が書かれてありました。
・・・父の長男(つまり私の弟)と同級だったというその人は、産婦人科病棟に配属になって、分娩介助に着くのにずいぶん不安と抵抗があったが、父から言葉少なくではあるけれど、温かく指導してもらったのだそうです。
また、その人によると、父はそれはそれは小さな命の誕生をとても大切に思っていて、最初の妊娠の赤ちゃんを始末するために来る妊婦さんの申し出はお断りしていたそうで、病院の経営方針上その処置を引き受けなければならなくなったときはとてもつらそうにしていたそうです。父の怒った声も顔も、ほとんど知らないそうです。ある晩、本当は別のドクターの当番なのにいくら電話で呼んでも出てくれない、仕方なく父に連絡すると「おっ、今夜は俺だったか?」と言い、訳を話されると少し離れた官舎から自転車に乗って駆けつけてくれたのだそうです。そんなことが何回もあったが、一度も嫌な顔を見たことがないとの事。
また、お産は今にも生まれそうに見えても結構時間がかかったりすることもあるが、そんなときものんびりとたばこを吸いながら待っていて、決して焦ったり無理をするという事がなかったそうです。あるドクターからは、「早く呼びすぎて。。。」とおしかりを受けたこともあったが、父の時には安心していられたとの事。
・・・職場の看護師さんの思い出の記として、それらの文章を読んで、要領よくちゃっちゃとやるようなタイプではなかったけれど、じんわりあったかだった父の性格からその様子が思い出されて、私の性格もまさしくそれだな、と思いだされた事でした。
by kurashiki-keiko | 2016-02-10 14:33 | しみじみしたこと | Comments(2)
いいお父様の思い出が、いっぱい詰まった~お話ですね。(^O^)
ドクターは、ドイツ語では~手取り足取り面倒見る医師~
お父様はそんな優しい素晴らしいお医者さんだったのですね。
紀元節父の背で見し花電車
今日は建国記念日、昔は紀元節~紀元2600年の祝賀パレード~
まだ四歳でした。宮大工の父でした。
ありがとうございます。