片付(5) 母の化粧道具、曾祖母の編み物
2016年 03月 06日
前回私が帰った後に弟たちが、母がずっと記録していた、背丈ほどの本棚2つ分のアルバムを束ねていたり持ち帰っていたり、また布団類も布団袋に入れたりしてくれていました。
私は今回は下駄箱の靴や下駄などを、私とサイズが同じだったけれども履けないものが大部分だったけれど、中で履けそうなもの3足を分けてからほとんどを廃棄の方の袋へ。下駄箱には文字通り下駄や草履まで入っていましたが、着物をこの先着る機会は、子供の結婚式も終わったし多分なさそう、とさっさと処分に。
続いてクローゼットの上の棚。スーツケースに毛皮の襟巻3本を発見。レトロだなあ、と思いつつこれは売れるかも、と持ち帰り。
クローゼットの下の衣装ケース2個とその周り。母の入院用セットのバッグは私の持ち帰りに。衣装ケースの中には、母はおばあちゃん子であったために、わたしからすると曾祖母の手編みしたショールが3枚とベスト(ちゃんちゃんこ)が1枚。曾祖母は体が弱ってからはもっぱら鉤針編みで座布団カバーだのショールだのを編むのが楽しみで、しかしかっちりした細編みでふんわり感はないものでしたが、まだとっていたんだ、と感動。虎は死して皮を残す、ですが曾祖母は死して編み物を残していたのでありました。
その中に、大切に包まれていた父の名前の表札がありました。これは、苗字を受け継ぐ弟に託して、お札か何かと一緒に燃やしてもらうことになりました。
それから、母が嫁入りの時から使っていた座って使う鏡台。引き出しの中には古いヘアカーラーやらアルミのクリップやらが入っていたり、意外だったのは薄いオレンジ色のマニキュアと除光液があったこと。弟嫁に母がマニキュアを持っていたことを言うと、年を取ると爪が割れやすくなっていたのでそういえばマニキュアをされていました、との事。へー、そうだったんだ。
ヘアブラシとかファンデーションの類は全部捨てる方にしましたが、クレンジングクリームなどはまだ使えそうなのでいただくことに。 鏡台もそれで空になりました。
鏡台の奥の壁際には、何かこれから編もうとしていたかのような、使い古された編み直しの毛糸と、編み棒の束が入った袋がありました。母は編み物も上手で、弱った古い毛糸には別の色の中細毛糸を足してミックスにしてよくセーターを編んでくれていましたっけ。娘はそんな腕も時間もなくて、これら、いただいたところで何も作ることができないとさっさとおさらば。
片付け、我が家の片づけだとこれほどぱっぱと決断できないかもしれないけれど、捨てるか、捨てないか、使うか使わないか、の決断が瞬時にできるかという事が大事なのかなと思ったことでした。
そんなこんなであっと言う間にポリ袋にして5つばかりの処分ゴミができました。
弟嫁が、洗面台付近にあった洗剤類を、そこにあったバケツ2個に入れて、私の方の荷物に、とくれたので、我が家の洗面台の下の物入れは帰宅後見慣れない洗剤や漂白剤で一杯になりました。母は食べこぼしなどが増えたのか?漂白剤の類が多かったことから、衰えを感じさせられました。
父が学生時代?に使っていたらしい、古風な引手のついた座机は、もしかしたら骨董品的価値があるかも?と、母が叔父叔母の家から引き受けたらしい古風な食器類と共にひとまとめにしました。
弟嫁に、2日に焼いた私のフルーツケーキを、母にお供えしてから食べてね、と託しました。母に食べさせてあげたかったけれど、せめてお供えに。
市の環境センターへゴミ袋を持ちこもう、土曜日は午後4時までやっていたっけ、と、帰りに持ち込もうとして行ったところ、なんと午後4時ではなくて14時まで、の思い違いで門が閉まっていてがっくり。そのまま家に持ち帰って月曜日に、となりました。
曾祖母の編み物でできた円座の座布団は、今我が家の居間に置かれています。
by kurashiki-keiko | 2016-03-06 09:26 | しみじみしたこと | Comments(0)