カテゴリ:しみじみしたこと( 335 )

夫が免許返納へ

 夫が、このところ危なっかしいと思っていたら接触事故を起こし、これ以上大きな事故を起こさないうちにと、免許を返納することになりました。
まだよそ目には若々しい?風貌ながら(つまり髪の毛はちゃんと黒々?とある)、しかもドライブくらいしか趣味のない人ながら、大事にならないうちにと私が勧めたのです。
 警察に行くと、「愛カード」というのは無料で下さいますので、そこの無人の写真撮影で写真を撮り、作っていただきました。これは様々なお店などで割引が受けられるカードだそうです。
 ただ、それだと身分証明書には使えないと言うので、別に身分証になるカードを作ってもらうことにして、そっちは1,000円で、即日とはいかず、2週間ほどかかるそうです。長い運転歴でしたが、ここで一区切り。これからはだいぶ不便になることと思いますが、お隣のご主人ももともと運転されない人で、時々タクシーのお迎えが来ているようなので、我が家でも必要ならばタクシーの利用はありだなと思います。自動車税や任意保険など維持費が浮いてくるのでその分がタクシーに回ることになりそうです。それと、私がある程度運転手になってドライブもしてあげないといけなくなりそうです。

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by kurashiki-keiko | 2018-12-08 00:41 | しみじみしたこと | Comments(0)

大中 恩(おおなか めぐみ)さんの訃報に

 12月4日(火)の夕方のニュースで、作曲家の大中 恩(おおなか めぐみ)さんが94歳で亡くなったことを知りました。
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 高校時代の音楽部で、岡山県の合唱フェスティバルに参加した時、プログラムを見るといくつもの団体が「大中恩」作曲の曲目を取り上げていました。当時は私は存じ上げなくて、「だいちゅうおん」という中国系の人か、と誤解していました。(汗)
 大学時代のグリークラブの時に、「愛の風船」を耳にしたり、「月と良寛」や、童謡「さっちゃん」「犬のおまわりさん」「バスの歌」「おとなになりたい」等を歌いました。たまたま当時の指揮者のI さんが大中先生をお招きして、直接ご指導していただいたことがありました。
 ちょうどコメディアンの大村崑さんに似ていて、あたたかい人柄で、ご自身の作品の歌い方をとても丁寧に教えてくださったことを覚えています。
あの「椰子の実」の作曲者の大中寅二さんはお父様だそうです。

夕方のTVによると、90歳になっても合唱の指導をされていたのだとか。もう一度あのあたたかいご指導を受けたかったなと思いました。ご冥福をお祈りします。




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by kurashiki-keiko | 2018-12-05 00:57 | しみじみしたこと | Comments(0)

誕生日を迎えて

 19日は私の誕生日でした。18日は夫の誕生日だったので、子供たちに会食を呼び掛けたところ、あいにく娘一家は泊りがけの旅行に出るとの事でパス。二人の息子家族と焼肉店でにぎやかにご飯を食べました。
 孫たちの「肖像画?」のプレゼントと、次男嫁からは焼き菓子のプレゼント。こういうの、罪がなくて負担にならなくてお互いにいいですね。もっともジジババにしてみればいつまでどんな形で取っておくかという問題はあるけれども。私は一定期間食器棚のガラスに貼り付けて眺めてからしまい込み、ある程度たったら処分しようと思っています。

 フェイスブックでは知り合いからおめでとうコメントが多数寄せられました。ありがたい限りです。
 人、1人居るはよからず、と羽仁もと子先生も言われた通り、人は人とのつながりの中で生かされているのだと思います。
偶然の成り行きで友の会に入り、いやだとか止めたいとか何度か思ったけれど、おかげさまで忙しく人の中でいさせてもらっている事、また同じように偶然に頼まれて民生委員を引き受けて、そんなに立派な思想も持たない自己中の人間だと思っていた私がなんと、人のために働く機会を与えられて、少しは社会の役に立つ人間になってきているのかなあ、と思える今日この頃。ありがたいことです。

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by kurashiki-keiko | 2018-11-20 00:17 | しみじみしたこと | Comments(0)

「オルソン夫人」亡くなる

 16日付朝刊に、「大草原の小さな家」で憎まれ役の「オルソン夫人」を演じていたキャサリン・マグレガーさんが93歳で亡くなったとの小さな記事を見つけました。
 私の子育て時代に夢中になって子供たちと見ていた「大草原の小さな家」。アメリカ開拓時代に何もなかったところから家を作り、貧しい中にも子どもたちを豊かに育てていた両親。あのボンネットをかぶって歩いていた小さなローラやメアリーたち。
 ふとその時代のことがよみがえり、あのオルソン夫人が、と、懐かしくなったひとときでした。d0031853_01441427.jpg




















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by kurashiki-keiko | 2018-11-16 08:14 | しみじみしたこと | Comments(0)

今日の片付け(その6)和ダンスと鏡台などの解体処分

 11月12日(月)午後、親しい大工さんが、この日とこの日は空いているから行ける、と連絡が夫の携帯に合ったそうでしたが、あいにくその両日とも私が都合悪く、私が空いている日は向こうが仕事が入っているとのことで、では今日これからでは、ということになり、来てくれました。
 今日の仕事は、先日来中身をリサイクルで処分した嫁入り道具の和ダンスと三面鏡の鏡台、それと子供が使っていた木製のロッカーの解体処分でした。覚悟していたとはいえ、親が買ってくれた嫁入りダンスをどんどんたたいて解体するのはつらいものがありました。三面鏡のセットになっている椅子の物入れからは、子供たちが小さいころのレゴが出てきたので、ゴミと混ざったそれらをより分けて孫の元へ。
 1時間ほどで納戸がずいぶん広くなり、大工さんの仕事用のワンボックスカーに板状にした家具の残骸を積み込み、市の環境センターへ持ち込みました。男性が運び込むと産業廃棄物に取られる恐れがあったので私が一緒に乗り込んでいくと家庭ごみに分類されるようで、処理費用100円でした。ゴミ処理用のトラックの後部に車をつけるように言われ、どんどん家具の残骸がトラックへと積まれていきました。
 
 あと残っているのは同じく嫁入りダンスセットの整理ダンスです。中身を段ボールに詰め替えて今日のために用意していたのですが、作業時間の都合で後日に。しばらくは衣類を段ボールから出し入れする生活になります。

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by kurashiki-keiko | 2018-11-12 16:26 | しみじみしたこと | Comments(0)

今日の片付け(その5)

 11月4日(日)は前日の晴れの特異日の3日に続いてなんともおだやかなよい日でした。
 片付け日和、とはいうもののスーパーの売り出しを逃さないようにと朝9時には買い出し。前日に見つけた夫のため込んだ小銭を抜け目なく財布が重いほどに持って行き、千円分ほど自動支払機(というのか)で使ってきました。
 前日、箪笥の一番上の小引き出しの中身を整理したはずだったのに、干していた毛布を夫に取り込むように頼んだらそのついでか、また元の引き出しにいれてしまっていたのを、用意した段ボール箱に入れなおしました。引き出しを空にするのが目的だったのに何のことやらでした。

 そして、納戸にあった絵の中からみつけた、娘の肖像画(夫が、娘の成人を記念して?白いワンピース姿で赤いバラを持った写真を写真館で撮ってもらい、それを基に画家に描いてもらった8号くらいの物)、娘の小学1年生の時工作の宿題として作った一閑貼りのくずかご、同じく夏休みの宿題として作った植物採集の標本、3年生と5年生の時の図画を娘の所へ持って行くことにしました。娘は孫を送って出かけるけれど婿がいると言うので、持って行きました。
 図画などは孫がとても母親の子供時代の作品を見たがっているとの事で、廃棄するにしてもいったん彼女らの目にとめてから、と思っていました。2階納戸の洋服ダンスの上の方にほこりをかぶっていたものですけれど、それを作った時のことを思い出すと懐かしいだろうなあ、と思ったことでした。
 

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by kurashiki-keiko | 2018-11-04 23:49 | しみじみしたこと | Comments(0)

片付け、すこしずつ進行中

 孫も来年は4年生になるので親と一緒の部屋で寝るのもよくない、と思い、息子世帯とこちらの親世帯との二世帯住宅をチェンジしよう、と思い立ってからなかなか進まなかったのですけれど、涼しくなってからすこしずつ片付けが進んできました。
 私の大学時代の書籍類を処分し、和ダンスの嫁入り以来の着物をリサイクル業者に送り、このところは二階納戸に放り込んでいた夫が買いこんだ絵の始末を知り合いの大工さんがその知り合いの人に持って行ってくれました。着物はリサイクル業者さんからの回答は「ゼロ円」。がっくりしながらも半信半疑でしたが、先日のそういう業者さんのテレビを見ると、私のよりもはるかに高価な着物を出されていた人でも5000円とかだったので納得がいきました。
 夫の方の絵の査定も、かつて画商の人にいいカモにされていたのがはっきりして、これまた二束三文、値のある絵は殆どなかったことがわかり、「やっぱりなあ」が半分、がっかりが半分。
 少しばかりあった骨董は、甥が骨董屋さんを始めたので商売の足しにと持って帰らせたので今は先祖代々受け継いだと思われるわずかな物だけを残しています。例の「なんでも鑑定団」に出演させてもらったときに出したお椀二十客セットもその一つです。田起こしから田植え、稲刈りやお倉に納めるまでの農作業を蓋に描いたものです。

 今朝は夫が思いついて、自分のバーバリーのコートを次男にやる、と言い出すので、(まあ、バーバリーと言えどもロングのコートを今の若いものが着るかなあ?)と思いつつ写メールすると、果たして「いらん。」と一言。やっぱりな。リサイクル業者さんに一応持って行ってみます。
 押し入れには今は使わない寝具の類がスペースの半分くらいを占めていて、息子と相談してそれらもゴミとして出すことになるでしょう。また、子供たちが使っていたロッカーには、巣立つ前に着ていた衣服がそのまま残っていますけれど、今は着ることもないからたぶんそれも処分。
 あとは大工さんが和ダンスやら、嫁前にも「洗面化粧台があるならいらない」と主張したのに親が「花嫁さんが鏡台も持たずに行くことがあるものか」と持たせてくれた三面鏡やら、納戸でほこりをかぶっていたいらない家具を壊して(!)運んでくれる手はず。先日も市の環境センターに持ち込まれていた家具類が脳裏にあります。もったいないけれど、いらないものはいらない。なにしろ広いスペースから狭いスペースに移るのですから、最低限に絞り込まないといけません。例えば老人ホームへ身一つで入るとかいう節目もある筈なのだから、どこかで区切りをつけなければ、と思います。
 かつて夫の両親をそのスペースに迎えたことを思うと、義母の思いもようやくここで分かった気がします。それまで住んでいた家を出てこのスペースに住み替えるのにどれほどの思い出の品との別れがあったのかという事を思います。

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by kurashiki-keiko | 2018-10-31 21:26 | しみじみしたこと | Comments(0)

子供時代の絵、見つかる

 2階納戸の和ダンスの着物を3分の2くらい処分できました。査定は0円との事でしたが、業者さんによっていくらかでもそれなりに行方を決めてくれるものと思っています。まだ留袖、喪服、振袖、袋帯の一部が残ってはいますがそれは次回として。
 和ダンスの上にはそれらをこの家に運び込んできたときに使った古い、今や骨とう品?の柳行李とブリキの衣装缶がそれぞれ1つあったのも市の環境センターに持って行くことにしました。
 向かい合わせに置いてある洋服ダンスの上の方にも何やらほこりをかぶってあるなあと、取り出してみると、子どもの絵や習字の作品、賞状ファイルなどがありました。
 そのうちの1枚は、今、記念に居間に置いている子供たちの幼児生活団時代にクリスマスプレゼントにしたうちの次男の作品の元になったと思われる「ぞうさん」の元絵らしいものが見つかりました。なんと、それを基にその当時のサンタさん(実は私)が夜な夜な頑張って作ってプレゼントしたのが残っているのです。
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 さらに、巻いてある画用紙があったので開けてみるとそれは、子供が母の絵を描いたと思われるもの。え?私を?と思って見ると、なんと。
 私が小学生時代に母を描いた物でした。母はそれをずっと大切に持っていて嫁入りの私に託した?びっくり。
 さらに、見覚えのある絵。中学1年生のころに母校の体育館の脇で友達と写生した覚えのある絵も。
 絵に描かれていた母の絵よりも今の自分は年取ってしまいましたが、なんだかやっぱり母に似ているなあ、と感慨深く、でもちょっとの間眺めてゴミ袋へ。
さらにみんなの卒業証書を入れた筒もかごに入れてあり、それらはまとめて保存の方へ。

 車に行李やブリキ缶、着物用の小物や下着類、少し前に処分を決めていた使わない食器類などを入れて市の環境センターへ。土曜日は午後2時までやっているので、1時ごろ行くと、時候もよいせいか、すでに5台くらいが行列をしていました。私がその最後尾に着くと、あっという間にさらに5,6台が後ろに。入り口右手の広場には廃棄された家具類が。この時期、年度末に次いで引っ越しも多いと聞くと、そのせいか。
 受付の所で「資源ごみと埋立ゴミです」というと、バインダーも渡されずに通過させてくれました。
 番が来て廃棄場所に近づくと、いつもは右手に行くところを、この時期多いのか、ずっと左手に案内され、あっという間に数人の男性たちの手によって車内から廃棄物を持って行かれ、いつもなら100円とか200円とか料金を払うところ、それもなし。あら、助かるわ、と思いつつ、出口へ。
 
 日曜の今日は、敷物を夏のござから冬のホットカーペットに息子らと同時に替える予定です。お天気も安定してよさそう。冬用と夏用を外のフェンスに干してから、部屋も夏バージョンから冬バージョンへと変わります。
 本格的に寒くなるとなかなか片付けもはかどらないので、さらに不要衣類など片付けておかないと、。

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by kurashiki-keiko | 2018-10-21 06:57 | しみじみしたこと | Comments(0)

着物を手離す その2

 先日、ネットで見つけた着物買取業者さんに着物を送った話を書きました。
業者さんの買取例としては、10年以内の着物なら値段がつく、とかありましたので、私のもう40数年前の着物では無理だろうと、思っていた通り、査定の結果は「ゼロ円でした」。。。
 期待しただけバカだった。やっぱりなあ。そもそも、試しに、と思って、名古屋帯だとか羽織だとか男物のウールのアンサンブルだとか雨コートだとかから送ったせいもあるけれど。
 前回で和ダンスの下半分の処分が出来ました。うーん。もうちょっと頑張って、とまた段ボール一箱を送ってもらいました。
今日それが着いたので、契約によると2週間以内に、とあったけれど、今日のうちにと、バッグと草履のセット3組(振袖用、留袖用、喪服用)、祝儀用帯揚げと帯締めと末広のセット、ビーズのバッグ、帯揚げ6本、帯締め7本、長襦袢、袋帯2本、訪問着3枚、色無地一つ紋1枚、といったところを送りました。いずれもやっぱり古い物なので、二束三文に買いたたかれる、でしょうね。
それにしてもまさかこれらをゴミにするわけにもいかず。
後に残ったのは留袖、喪服、中振袖、等と、姑の物で取っておいてリフォームでも、と思っていたものが少し。

 それにしても、晴れの日用の銀色の草履とバッグのセットなど、どこへも今や身につけていく先も無くなった、とはいえ、持っていることがステータスだった時代もあったのだなあとちょっとばかりセンチになるのでした。
 でも、あの夏の猛暑の中でも、寒い冬の日でもこんな作業はしにくいことを思うと、この時候のこの時期にすべき仕事だなあと思うと、それこそするなら「今でしょ!!」と自分の勇気を振り絞るような思いです。
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by kurashiki-keiko | 2018-10-15 23:17 | しみじみしたこと | Comments(0)

とうとう着物を手離す

 ずっと気になりつつ先送りにしてきた着物のことです。
 嫁入りの時にたまたま祖父母と同居していたものだから、母の思いに祖母の意見も乗っかって、やれ雨コートがいるの雨下駄もいるの、普段に着物を着ていた世代が思うことと無精者の娘のする事とはその当時ですらかなりに隔たりがあったのに、どんどん数が増えて、和ダンスいっぱいの着物を持ってお嫁入したのです。
 ろくに着付けも習っていなくて、そのうち着たものと言えば、大学の謝恩会と結婚のお色直しに着た黄緑色の中振袖、婚約した時にお正月にご挨拶に行った訪問着、長女の小学校入学式に着たピンクのひとつ紋の色無地くらいのものか。そうそう、長男が生まれてまだ授乳中に祖父が亡くなり、夏の喪服を着たらお乳のシミを作ってクリーニングに出したのだった。舅が亡くなった時も喪服を着たっけ。それから娘の結婚式の為にと後から留袖を母が作ってくれたのは、一度だけ頼まれ仲人をしたときと次男の結婚式と、あら三度も着たわ。・・・
 とまあ数えるほどしか着ていない着物の思い出もありましたが、その留めそでもみんな子供たちが結婚したし、この先着る機会も着ていく場所もなさそうで、息子たちと家のエリアをチェンジするのも近いので処分しようと決心しました。

 ご近所の奥さんでリサイクル業者さんに来てもらった人がいるとかでしたが、「まだあるだろう」としつこく何度も来たとか聞くとそれも嫌だとか思い、なるべく簡単に処分できないものかと思って、この際とネットで探しました。段ボールを送ってきてくれ、それに詰めて送り返すと査定をしてそれなりのお値段を講座に振り込んでくれる、という業者さんに試しに送ってみることにしました。
 まずは夫のウールのアンサンブルや、名古屋帯、羽織、コートの類をその和服の畳紙のサイズに合わせた段ボールに詰めてみると結構な重さになって、名残惜しい気持ももちろんあったものの、業者さんの用意した送り状に書き込み、宅配業者に集配を頼み、案外簡単に第一便を送り出すところまでできました。念のためどんな品を詰めたか、畳紙ののぞき窓の所に嫁入りの時に母が書いた説明が書いてあるのを写真に撮っておきました。一枚ずつに母の文字が懐かしく、これはあれと合わせてねとか説明しながら衣装缶から箪笥に入れてくれた母を思い出しました。
 
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ただいま査定中とのメールが来ました。さて、もともと今回は大したものを送ったわけでもないし、畳紙もかなり古びているし、古いものだからそれなりの査定が出る事でしょう。
 亡くなった実母は「着物を着るか」と聞くのでいらないというと、さっさと自身の着物は売り払ったので、びっくりしたものでしたが、亡くなるちょっと前に、一番高価で気に入りだったという着物を残していてそれを私に持って帰れと言ってくれました。それがどれだったかあまり覚えていないのだけれど、京都のたつむらという業者さんのだから高いのだと言っていて、それは今回の処分品には含まれていません。
 様子を見て次の便でまた処分するつもりで入るのですけれど。母は自分でさっさと着付けが出来たものだから、よくクラシックのコンサートに着物で出かけていました。そんな生活は私には来ないと思います。

 先日見た映画「日日是好日」の映画に着物を着こなす場面が多く出てきたので、ああ、お茶などしていたら着物もいるなあ、と思ったことでしたが、やっぱりあいにく私にはそういう趣味もないしバタバタしているから無理無理、と自分を納得させたようなわけでした。

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by kurashiki-keiko | 2018-10-11 01:11 | しみじみしたこと | Comments(0)