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「オルソン夫人」亡くなる

 16日付朝刊に、「大草原の小さな家」で憎まれ役の「オルソン夫人」を演じていたキャサリン・マグレガーさんが93歳で亡くなったとの小さな記事を見つけました。
 私の子育て時代に夢中になって子供たちと見ていた「大草原の小さな家」。アメリカ開拓時代に何もなかったところから家を作り、貧しい中にも子どもたちを豊かに育てていた両親。あのボンネットをかぶって歩いていた小さなローラやメアリーたち。
 ふとその時代のことがよみがえり、あのオルソン夫人が、と、懐かしくなったひとときでした。d0031853_01441427.jpg




















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by kurashiki-keiko | 2018-11-16 08:14 | しみじみしたこと | Comments(0)

投稿お礼が送られてきて

先日、地元山陽新聞にメールで投稿はしたものの、その後掲載された様子もないので「没」になったかとあきらめていたら、なんと今日新聞社から封書が。
開けてみるとお礼の図書券1000円分が同封されていたではありませんか。
 大体掲載予定がある時には何日ごろ掲載されますとか予告があるのに、今回は突然だったので、訳が分からず、古新聞置き場をひっくり返して読者投稿のページを見直し、見当たらないのでさらにもう一度見直し、ようやく連休の8日月曜の読者欄の左下の方に掲載されているのを発見。ちょうど映画を見に行こうとして慌てて出かけて、新聞を読むのもそこそこにしていた日でした。
 あらまあ。
 でも、投稿の最後に、同窓生の投稿者の連絡先を教えてもらえないかと書いたのでしたが、それは教えてはもらえませんでした。そうだろうなとは思ったものの、残念でした。
 https://kurakeiko.exblog.jp/27129847/

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by kurashiki-keiko | 2018-10-10 20:17 | 新聞・テレビから思う | Comments(0)

思い出2題 その2 新聞の同窓会写真に

 地元山陽新聞の、「つどい」という同窓会などの写真のページを見るのは、知った人がもしや出ていないかと毎度楽しみにしています。
 9月27日付で私の目を引いたのは、「西大寺小学校金岡分校同窓会」でした。昭和35年4年修了、とあり、分校なので5年生になるとかなり遠い本校に行くことになっていたのです。
 実は私はその小学校と運動場でつながった金岡幼稚園に遅れて1年だけ入り、小学校の入学式後まもなく父の就職のために転校したのです。私の初めての記憶にあるお友達が出来た場所でした。
 吉井川の河口近くにあるその幼稚園へは、親が転居したため2年保育の子たちの間に入れられて、訳も分からず、当時は親が送り迎えをすることはなく、子どもたちで歩いて通っていました。
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 男の子は紺、女の子はピンクのギンガムチェックの上っ張りが制服で、ハンカチとカスタネットがかかっているひもを肩からたすき掛けにかけ、カバンを下げて結構な距離だと当時は思えた道は、もちろん未舗装で、歩いて通いました。
 母のおさがりの赤いアルマイトのお弁当箱を開けるのが楽しみでしたが、私は食べるのが遅くていつもお掃除の時間になってしまい、別室の「お人形の部屋」へ移って食べるのが常でした。
 家の周りは吉井川の河口の広い広い砂場がありました。後にそこは住宅地となったようですが、私の幼稚園時代には土管が所々に置いてあるくらいで格好の子どもの遊び場でした。また、川土手では定番、ござをお尻に敷いて土手滑りやら凧揚げなどしました。また、その当時は時々宣伝ビラを飛行機から撒くというのがあり、走って行ってそれらのビラを拾っていました。
 おぼろげに覚えているお友達は材木屋の息子の「ヨコイのマサちゃん」と、「京子ちゃん」。
 当時の父は大学の無給の研究員だったそうで、貯金を下ろす生活、子どもたちが遊びに来ると母はおやつに食パンを薄く薄く切って火鉢で焼いて食べさせていたそうで、「おばちゃん、薄く切るの上手ね」と言われたのだとか。
 ご近所にはあんこ屋さんがあり、こしあんを取ったあとの小豆の皮がざるに入れて干してあったりもして、あんこを煮る独特のにおいを覚えています。

・・・新聞の同窓会の写真を見ても、たった1、2年のお付き合いだった彼らのうち私を覚えてくれている人がいるかどうかも全く分からないのですけれど、そんな幼児期をなつかしく思い出したのでした。

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by kurashiki-keiko | 2018-09-27 13:39 | しみじみしたこと | Comments(2)

瀬戸大橋架橋30周年記念イベント

 先日合唱団の練習の休憩時間に聞いたところでは、瀬戸大橋架橋イベントに児島の競艇場の上空に、あの航空自衛隊のブルーインパルスの曲芸飛行?があるらしいです。(そうそう、昔は「児島競艇、丸亀ボート」だったものが最近では「児島ボート」に改称されているようです。)

なに?すごいではありませんか。調べてみると20周年にもブルーインパルスのショーはあったらしいです。
早速家族用のLINEに情報を入れると、息子2人が反応。何しろそれぞれ岩国まで行ってみるくらい好きなので。次男の方は電車で行く心づもりになっているらしいです。
 私の知るのは、1964年の東京オリンピックの開会式の時に東京の青空に五輪マークを描いた、というその時の物。(んー、なんて古い)きっとすごい訓練をこなしている優秀なパイロットたちなのでしょうね。

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私的にはLittle Glee Monsterが気になります。・・・まだ女子中学・高校生なのに舞台度胸のよさとハーモニーのすばらしさ、それにスタイルのよさで。
合唱団では「クルーズ船運航」というのが話題になりました。
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合唱団で聞いたのはびっくりするくらい高額だったのでしたが、こちらのホームページの情報は無料。へ。どうしてかしら。
だいぶ前に義母と義兄も一緒に瀬戸大橋の下を夕方から夜にかけて船で観光したことがありました。「御座船」という江戸時代風の船でお弁当付きで、橋を下から見上げるのもなかなかの迫力があったものです。遠くから見るのもいいですが、真下を通る時にはその質量というのか重量感に圧倒される思いがしたものです。

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by kurashiki-keiko | 2018-04-04 22:46 | しみじみしたこと | Comments(0)

日野原重明先生の訃報に接して

 日野原重明先生が105才で天寿を全うされたそうですね。
先生の講演は岡山で2度聞くことが出来ました。たぶん80歳代と、90代の初め頃だったと思います。
いずれもオーバーヘッドプロジェクターを使いこなされ、縦横にステージを歩き回られ、まだそのころは御髪も黒々としていらして、今でいう後期高齢者とはとても信じがたいようなお元気さ、しかも講演の筋立てというかテーマもしっかりはっきりしていて、前向きで明るいのには感嘆しつつ拝聴させていただきました。
 かつて90代の森光子さんに10年日記をプレゼントされたとか聞いたことがあります。当時の森光子さんはあの放浪記を何とかして続けたいと思っておられた時期で、そのためにスクワットだとかエアロバイクなどを日課にしていたようですが、日野原先生から10年日記をもらわれ、さらに先を目指すつもりになったのではないでしょうか。
 医師の先生は、報道によると初めて民間病院で人間ドックを開設されたり、看護師含むチーム医療の重要性に着目されていたり、当時成人病と呼ばれていた病気を、生活習慣が原因だからと「習慣病」と名付けの親になられたとか。
 また、改築の際に広々ともうけられた聖路加国際病院の広い玄関ロビーが、地下鉄サリン事件の患者さん640人もを受け入れられる野戦病院のようになったとか。戦争経験がその原点になったようです。なんと広い視野、積極性の持ち主なのでしょう。
 ここではとてもとても書き尽くせません。瀬戸内寂聴さんが、先生は死なない気がしていた、とNHKの電話取材でおっしゃっていましたが、まさにそんな感じでした。お会いしてお姿を見るだけでもありがたいと思える存在でした。世の中の高齢者に希望を与えてくださってありがとうございました。

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by kurashiki-keiko | 2017-07-19 21:32 | しみじみしたこと | Comments(2)

偶然‐倉敷市の記念手ぬぐい

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だいぶ前ですが、たぶん『明日の友』だったかに手ぬぐい1枚で作るキャップの作り方を田中周子さんが紹介されていて、手近にあった古い手ぬぐいで試しに作ったものがこれです。ところで・・・
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倉敷市の市章が染められていてさらに
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こちら、「合併記念」とあります。
なんとこれ、
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昭和42年、それまでの倉敷市、玉島市、児島市の三市合併記念に作られた手ぬぐいでした。
何でこれがいまだに我が家に存在していたのかが不明ですが、
たぶん、亡くなった母のマンションを片付けた時にでもあったものでしょうか。

おりしも、ことしはその合併から50年に当たる年だそうです。



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by kurashiki-keiko | 2017-06-07 00:55 | しみじみしたこと | Comments(0)

ミシェル・オバマ大統領夫人の功績を知って

ネットのニュース記事によると、もうすぐ離任するオバマ大統領夫人ミシェルさんの功績が載っていました。
以下、引用させていただきます。
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1. 子どもの肥満の「まん延」に注目

1980年代以降、子どもの肥満は世界的に大きな問題になっている。そして、これは個人で解決できる問題でも、米大統領の任期8年間で解決できる問題でもない。だが、ミシェル夫人はこの問題への関心を大幅に高め、対策に向けた多数の重要な取り組みを軌道に乗せた。

2. 健康的な食品の入手を容易に

私たちを今の私たちにしているのは、それぞれの食の環境だ。健康的な食品が入手できなければ、私たちは不健康な食品を買う。そこでミシェル夫人は、米小売大手ウォルマートなどの企業の協力を得て、野菜や果物など健康的な食品の値下げを実現。より多くの人にとって入手しやすいものにした。

3. 食品表示基準を改正

口に入れる食品に何が含まれているか、知りたいとは思わないだろうか?ミシェル夫人は食品に貼付する栄養成分表に「砂糖入り」であることを明記することとした規則の改正を後押しした(改正は20年ぶり)。また、米飲料業協会と協力して、カロリー表示の義務化を実現した。

4. 学校給食プログラムを改定

オバマ大統領が就任した2008年より前、米国の子供たちは学校で昼食にフライドポテトやポテトチップスを食べ、炭酸飲料水を飲み、ケチャップを野菜代わりだと思っていた。その状況にがくぜんとしたミシェル夫人は、対策に着手。「健康で飢えのない子どもたちのための法(ヘルシー法)」の成立に尽力した。学校では現在、より健康的な給食を提供。低所得世帯の子どもには、給食費を一部免除する制度も導入されている。

5. 運動を呼びかけ

子どもの肥満には、運動不足も関わっている。食事と同じように、この問題についてもその人の置かれている環境が大きく影響する。そこで、ミシェル夫人とチームはそうした環境の改善を目的とした「レッツ・ムーブ」などの取り組みを開始。全米テニス協会なども、子どもたちが運動をできる環境整備の促進に協力している。

6. 退役軍人らを支援

退役軍人の多くが戦地からの帰還後、健康問題や失業、住居を失うことなど、さまざまな困難に直面する。ミシェル夫人はジル・バイデン副大統領夫人と共に兵士や退役軍人とその家族の支援を行う「ジョイニング・フォーシズ」を立ち上げた。

7. 不当な批判への対応で模範に

米国には過去に、オバマ夫妻ほど的外れな批判や攻撃にさらされた大統領と夫人がいただろうか?人種差別的な態度はただ嘆かわしく、時間や努力、エネルギーを浪費するものでしかない。だが、夫妻はいずれもこうした問題から逃げることなく、冷静に対応してきた。

8. 少女・女性の健康と教育、権利を擁護

オバマ夫妻が米政府の各機関と共に立ち上げた女子教育支援のための「レット・ガールズ・ラーン(Let Girls Learn)」が現在も活動を続けていることは、意義深いことだ。世界各国の少女たちが質の高い教育を受けられるようにするため、障壁を取り除くことを目指した活動を行っている。

9. 権利と機会の平等を促進

誰にでも、指導者がどのような人物であるべきかについての固定概念がある。そして残念ながら米国ではこれまで、あらゆるメディアによってそのイメージが形作られてきた。そうした固定概念は、それに該当しない人がリーダーになることを阻止しようとする。オバマ夫妻の存在が、そして夫妻が任命してきた職員たちに見られる多様性が、リーダーシップとは人の外見ではなく内面に関わるものだということへの理解につながったことを期待する。

10. 醜聞ゼロ

著名ジャーナリスト、トム・ブロコウをはじめ多くの記者たちが、大きなスキャンダルなく任期を満了する大統領夫妻は1970年代以降、初めてだと指摘している。

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 聡明なミシェル夫人の感性に基づくこれらの女性として、母としての立場からの素晴らしい功績を知り、かつての大統領夫人でこれほどの成果を上げた人はこれまでいなかったのではないかと、改めて尊敬の念を抱きました。逆にトランプ氏夫人の選挙の応援演説にミシェル夫人の演説を盗用した部分があると話題になっていましたが、一体次期大統領夫人は夫であるトランプ氏の言動を含めてどんなことになるのやら、恐ろしくなりますが、見守るしかないのでしょうね。




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by kurashiki-keiko | 2017-01-18 23:46 | ニュース | Comments(0)

渡辺和子先生死去


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今朝の地元紙に、敬愛するシスター渡辺和子先生の死亡記事が掲載されていました。
なんということ。
同日の社会面には、永瀬清子さんの旧宅の蔵が老朽化のために壊されるにあたり、映画を作るという記事が。
学生時代にそれぞれ出会って何度かご対面してお話をしていたお二人の記事が掲載されていて、自分の年を感じました。
また、http://www.geocities.jp/kurasikitomonokai/kouen.html2012年に講演会に講師をお願いし、久々にお会いできる機会を頂き、よかったなとあらためて思います。
死因はこの記事では不明とのことでしたが、その後すい臓がんであったとの報道がありました。
色々と激動の時代を生き抜いて私たちに多大な影響をくださったシスター渡辺和子先生、安らかに天国へ行かれたことでしょう。
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by kurashiki-keiko | 2016-12-31 09:55 | 新聞・テレビから思う | Comments(1)

倉敷でサミット関連の教育相会議・・・

 
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要人が集まるためか、12日、会場近くの美容院にいたら、やたらにヘリの音がうるさくばらばらと聞こえていました。お店の人によると、警官がやたらに増えたらしい。警備の人もほんと大変でしょう。美容院、開店休業になりそうなのでお店を休むか、とか言っているようです。
 13日(金)、市立図書館南の信号の所から信号ごとに警察官2,3人ずつ張り付いていました。倉敷国際ホテル玄関前には色とりどりのサミットの国の国旗がはためいていて、背広姿の男性数人が立っていました。駐車場入り口にも進入禁止のコーンが立っていて警備の人。
 さらに駅前交差点の所には西も東もそれぞれ5人ずつの警察官。いよいよ要人を迎え入れるのだな、と思いました。
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by kurashiki-keiko | 2016-05-13 02:40 | ニュース | Comments(0)

新刊ー渡辺和子・山陽新聞社編著「強く、しなやかに―回想・渡辺和子」

 山陽新聞の広告で見つけました。
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ずっと新聞連載されていて、スクラップしていたのですが、きっと本になると思っていたらとうとう出ました!
これまで見たことのない写真も多数掲載されていたし、お話されていなかった学生時代の苦学した様子だとかもあって、お父様が暗殺された後、お兄様とお母さまとの暮らしを彼女がアルバイトによって支えるという苦しい暮らしで、それでもがんばって1番を取って答辞を述べられたそうですもの。ちなみに卒業時はかの国連高等弁務官の緒方貞子さんと同期で、緒方さんが英語の答辞を、渡辺和子先生が日本語の答辞を述べられたそうで、お2人が写った写真を同窓会の世話役の会で拝見したことがありました。美しく賢く努力家だったのですね。
 これから改めて読ませていただきます。
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by kurashiki-keiko | 2016-04-03 03:28 | ニュース | Comments(0)